断罪後、修道院に受け入れ拒否された公爵令嬢は、自分の気持ちに素直になることにした
『素直に好きと言ったもの勝ち 断罪された公爵令嬢を拾った辺境伯は恋に落ちる』の公爵令嬢視点のお話ですが、こちら単体でも読めます。
「私事ではあるが、今日、この場で皆に聞いて欲しいことがある」
本日卒業する王族として登壇した第一王子が勝ち誇った笑みで私を見る。
「バルチェル公爵家の令嬢、ブリジットが犯したこの三年間の罪により、私はこの婚約を破棄し、私に『真実の愛』を与えてくれたウレニ男爵家の令嬢――キャシーと新たに婚約を結ぶ」
卒業式という祝いの場に泥を塗るような言葉に、声を抑えきれなかった生徒達から押し殺した驚きの声が聞こえた。
喜ぶ声よりも悲しむ声が多いのは、私が今まで築いてきた全てが無駄ではなかったという証だろうか。
王子はそれら全てを自分への賛辞と受け取っているようだ。
誇らしげに片手を挙げて、生徒達の声を抑えると続ける。
「本日は卒業を迎える祝いの場だ。本来なら王族を害した罪で裁かねばならぬところを、王都追放、辺境の修道院に入ることを条件に命ばかりは助けてやる。お前達、罪人を連れて行け」
「……私は、罪人と言われるような行動を取った覚えはありません」
静かに、けれど断じてそのようなことをしていないと強く聞こえるよう主張する。
しかしそれも、無駄なことだったようだ。
「見苦しいぞ、ブリジット。大人しく罪を償え」
呆れた調子で切り捨てられ、殿下の言葉でやってきた騎士に拘束され、無理矢理に会場を連れ出される。
掴まれた腕が痛い。
抵抗しないと言っても拘束を緩めない彼らに、馬車に乗せられる前にこれだけはと尋ねた。
「このことは、陛下もご存知のことですか」
「我らは、殿下のご命令に従うだけです」
彼らの忠誠は、陛下ではなく殿下の方に捧げられているようだ。
(陛下なら、きっと殿下のご命令を取り消してくださるはず……それまで、待ちましょう……)
馬車が動き出したのを感じ、今は何もできないと、私は静かに目を閉じた。
バルチェル公爵家に生まれた私は、七歳の頃、第一王子の婚約者に定められた。
それは、この身に流れる血に関係する。
私の母は、隣国の王妃の妹であり、母の実家は、隣国を挟んださらに隣の国の王家である。
幼い頃に両国を訪れたことはあるそうだが、記憶には何も残っていない。
けれど、節目の折には祖父母と伯母夫婦から祝いの手紙が届くし、気に掛けてもらっている。
母がこの国の公爵に嫁ぐことになったのは、母の祖国の政策の一環だったそうだ。
時期さえうまくかみ合えば、母が陛下に嫁ぐ可能性もあったようだが、当時、我が国の陛下は既に王妃殿下と婚約されていたことから、父に嫁ぐことになった。
最初から、公爵家に娘が生まれたら、王家に迎え入れるつもりだったのだろう。
陛下は私を殿下の妻に迎えることで、隣国とそのまた隣りの国とも繋がりができ、国家間で安定が計れると、この婚約をすごぶる喜んでいらした。
(それが、まさか、こんなことになるなんて……)
愚かにも私は殿下の気持ちに気が付いていなかったのだ。
陛下が私と殿下の婚約を喜んでおられたのと反対に、殿下は私のことを疎んでおられたらしい。
思い返せば、学園に入学前、交流のために開かれていた月に一度のお茶会も何かと都合を付けては取りやめになっていた。
兆候はあったのだが、それが表面化し、私が気が付くことができたのは、学園に入ってからだ。
学生時代くらいは自由にしたいと最初から距離を置かれ、男爵令嬢と出会ってからは殿下が私を見つめる瞳に憎しみの色が乗っていった。
殿下が気に入り側に置く男爵令嬢へのいじめも何もしていないが、殿下はすべて私がしたことだと思われた。
(私は、こんなに嫌われる程に、何をしてしまったのかしら……)
政略結婚は王族や貴族には必要なこと。
決まった相手に恋情は持てなくても、穏やかに仲を深めることはできると教育を受けてきたし、両親を見てそういうものだと思っていた。
だからきっと、私の何かが、殿下にとっては受け入れられなかったのだろう。
馬車に窓はない。
それでも、一度止まり、進む道が石畳からただの地面へと変わったことから、王都を出たのだとわかる。
両親には卒業式でのことが伝えられただろうか。
卒業式の後、王宮で祝いの夜会が開かれる。
卒業生の保護者はそちらで合流することになっていたため、この暴挙を止める大人はいなかった。
殿下が言っておられたような罪を犯したという事実は何も無い。
(信じてもらえるかしら……?)
殿下との不仲を伝えてはいたが、政略だからと割り切るように言われていた。
うまく役目をこなせたかった私は、両親の期待を裏切ってしまっただろう。
それに、私には妹がいる。
失敗してしまった私を助けるなんて無駄だと思われるかもしれない。
(悪い方に考えすぎよね……?)
母の実家の手前、助けは与えられるはずだと、なんとか平静を保つが、考えれば考えるほど不安しか生まれない。
少しでも体力を温存しようと、私は静かに目を閉じた。
学園を出てから、何日経ったのだろうか。
日が経つにつれ、馬車が進む道は、悪路となっていった。
最初はすぐに誰かが追いかけてきてくれるという希望があったが、三日も経つ頃にはそれは楽観的過ぎたと悟ることになる。
不安は強くなっていくばかりだ。
十日も過ぎた頃合いで、ようやく馬車は目的地に着いたようだ。
けれどそこで待っていたのは予想外のことだった。
「今、なんと……?」
「ですから、この修道院に受け入れる方は、事前に審査を行い、寄付金をいただいております。どちらのご令嬢かは存じませんが、当院には何も連絡もございませんので、受け入れかねるのです」
院長は気の毒そうな表情を一瞬浮かべて私を見るが、すぐに無表情に戻ると「それでは」と、敷地の中に戻っていく。
私をここまで連れてきた騎士達が騒ぎ出す。
「これじゃ、俺達も帰れないってことか」
「はぁ!? 先輩、なんでですか!」
「ご令嬢を放置はできんし、殿下のご命令を遂行せずに戻るわけにはいかんだろう」
後輩の方の騎士が憎々しげに私を見てくるが、一番どうしてと思いたいのは私だった。
ふと、学園生活の間、ずっと殿下の仕事の代行をしてきたことを思い出す。
(もしかして、殿下は修道院に入るにも手続きが必要だとご存知なかったのかも……)
殿下の思いつきを実現するために動いてきたのは私や側近達だった。
考え込む私を横に、騎士達は今後どうするか決めかねているようだ。
「……殿下の命令は、修道院に連れて行けでしたっけ」
「そうだな」
先輩と呼ばれた方の騎士が私を見る。
その無機質な眼差しに、不意に最悪の事態が脳裏をよぎった。
彼らが私を王都に連れ帰ることはできない。
修道院に受け入れを拒まれた今、私は邪魔でしかないだろう。
(最悪、殺されるのかもしれない……)
恐怖から震えそうになる手を、ぎゅっと力を込めて握る。
王子へは、旅の途中で不幸な事故があったと言えば済んでしまうのだ。
殺した後の面倒と、殺さず受け入れ先を見つける面倒と、どちらがましかを計っているのではないか……。
背を這い上がる恐怖をなだめながら、できるだけ彼らを刺激しないよう平静を取り繕う。
泣きわめいたりしたら、それこそ邪魔だと思われて最悪の事態を早めそうだ。
「……ここが無理なら、別のところを探すか」
「でも先輩、デュランド辺境領の修道院、ここ以外に知らないです」
「確かに、俺も知らないな」
後輩騎士の言葉に、先輩騎士が私を見つめる。
覚悟を決めなくてはいけないだろうかと、息を呑んだ時だった。
「あ、そうだ。教会はどうですか!」
後輩の言葉にふっと、先輩騎士の視線が緩んだ。
彼も、私を殺すのは手間だと思っていたようだ。
「……そういえば、今朝通った村に、ボロい教会があったな。うん、そこに捨てていこう」
ここで騒げば、彼らは剣を抜くかもしれない。
その恐怖心から声をあげることさえできず、私は今朝通ったばかりの村に置き去りにされた。
見るからに何もない村だったが、騎士達と離れられた安堵の方が大きかった。
捨て置かれた私を助けてくれたのは、村の牧師だった。
「私はビリーと申します。この教会の牧師をしております」
私の身の上話を聞いた牧師は、眉尻を下げ気の毒そうな表情をしている。
「ずいぶん酷いことをなさいますね。何もない教会ですが、お迎えがいらっしゃるまでどうぞこちらでお過ごしください」
「お世話になります」
ビリーさんのおかげで、村の人達にも紹介され、ひとまずの居場所を得ることができた。
何も返すことができないのに、むしろ何もできなすぎて、迷惑をかけどおしだった。
彼らに教えてもらいながら、一人で身支度をする方法や、食器の片付け、洗濯の方法など、できないなりに学んでいった。
刃物は、危ないからと持たせてもらえなかった。
余裕があるようには見えない村。
私の存在は迷惑だろうに、全くそんな風に言われることはなく、私はせめてもの恩返しにと、教会で子供達のために本の読み聞かせを行うことにした。
ビリーさんは本当は毎日子供達の勉強の時間を取りたかったそうだが、日々のお勤めにその余裕を作るのは難しく、今までは時間に余裕がある日にだけやっていたそうだ。
私はその仕事を引き受けることにした。
ビリーさんは恐縮した様子だったが、私は、私にもできることがあったと、胸をなで下ろした。
(公爵令嬢だったなんて肩書き、何の意味なんてなかった。優しくしてくれる彼らの恩に報いる方法さえ、持っていない……)
教会に置いてあるのは、教典はもちろん、建国神話や、童話といった簡単な絵本だった。
私のつたない朗読を、子供達は目を輝かせて聞いてくれる。
その表情に、私はようやくこの村にいてもいいのだと思うことができた。
村に来て、どれくらい経っただろうか。
正確には覚えていないけれど、徐々に村に馴染みかけていたところで、この村を治めるデュランド辺境伯からの使いの騎士がやってきた。
騎士は、私を迎えに来たという。
辺境伯様は私を保護してくださるおつもりだと知り、ありがたいとも思ったが、騎士の手をとることはできなかった。
この村に残りたいという気持ちもあったが、半分は、騎士の手を取るのが怖かった。
身なりも立ち振る舞いも、私をこの村に置いていった騎士二人とは全く違う。
だというのに、修道院に受け入れを拒まれた際の先輩騎士の眼差しが脳裏から離れない。
「申し訳ありません。折角のお申し出ですが、私はこの村に置いていただくだけで十分です。私のことはお気遣いなくとどうぞ辺境伯様にお伝えください」
折角の申し出を固辞する私に不快を表すことなく、騎士は「確認してまいります」と村に護衛を二名も残して帰っていった。
わがままを聞き届けられるとは思わず、ぽかんとしてしまったのは仕方がないことだろう。
護衛にと村に残った騎士達の働き方は柔軟だった。
一通り村の中の安全を確認した後は、一人は私の警護に付くと、残りの一人は村の手伝いに回っていた。
村での日々を過ごしながらも、気になるのは辺境伯様の元に戻った騎士のことだった。
どのくらいで、騎士は戻ってくるだろうか。
辺境伯様は、護衛付きでここに残ることを許してくださらないだろうかと、都合の良いことを考えてしまう。
けれども、辺境伯様自らこの村にいらっしゃったことで、それは甘い考えだったと知ることになった。
願いを切り出す隙すらなく、辺境伯様には招待を断れないよう出立の時刻を告げられ、頷く以外の返事は許されなかった。
だから、驚いたのだ。
「公爵令嬢。つらい境遇ながらも、我が領の子供達を気に掛けてくれたこと、礼を言う。護衛は付けたままにしておくので、出立まで心残りのないように過ごされよ」
強引に話を進めた割に、向けられた眼差しも穏やかで、他意は感じられなかった。
押しつけられた厄介事としてではなく、私自身を気に掛けてくれていると思える言葉に、胸の奥にあたたかな光が差し込んだ気がした。
婚約者だった殿下からは、仕事を手伝った後でさえ、忌々しそうな眼差しと、嫌味をもらってばかりだったのに……。
子供達に、お別れを言いにいくことができる。
護衛から、この村でどう過ごしていたのかも報告が上がっているだろうし、気を遣われたのだろうか。
(こんな方もいるのね……)
馬車を待つ時間があったから、たまたまかもしれない。
それでも、私は辺境伯様に、あの騎士に感じたような恐怖を感じることはなかった。
辺境伯様の屋敷に着いてからも、驚くことばかりだった。
到着早々、紹介された侍女達は有能で、快適に過ごせるようにと心配りが行き届いたもてなしを受けた。
辺境伯家には現在、若い女性はいないはずだが、服や小物が用意されている。
侍女に聞けば、わざわざ、私を預かるからと揃えてくれたものらしい。
こんなに優しくしてもらっていいのだろうか。
それまでとの落差に、なんだか現実だと思えない。
屋敷に着いた翌日。
様子を見るためか、辺境伯様に呼び出された。
礼を言うと、足りないものが多いだろうからと、商人を呼んでくれるという。
どうしてそこまでよくしてもらえるのか、意味がわからず思わず尋ねていた。
「あの、どうして、私を保護してくださったのですか?」
「公爵家のご令嬢を魔の森の側にある村に放置はできないだろう。常識的に考えて」
返答があまりにも予想外過ぎて、理解するまで時間がかかってしまった。
(常識的に、なんて。そんな扱い、久しぶりに受けた気がする)
常識的に考えると、公爵令嬢は普通、王子に婚約破棄されたり、辺境に送られたり、修道院に受け入れを拒否されたりしない。
これまでの扱いと常識について意識を飛ばしていると辺境伯が笑みを零した。
飾らない、思わずといった笑顔が、どうしてか目に焼き付く。
(そんな表情もされるのね……)
一瞬、気が緩みかけるも、次の質問であの村にいた経緯を聞かれ、すぐに引き締める。
理由を話すと難しい表情を浮かべる辺境伯様に、自分の存在の扱いは難しいのだろうと悟った。
(気を引き締めないと。私があの村で何かあったら問題になるから保護してくださっただけで、優しいからと甘えていい方ではないわ)
そう。辺境伯様は、私の追放に関して、何も関係はない。
不意に、辺境に私が送られたことをご存知だったことは何故だという疑問が浮かぶ。
あの村に騎士を遣わされたのだから、誰か知らせた人がいるのには間違いないはずだ。
辺境伯様にそのようなことができる人は限られている。
心に浮かぶのは、婚約破棄を告げた殿下の姿だった。
「あの、辺境伯様は、私に対して、何かご命令を受けておられるのではないのですか?」
「私に命じることができるのは、国王陛下だけだ。そして、勅書は届いていない」
その言葉に、やはり殿下から何らかの指示が飛んでいたようだと悟る。
この方を巻き込んでしまったことに、申し訳なく思う。
私を保護することで不利益を被らないだろうか。
そのことを口にすると、心配するなと言われてしまった。
「個人的な感想だが、少し話しただけで、ご令嬢は噂とはかけ離れた方だと思った。村で子供達に接する様子を見て、尚更噂を信じられなくなった。だから、まぁ、ひとまずここでの暮らしは休暇だと思って気楽に過ごすといい」
失礼なことを口にしてしまった私に怒ることなく、そんな優しい言葉をくれるなんて、本当にお優しい方だ。
辺境伯様に言われるがまま、私は休暇のような日々を過ごすことになった。
とはいっても、学園も、王子妃教育もない時間を過ごすのは久々のことで、どう時間を過ごしていいのか戸惑う私を見かねたのか、辺境伯様はお茶の時間と夕飯の時間を共に過ごしてくださるようになった。
辺境伯様は、滅多に不機嫌になられることはないようだ。
元婚約者の殿下は会話中、突然に不機嫌になられることが多く、婚約者時代はお茶の時間も気を張ることが多かったが、今は全くそんなことがない。
気を遣われているのか、学園での暮らしについて触れられることはなく、その日あったことや、この土地についての話をしてくれる。
辺境伯様はこの土地に誇りを持っておられるようで、お話はいつも面白く、少しの間だけ滞在させてもらっている身ながら、私もお話を聞く度にこの土地のことを好きになっていく。
この時間、辺境伯様が浮かべる柔らかな表情に、惹かれていく心は止められない。
(王都に、戻りたくない……)
そう思うようになるまで、時間はかからなかった。
こちらで保護されたことは辺境伯から父に連絡をしてもらっており、父からは婚約の件の収拾をつけるまでしばらくこちらで世話になるようにと手紙を受け取っていた。
抜け目のない父のことだ。
王子の失墜を見届け、噂が落ち着いた後に王都に呼び戻し、可能な限り瑕疵を取り払った私の嫁ぎ先を見つけるに違いない。
辺境伯様に、妻はおろか婚約者がいないことも、当然知っているだろう。
ただ、辺境伯家は、上二人のご兄弟が恋愛結婚をされているから、おそらくは私が見初められるなんてことは考えていないはずだ。
私自身、そんな奇跡が起きるなんて思っていない。
頃合いを見て王都に呼び戻されるだろう。
残された少ない時間を、取りこぼさないように気を付けて過ごすことしかできなかった。
殿下がやってきたのは、そんな時だった。
「許してやるから、王都に戻るぞ」
旅装を整える余裕もなかったのか、今まで見たことがない程くたびれた様子で、けれど態度は以前のままの様子だった。
やつれた様子ながらも、ギラギラと目だけが異様に輝いてみえる。
(あともう少し時間がずれていれば、このタイミングで会うこともなかったでしょうに……。いえ、どうせ私を出せと騒いだでしょうから、一緒かしら)
思わず意識を飛ばしていると、殿下はきつい眼差しのまま声を張り上げる。
「何故黙っている! 婚約者の私の顔を忘れたのか」
「殿下との婚約は既に破棄されているのでは? あのご令嬢はどうなさったのですか?」
「あの女の話など今はしていない!」
あんなに仲睦まじそうであったのに。
一体何があったのかとじっと見つめると、殿下は言い訳めいた言葉をこぼす。
「……私が王族籍を剥奪されると聞いて、私の物を持ち出し、逃げだそうとしたので不敬だと牢に放り込んできたのだ」
相思相愛の様子であったのに、意外な結末に言葉を失くした。
(『真実の愛』ではなかったのかしら……? 都合が悪くなったから、私のように彼女も切り捨てたのかも……)
ご自身以外に価値を見いだされない殿下がこの地にいらっしゃったことに、何かしら心境の変化があったのかもしれないと思ったけれど、どうやら違ったようだ。
(過ちを知り、やり直すためにいらっしゃったのではないのなら……)
ならば私も、もういいだろう。
「……殿下は私をお嫌いでしたよね」
「過去のことはいいだろう。お前がいれば、私は王族に残れる。お前もこのような辺境に送られ反省したのではないか。元のように私に尽くせばいいだけだ。これまでと変わらずな」
「――っ、お断りします」
人をなんだと思っているのだろうか。
殿下は簡単に考えているようだが、一度壊れたものが、そう簡単に戻るわけがない。
謝罪すらなく、以前と同じに都合のよい扱いをしようとする殿下に、私の気持ちはこれ以上無く冷え込んだ。
「――なぜ言うことを聞けない! 早く王都へ戻るぞ!」
「ですから、お断りしますと申しております」
「なっ……。許してやると言っているのに、何が気に食わない! 王都に戻り婚約をやり直せば、お前も王妃に戻れるのだぞ」
「望んでおりません。お一人でお帰りください」
「なっ! 辺境領での暮らしがそんなに気に入ったのか。何もない田舎だろう? 王都の暮らしが恋しいはずだ」
「こちらに私を追い立てたのは殿下ではないですか。それに、この地を悪く言うのはやめてください! 優しい方ばかりの、よい場所です!」
思わず声を荒げたところで、殿下は嫌な笑みを浮かべる。
「ふぅん、お前が声を荒げるとは珍しい……。もしや辺境伯にでも惚れたか?」
「なっ――、……今は私のことなど関係ありません!」
好きで無いと否定すればいいところなのに、そう言うことはできなかった。
だが、私の動揺に気が付かなかったのか、幸いにも殿下がそこを掘り下げる様子はない。
「まぁ、どちらでもいい。命令だ。一緒に戻ってもらうぞ!」
「嫌です! 私は、あなたと共には戻りません!」
そう叫ぶように言うと、激昂した殿下が掴みかかってくる。
言い過ぎたと、恐怖に体をすくめるが、予想していたような痛みはなく――。
反対に、殿下の悲鳴が聞こえて私はおそるおそる目を開けた。
(えっ、辺境伯様が、どうして……?)
私を掴もうとしていた手が、辺境伯様によりひねりあげられ、殿下は苦痛にうめいている。
辺境伯様が割り込んでくれたのだ。
「このようなことをして、許されると思うなよ」
「廃嫡され、王族籍からも外された王子に何ができると?」
なるほど、と今までの殿下の態度に得心がいった。
(既に立場を失くしていたから、捨てた私にすがってきたのね……)
呆然としている間に、辺境伯は騎士に王子の拘束を指示している。
私は怪我がないか確認され、侍女により部屋に戻された。
あれから私にできることは何も無く、結局、何から何まで辺境伯様のお世話になってしまった。
ただでさえ、こちらでお世話になってご迷惑をおかけしているのに。
こうなれば、帰れるようになり次第、早く王都に戻る方がいいだろう。
そう覚悟を決めたところで、丁度良く辺境伯様から呼び出された。
「昨日は危険な目に遭わせて申し訳なかった」
面倒事に巻き込んだのはこちらだというのに、謝罪をいただくことになり申し訳なく思う。
殿下との面会も可能だとさえ言ってもらったが、少し考えて首を振った。
顔を合わせてもまた、昨日と同じ言い合いになるだけだろう。
ならば、これ以上、辺境伯様に手間を掛けていただく必要はない。
「私達のことに、辺境伯様を巻き込んでしまい申し訳ありません」
「あなたが気にすることではない」
「寛大なお言葉、感謝いたします」
それに、殿下がこちらに来られたことで、事態はより速度を増して進んでいくだろう。
もう、こうして辺境伯様に時間を取って話していただけるのは最後かもしれない。
謝罪の後、勇気を出して今後のことについて踏み込んだことを尋ねることにした。
きっと、断られるに違いないけれど、望みがないと明確に示されたなら、諦めもつくはずだ。
自分の気持ちに素直に行動していた殿下の、その点だけは見習うべきかもしれない。
「……もうすぐ、私も戻らねばならないのでしょうか」
「まだ、公爵から何も連絡は来ていない」
「ずっと、こちらに置いていただくわけには参りませんか?」
「もちろん可能だが、客人としてという意味だろうか?」
良い方にも悪い方にも、少しでも変化を探そうと辺境伯様の顔を必死で見つめる。
目を見張った辺境伯様に言葉の意味を尋ねられ、私はあまりの恥ずかしさに後悔しながらも、最後だからとその言葉を口にする。
「いいえ。許されるならば、辺境伯様のお側に置いてほしいのです」
てっきり、私では若すぎるとか、そういう対象には思えないとか、お返事はお断り一択だと思っていたのに、辺境伯様は私が後悔するかもしれないという言葉を重ねる。
(期待していいの……?)
そう一瞬でも思ってしまえば、諦めるのは無理だった。
きちんと好意を持っているのだと、言葉を重ねていく。
「――私は、辺境伯様の隣にいたいです。王都に戻れと言われるならば、一度はそういたしましょう。ですが、すぐにこちらに帰って参りますから」
「そこまでの覚悟なのですね。でしたら、私も遠慮はしない」
それまでは気の迷いだとも思われていたのだろう。
送り返されてもこの地に戻ってくると言い切ったことで、辺境伯様の瞳が鋭さを増した。
(な、なに……?)
怒っているわけではないのだろう。
それでもこちらが切迫感を抱くほどに、真っ直ぐ射貫くように見つめられて、私はただ、その場で跪く辺境伯様を見つめることしかできなかった。
「――苦難にあっても前を向くあなたの輝きに惹かれていた。後悔はさせない。私の全てを貴女に捧げる。代わりに、どうか、あなたを一番近くで守らせてほしい」
嬉しいのに、何と答えていいのかわからない。
ただ固まっていると、そっと壊れ物に触れるかのように手を取られる。
「あの教会で目にした時から、私はあなたに恋していました」
止めを刺すかのような真っ直ぐな一言と、両想いだったのかという衝撃に、呼吸すら忘れてしまいそうだ。
(私も、こんな風に最初から真っ直ぐに気持ちを告げればよかったの……?)
先に気持ちを示したのは私のはずなのに、すっかり彼のペースに持って行かれて、口からは『ずるい』という言葉がこぼれ落ちる。
しかしそれすら笑みで受け止められてしまい、私はせめてもと返事の言葉を必死で探した。
「……同じ想いを捧げます。私にも、持てる力全てで貴方様を支えさせてください」
ようやく、そう伝えられたのは、随分経ってのことだった。
あれから三ヶ月。
辺境伯――ラルフ様とは無事に婚約は結ばれ、私は辺境伯家で嫁入り教育を受けるからと、未だ王都に帰ることなくこの地に滞在している。
嫁入り教育と言っても建前で、王家で王子妃教育を受けていたから、特別なことは何もない。
ゆっくり辺境伯家の家風に馴染んでいくようにと言われていた。
「ブリジット、ここにいたのか」
部屋に入ってきたラルフ様に抱き締められ、頭の上にキスが降る。
婚約して知ったことだが、この方は見かけによらず愛情表現を惜しむ方ではないようだ。
会うたびにのことなので、私も馴れてしまっていた。
「ラルフ様……? ご用事ですか?」
見上げると、両頬と唇にも口付けられる。
「少し早く仕事が終わったのでブリジットの顔を見に来たんだ」
「お仕事が一段落されたのですね」
「ああ。貴女のおかげで、うまくいきそうだ」
もともと第一王子と私の婚姻後、王家主導で祖父母の国と交易が開かれる予定だった。
婚約破棄の影響でそちらの話はなくなったものの、私が辺境伯家に嫁ぐので、王家と結んでいたものとは少し契約内容を変えたうえで、この辺境伯領との交易という形で当初の契約は引き継がれた。
契約の見直しに伴い、輸入品、輸出品についても当然調整が加えられる。
せっかく、この地が交易の窓口になるのだ。
輸入品目を辺境伯領に有利になるようにと特産品を探していく中、祖父母の国に輸送には向かない薬草があると知った。
調べたところ、その薬草は私が助けてもらったビリーさん達がいる村と生育環境が似ており、技術派遣もできないかと交渉を持ちかけたのだ。
うまい具合に、向こうもこちらの辺境伯領で育てている薬草と、今回輸入する薬草とを掛け合わせて作れる薬が欲しいらしく、薬の輸出を条件に認めてもらえた。
欲した薬草が、輸送に向かない品種だったこともあるのだろう。
種を輸入品目に入れてもらう際に、育て方の指導者を派遣してもらうよう交渉したのはラルフ様だが、この薬草が根付けば、辺境の村も豊かになるはずだ。
条約は既に締結され、後は技術者の派遣を待つところまで進んでいた。
「ブリジットがここに来てから、辺境はいいことばかりだ」
「私が原因ではありません。ラルフ様が、今までこの地のために続けてこられた施策が実を結んだのです」
こちらで薬の材料となるもう一種類の薬草を育てていなければ、提案しても技術者の派遣は認めてもらえなかっただろう。
貧しい地でありながらも特産品を作ろうと薬草を育てていたからこそ、この話は実現したのだ。
「私の婚約者は、謙虚すぎる……」
もう一度、唇にキスが落とされ、ラルフ様は眩しそうに笑っている。
「結婚式が、待ち遠しいです……」
心に浮かんだままに言葉をつむぐと、ラルフ様は目を見張った。
私がこうして素直に心情を口にするようになったのは、あの日、真っ直ぐに気持ちを伝えてもらってからだ。
「ブリジットには敵わないな。そんなに私を喜ばせてどうするんだ?」
そう言って微笑むラルフ様に、敵わないのは私の方だと思いつつ、今度は私から背伸びをするのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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