第07話 初めてのダンジョン③魔物の氾濫
一般に、津波や洪水が起こった時は状況を確認するより何より早く、まず高所に逃げなければならないということはよく知られている。
視界に入ってからでは避難が間に合わないからだ。
それは水害ではなく魔物の氾濫、すなわちスタンピードが起った時も同じである。
あっという間のことだった。
異変に気付いた〈ワイルドキャッツ〉の二人の目前には轟音を立てて迫る幾百もの魔物の群れがあった。
しかして、その死の行進の先頭は――人間だった。
「人がいる!」
いち早くそれに気づき鋭く警告を発したのは静九郎だ。
ハッとしたクルルが目を凝らすと、あろうことか、それは知り合いの冒険者だった。
「カーラ!?」
つんのめりながら必死に逃げる女性は中堅ギルド〈トレッドブル〉に所属するCランク魔術師だ。
クルルより一回りは年上で、ランクが劣るとはいえ確かな腕と豊富な経験を持つプロだ。
息も魔力も絶え絶えになりながら、それでも紙一重で魔獣の軍勢をかわしていることからも、彼女の技量が伺える。
(そんな……!)
異常事態と知人の窮地という二重のショックを受けたクルルは、またもや思考が止まりかけていた。そこに――
「クルル! なにか魔法を!」
相棒からの叱咤。
そうだった。
雑念をねじ伏せ、事態を打開する策を考えるクルル。
忘れがちだが彼女はまごうことなき天才魔術師だ。
その大魔法ならば、狂化した魔獣の群れを焼き払うことなど造作もない。
しかし、脳裏を駆け巡る幾千もの選択肢は、浮かびは消えてを繰り返す。
威力が目的にそぐわないのだ。
「ダメっ! 距離が……! 巻き込んじゃう!」
轟音に負けないように叫ぶ。
「早くしろ!」
判断の期限が迫ってきていた。
このままではこちらも危ない。
(見捨てるしか……!)
カーラには幼い息子がいる。
旦那さんの人の良さそうな笑顔も覚えている。
だが彼女はプロの冒険者だ。
今のクルルには命の優先順位がある。
(カーラ、ごめん……)
退却の指示を出そうとしたその時だった。
矢のように飛び出したのは静九郎だった。
「ちょっと!!」
「援護しろ!」
短く、意味不明な要求。
「どうやって!?」
「煙幕だ!」
「だっ、ダメッ! こんな空間で煙なんかッ!」
閉鎖的な空間で大量のガスを発生させるなんて正気の沙汰ではない。
後先を考えない魔法素人はまっすぐ前を見据えて加速し、さらに怒鳴った。
「先手を取れ! あとは俺が何とかする!」
「何とかってナニ!?」
「いいからやれ!」
凄いスピードだった。
もう声が通る距離ではない。
「ああ、もう! 知らない!」
口ではそう言いながら、自信に満ちた相棒の声音を信じるしかなかった。
杖を中空へ高く突き上げ、叫ぶ。
「ブラックアウト!!」
闇魔法――
遣い手の少ない希少術式だ。
クルルほどの術者のそれは、展開された領域に一切の光の存在を許さない。
掲げられた魔杖から噴き出した闇が、刹那の瞬間にダンジョンの中を黒く塗りつぶした。
化学反応に頼らない、古典的な純粋魔法。ゆえに閉鎖空間でも安全だったが――今この空間では敵も味方も何も見えていないことを意味していた。
その一瞬の後。
突然我が身を襲った衝撃に、クルルはもんどり打って尻もちをつく。
魔獣に攻撃されたのではない。
「グゲアアアアア!!!!!」
大音響だ。
魔物の軍勢が発する狂気の絶叫。
クルルは渾身の力で耳を押さえ、縮こまった。
(ジョー!!!)
生きた心地がまるでしない、地獄の時間が続く。
だが、その音が止んだのも唐突だった。
(え……?)
突然の静寂。
何も聞こえない。何も見えない。
一体何がどうなったのか、クルルが呆然と立ち尽くしていた時だった。
「もういいぞ」
「イひャッ!?」
耳元でいきなり囁かれ、謎の悲鳴を上げながら飛び上がった彼女に、落ち着き払った声が続ける。
「俺だ。終わったから術を解いてくれ」
「えっ、ちょ……………え?」
術が解け、光を取り戻した洞窟の中には魔獣はいなかった。
否、魔獣の軍勢はいたのだが……その原型はすべて失われ、地面に散らばっていた。
「ええ……ぇ……?」
「診てやってくれ。頼む」
混乱するクルルの前に女冒険者の体を慎重に横たえる。
まこと器用なことに――男は魔獣を蹂躙するかたわら、彼女を救い出していた。
クルルはあわてて怪我人の応急処置に移る。
癒やしの術は彼女の専門ではない。
それでもダンジョンで叩き上げられた彼女はテキパキと診断をこなし、必要な簡易魔法をかけていった。
その傍らで……
「今のやつらはE……いやDランクが五十余体か。換算するとCランク五体分……なるほどな」
刃こぼれがないか刀身を改めながら、何やらウンウンと頷いている外国人に、クルルは重大な事実を告げた。
「Cランク……」
「やはりか。当たったな」
「ハズレ! 一匹ずつが! Cランクなんだってば!」
「なんだと?」
男に向けられたギルドマスターの顔はキレていた。
「危険な魔物の! 大行進だったの! 絶体絶命の! ピンチだったの! それを! あんたは!」
一言一言に込められたのは愛ではない。
怒りだ。
長い魔杖でギルドメンバーを容赦なく小突きながら怒鳴る。
「いったい何をしたらこうなるんだよ!」
「このダンジョンはD・Eランクばかりだと言ったのは君じゃないか! だから……!」
不毛な言い合いがいい気つけになったらしい。
気を失っていた女冒険者が目を開けたので、クルルが慌てて声をかける。
「カーラ、久しぶり。私のことわかる?」
「クルル……」
苦しそうな声。
涙を浮かべた目が歪む。
不慮の災害の被害者に同情したが、それでもクルルにはまず確認しなければならないことがあった。
「何があったの? 敵の数はわかる?」
「にげて……まだ…………」
あやふやな言葉。焦点の合わない目。
意識がもう持たなそうだ。
得られる情報は少ないと判断し、静九郎が訊いた。
「言え。仲間はあと何人だ」
「ふたり……」
そう言うと、彼女は再び意識を失った。
静九郎とクルルの視線が交わる。
それは一瞬だった。
「俺が」
「ダメ」
同時に言ったが、静九郎は譲らない。
「君はこの人を連れて脱出しろ。急がないと手遅れになる。応援を呼んでいる暇はない」
「ダメだってば! 危険すぎる。あとの二人は諦めるしかない」
クルルの判断は当然だった。
ダンジョンの中ではパーティー同士の助け合いが推奨される。所属が異なる場合でも、協力することで生存率が格段に上がるからだ。
だがそれは安全が担保される状況においての話だ。
すでに壊滅した他パーティーのために自分たちの命を危険にさらす義理は一ミリもない。
「俺なら平気だ。さっきの調子を見ただろう」
頑固で愚かなわからず屋にクルルは再び怒鳴った。
「ダメったらダメ! これはマスター命令なんだよ!」
しかし、男は頑として首を振った。
「困っている人を助けるんだろ?」
ダンジョンの常識など通用しない。
それ以上はもはや聞かず、静九郎は迷宮の奥へと突風のように走り出した。
「待ちなさい!! ねぇ!! ジョー!!!」
* * * * *
一方その頃――。
〈トレッドブル〉の戦士、Dランク冒険者のエディルトは死に臨んでいた。
(クソが……)
簡単な任務のはずだった。
ベテランの戦士である自分、ギルドの看板で強力な魔法使いカーラ、そしてまだ十代のルーキーだが成長著しい弓使いの少女ロギン。
実際、三人にかかれば任務遂行は朝飯前だった。
あっさりと目的の魔物を倒し、さあ帰ろう、今日は酒場で何を頼もうかなどと談笑していた時。
ダンジョンの奥から突如、山と湧き出てきた魔物の集団と出くわした。
ベテランの二人は驚愕しつつもすぐさま退却に動いたが、経験の浅い少女ロギンは違った。
恐怖のあまり矢を放ってしまったのだ。
魔獣たちは基本あまり目が良くない。
気付かれていなかったのに、あえて居場所を教えてしまった形だ。
あの時の咆哮は死んでも忘れられない。
それでもエディルトはパーティーの盾役として時間を稼ごうとしたが、所詮は荒れ狂う暴流に立てた戸板、無駄な努力だった。
(可哀想に……)
チラリと後ろを振り返る。
彼は今、岩盤の切れ目に潜んで生きのびていた。
ボロ雑巾のように蹂躙されながらも、エディルトは持ち前の頑丈さと新調したばかりの高級鎧装備のおかげで生きてはいた。
だが利き腕の右腕は変な方向に曲がっているし、全身裂傷だらけで血を流し過ぎて意識もはっきりしない。
そして後ろに転がっているロギンも……傷自体もさることながら、自責の念と死への恐怖で心が壊れてしまったのか、ぐったりと横たわってうずくまっている。
(お前のせいじゃねぇよ……)
冒険者をやっていれば、窮地は誰にでも訪れる。
彼はDランクながらそれを十五年も第一線でくぐり抜けてきたベテランで、そのことについて自信も持っていたが、どうにもならない状況というものはある。
今がそうだ。
外にはCランクの魔物がうようよ徘徊していて、とても逃げられる状況ではなく、あとは出血多量で死ぬか、魔物に見つかって死ぬかというだけだった。
はぐれてしまったカーラも生きてはいないだろう。
これが冒険者稼業のリアルで、自分に不服はない。が、齢若くしていきなり宿命を強制されるロギンを不憫に思った。
(ちっ……)
ここは死と生の境。
死の気配に満ちた岩場。
(ここがオレの死に場所か……)
改めて覚悟するまでもなく、現実としての死が目前に迫っていた。
だというのに、そこに突然――
「イヤぁぁぁ!」
「ロギンッ!」
巨大なイモムシが岩を削りながら突っ込んできて、ロギンを引きずり出した。
とうに決まった結末を、なお早めようとする理不尽にエディルトは憤激した。
「待ちやがれッ!!」
視界が暗い。
腕が重い。
全身が引き裂かれるように痛む。
それでも歴戦の戦士は跳躍した。
「このやろおぉぉぉ!!!」
左手一本で愛剣をイモムシに突き立てる。
苦しむ魔獣。
解き放たれるロギン。
それに気づいた周辺の魔物たちが殺到してくる。
事ここに及んで、惜しむ命はない。
「かかって来いやぁぁぁ!!!」
何の意味もない虚勢ではあった。
技もなく策もなく、メチャクチャに剣を振り回して、掴みかかってくる魔獣の四肢を斬って斬って斬りまくる。
雄叫びを上げながら、後輩をかばいながら、意味のない数秒の命をつなぐ。
剣が折れ、腕が折れても、戦士の心は折れなかった。
だがその死闘が続いたのは、たった数秒だった。
(ウソ……だろ……!?)
現れたのはケンタウロスの出来損ないのような半人半獣奇妙な獣。
それはこんなダンジョンにいるはずもない高ランクの魔物だった。
(B……ランク……だと!?)
その異物が、圧倒的な力と重い蹄で勇敢な戦士を踏みつけにした。
「ガッ!!」
もう一撃来る。
それで終わる。
(ちくしょうッ!)
ロギンに向かって手を伸ばす。
霞む視界の隅で、彼女はまだ生きていた。
可哀想に。憎まれ口ばかり叩いてきた生意気な後輩だったが、根はいい奴だった。
失敗はしたかもしれないが、助けてやりたかった。
死への恐怖ではなく悔しさに涙が浮かんだその時だった。
「ギェ!!」
ケンタウロスが倒れた。
いや、ケンタウロスだけではない。
辺りの魔物がことごとく……両断されていた。
「……!?」
一体何が起こったのか。
その答えは、異変の原因が声をかけてきたことで明らかになった。
「よく耐えた。あとは任せろ」
長身の異邦人だった。
それだけしかわからなかったが、自分の稼いだ数秒の意味を悟ったエディルトは、そのまま笑顔で気絶した。
* * * * *
一方、クルルはブチ切れていた。
(くそっ、くそっ、アイツ……!!)
静九郎が格好をつけて走り去ってから、もう二十分は経過している。
その間、彼女は死域と化したダンジョンから脱出せず、息を潜めて知人の魔術師の治癒を続けていた。
一刻の猶予もない。
命を取り留めたとはいえ、早く街にもどって専門的な処置をしなければカーラはもたない。
焦っていた。
(遅い! 遅い! 遅い!)
クルルの怒りは無理もない。
度重なる連携無視。
重大な命令違反。
唯一にして初めての新入りの、無謀にして無鉄砲な独断専行のおかげで、異常事態が起こっている魔境の中で動くこともままならず、一人孤立している状態だ。
ダンジョンの奥を見る。
カーラの顔を見る。
脱出か、待機か。
患者の命か、仲間の命か。
(もう、決めないと……)
その時だった。
もはや耳馴染んできた轟音が、クルルの耳朶を叩いた。
(……!)
魔術師は立ち上がり、無表情で杖を構えた。
地を打ち鳴らす大音響が近づく。
土煙の中から見えてきた光景にも、彼女は眉一つ動かさなかった。
それは恐ろしいというより、もはや笑える光景だった。
彼女が待ちわびていた男――〈ワイルドキャッツ〉期待の大型新人が、魔物の大群を引き連れて帰ってきたのである。
数は先刻の倍。
だが、さきほどのカーラとは違い……先頭を走る静九郎は人間離れした超スピードの激走でまっすぐクルルに向かってきた。
機敏な謎ステップを踏みながら縦横無尽に魔獣の追撃をかわしまくるその両肩には、鎧の巨漢と少女を担いでいる。
静九郎とクルルの視線が交わる。
その時だった。
「撃て!」
静九郎の咆哮。
さっきカーラが走ってきた時と全く同じ構図だったが、今回は全く迷わなかった。
即応。
「フレイムキャノン!!!!」
躊躇なし、加減なし。
度重なる命令違反に対する怒りが上乗せされた地獄の火炎放射が津波となって魔獣の群れ……と静九郎に正面から襲いかかる。
「……ッ!」
侍は翔んだ。
重力など忘れてしまったかのように、二人の重傷者をかついだまま、クルルの放った業火をラクラクと飛び越えた。
異常な脚力だ。
土煙を上げてクルルの真横に着地。
振り向いて、戦果を確認し、傲然と言い放った。
「お見事」
「バカ!!」
たった一撃。
一撃で魔獣の軍団を片付けたギルドマスターは、次の一撃を――怒りの鉄槌を――ギルドメンバーの頭に振り下ろした。
「バカ! バカ! バカバカバカ!」
二撃、三撃と魔杖によるオシオキがくるが、静九郎は両肩に負傷者を乗せているので避けられない。
ガンガンとぶたれながら、避ける代わりに言い訳を垂れた。
「たしかに馬鹿だったかもしれん。二人を抱えたら刀を持てないのを忘れていた」
「バッカじゃないの!?」
「悪かったよ。とりあえず診てやってくれ」
横たえらえた二人にクルルが飛びつく。
戦士エディルトと弓使いロギンは、カーラとは比較にならないほど重傷だった。
クルルは二人の処置を反射的、機械的に行いながら、不機嫌な声で、ぼっ立ちしている侍に訊く。
「あんたに怪我は?」
「ない」
「ウソでしょ!? あの状態で!?」
「見てたとおりだ。逃げるのは得意なんだ」
クルルはドン引きしながらも負傷者の治療に戻る。
彼女は治療の専門家ではない。最低限の応急処置だ。それでも卓越したその魔法技術で、二人の状態を搬送できるまでもってくることに成功した。
代償は過剰な魔力消費だ。
肩で荒い息をつきながら、クルルが言った。
「これ以上は私には出来ない。急いで街に戻って協会のヒーラーに見せないと」
「わかった。行こう」
静九郎がエディルトとカーラを、クルルがロギンを背負って出発した。
エディルトの命を繋いだボロボロの鎧はお役御免として捨ててきたので、帰り路はずいぶん楽だった。
魔獣も出ない。
拍子抜けするほどあっさりと洞窟の入口付近までたどり着く。
「ったく、どうなってんのよ……ここの魔物はそんなに活動的じゃない。知能は低いし、群れで動くなんて知性もない。それがこんな……まるで魔王が操ったみたいじゃない」
疲労困憊のクルルが愚痴る。
出口はもうすぐそこで、緊張感はなかった。
静九郎が応じる。
「魔物のことはわからんが、敵の勢力が普段と違う動きを見せる時、そこには必ず理由がある」
「例えば?」
「将軍が斃れたとか、兵糧が不足してるとか……こちらにとっていいこともあれば悪いこともある」
「悪いこと?」
彼の技と知見は、故郷で戦争に動員されていたときに得たものだ。
だが人でも魔物でも通じるところがある。
今日の戦いでそれを実感していた。
「そうだ。例えば、とてつもなく強力な友軍が現れて、士気が高揚しているとか……」
静九郎がそう言ったのと、全員が洞窟を出たのと、二人が魔物の異常行動の『原因』を認識したのはまったく同時だった。
「えっ…………」
そこに居たのは最大最強の魔物種。
ドラゴンだった。
次回『静九郎という男』、ご期待ください。




