第3話 健康番長
やがて、昼休みを告げるチャイムが鳴る。
麗華は待ちきれずに、廊下を走っていると判断されない程度の速歩きで小夜子のいる教室までお弁当箱を抱えて向かった。
義姉といっしょに食べるお昼ごはんが彼女の学校での楽しみである。
「お義姉様、麗華が参りました」
上級生――二年生の教室の入口に立ち、小夜子に聞こえる声量で呼びかけた。
「小夜ちゃん、妹さんが呼んでるよ」
義姉のクラスメイトの女子が麗華を手伝っているつもりなのだろう、小夜子を呼ぶ。
しかし、麗華は内心苛ついた。
――いったい誰の許可を得てお義姉様を下の名前で呼んでいる?
「小夜ちゃん」とはずいぶん馴れ馴れしい呼び方だ。恐れ多いとは思わないのか。
麗華は上級生を睨みつけるが、百五十八センチほどの小柄な彼女が下から睨んでも、威圧感はなく、上目遣いをしているようにしか見えない。
見知らぬ長身の上級生はそれを見て好意的に笑う。
「こんなに可愛いのに、お義姉さんをいびってるなんて、何かの冗談みたい」
麗華がなにか答える前に、小夜子がやってきた。
「麗ちゃん、そんな毎日ここまで来なくていいのに」
「そうは参りませんわ。――お義姉様、お弁当を検めさせていただきます」
麗華の発言を聞いた途端、小夜子はさっと弁当箱を背中に隠そうとするが、それより早く麗華が義姉の手に持っていた弁当箱を取り上げる。
「それでは、お義姉様。家庭科室まで共に参りましょう?」
「……はい」
小夜子はうなだれたまま、義妹のあとについて教室を出ていった。
「……ねえ、アレどう思う?」
鳳月姉妹が去ったあと、小夜子の同級生たちがヒソヒソと話し合う。
「きっと、また小夜子さん、麗華ちゃんにいじめられてるのよ。彼女、妹さんに逆らえないみたいじゃない」
「それに、麗華ちゃん、本当の妹じゃないって聞いたよ。小説とかでよくあるじゃん、お父さんが再婚して、家にやってきた連れ子が意地悪するやつ」
「麗華ちゃんって見た目は華やかだけど、圧が強いっていうか……なんか怖いよね」
小夜子の級友たちは、本人たちが不在なのをいいことに、言いたい放題である。
小夜子を「小夜ちゃん」と呼んでいたクラスメイトだけが首を傾げていた。
「そんな悪い子には見えないんだけどなあ……」
しかし、その言葉が誰かに届くことはないのだ。
一方、家庭科室にやってきた麗華は小夜子を中に入れると、自分も部屋の中に入り、ドアに鍵をかけた。邪魔が入らないように、そして義姉が逃げ出さないように、である。
「それでは、お義姉様のお弁当を拝見いたしますね」
「それより、早く食べないとお昼休み終わっちゃうよ、麗ちゃん」
麗華は小夜子の言葉を無視して弁当箱の蓋を開けた。
お弁当箱は二段式で、上段におかず、下段に白米を入れる一般的なものである。
しかし、弁当箱の中身を見て、彼女は顔をしかめた。
「お義姉様、これはどういうことですの? わたくしが納得できる説明を求めますわ」
義姉の弁当箱を彼女の前に置く。
弁当箱の中身は――上段も下段もおかずのみで、白米は入っていない。
そして、おかずの内容だが……野菜が一切入っていない。揚げ物のみである。全体的に茶色いというかきつね色だ。
「唐揚げに竜田揚げにエブフライ、イカリング、アジフライ……お義姉様、揚げ物好きすぎでは?」
小夜子は不器用で料理がまるっきりできないので、おそらくコンビニかスーパーの惣菜を詰め込んだと思われる。シェフに頼んだわけではあるまい。シェフが雇い主の娘の食べるものに口を挟まないとは思えないからだ。
とにかく、その大量の揚げ物が、義姉の弁当箱の上段と下段、それぞれにこれでもかと詰め込まれている。義妹として、麗華はそれに注意せざるを得ない。
「お義姉様、こんなお弁当では体を壊してしまいますわ」
「じゃあ、今度から栄養バーにする」
「栄養が取れればいいというものではないでしょう!」
麗華は義姉を心配するあまり、思わず手のひらでバンと机を叩いて怒鳴ってしまう。
父――鳳月グループの社長が仕事で忙しく海外を飛び回り、家を空けるようになってから、小夜子は自らの健康に気を使わなくなってしまった。
もちろん、専属のシェフが家にいる間の食事は作ってくれるし、お弁当だって頼めば用意してくれる。だが、義姉は「お昼くらい好きなものを食べたい」と固辞してハンバーガーやカップ麺などのジャンクフードを好んで口にするようになってしまったのだ。
麗華がいっしょにお昼を食べるようになってから、小夜子はそれをごまかすために、こうして弁当箱の中に揚げ物を詰め込んで偽装するような悪知恵を使うようになる。
「よろしいですか、お義姉様。食事というのは栄養バランスを取らねばなりません。野菜もしっかり食べなければ健康状態が悪くなってしまいます」
義妹はため息混じりに義姉を説教した。
……こんなこと、本来であれば小夜子は知っていて当然なはずなのだ。何しろ、麗華に知識を与えてくれたのは小夜子本人なのだから。
だからこそ不可解であった。義姉はなぜこんな自暴自棄のような食事をするようになってしまったのだろう。
「麗ちゃんの健康番長……」
「妙なあだ名をつけないでくださいまし」
家庭科室でそんな調子で苦い顔をして小夜子を説教している麗華を、ドアの窓から覗いているのは、義姉のクラスメイトである。小夜子が連行されてから、心配半分好奇心半分でこっそりついてきたのだ。
「やっぱり、小夜子さん、麗華ちゃんにいびられてるよ」
話の内容も聞こえないのに、クラスメイトたちはそう断定し、「麗華は悪役義妹、小夜子は悲劇の虐げられヒロイン」といった認識がこのようにどんどん噂として学園内で大きくなっていくのであった。
麗華が一年生の教室に戻ると、友人が「またお義姉さんをいじめてたんだって?」とからかってくる。
――また妙な誤解が広がってしまっている……。
しかし、彼女が悪役扱いされているのはいつものこと。麗華はいつもその噂を肩をすくめてスルーしていた。
「そんなことより、相談したいことがあるのだけど」
麗華は自分の席につき、友人に、義姉のことについて悩みを打ち明けることにする。
小夜子がみすぼらしい身なりをするようになった頃を思い出しながら、麗華は友人に過去の話をすることにした――。




