表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月下の反逆者 ~王太子に逆らった青年と断罪された令嬢の逃避行~  作者: ぱる子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

89/89

第30話 月下の反逆者③

 朝日がようやく森の奥深くまで届き、淡く柔らかな光が木々の合間を染めていた。夜の冷気と薄暗さが解けはじめる中、地面に伏すように横たわる二つの人影が、静かにその光を浴びている。そこには、アレンとカトレア――もう息をしない彼らの姿があった。


 地面にじんわりと広がった血の跡は夜露を吸って乾きつつあり、服の裾や皮膚には泥と葉がこびりついている。二人の身体は互いに強く抱き合ったまま離れず、まるで最後の瞬間までお互いを求め合っていたことがうかがえた。その顔はどこか安らぎに満ちたようにも見えるが、触れてみれば冷たく硬直しはじめている。


 森の奥からは兵士たちの荒い足音が規則正しく響く。騒がしい人声が混じり、さらに犬の吠え声が遠くで鳴いていた。すでに兵士たちの一団が付近一帯を捜索し終え、あちらこちらで「発見したぞ」「連れて来い」といった命令が行き交っている。けれども、アレンとカトレアに注がれる視線はわずかで、彼らは一度ちらりと亡骸を見やると、仏頂面のまま淡々と後処理の準備に取りかかる。


「そっちだ! 急げ、ここにも二人が倒れている」

「もう手遅れのようだな……。どこかで自害したのか」


 何人かの兵士が寄ってきて、地面に倒れた二人を取り囲むように視線を投げかける。興味本位で覗きこむ者もいれば、仕事として淡々と確認作業を進める者もいる。彼らにとって、反逆者の死体は数ある“案件”の一つでしかなく、そこに感傷など介在する余地はほとんどない。


 ほどなくして、上官らしき人物が命令を下す。

「運べ。ほかの兵が来る前に片付けるぞ。王太子殿下への報告を急ぐんだ」


 兵士たちは無言でうなずき、手早く現場の確認に取りかかる。二人を引き離そうとしてみるが、まるで最後の力でしがみついているかのように手が絡まったままだ。解きほぐすのに苦労しているのが、周囲のやり取りから見て取れる。


「動かない……。血で固まってるみたいだな」

「まったく、面倒だ。いや、仕方ないけど……」


 乾いた調子でかわされる言葉からは、むしろ疲労感の方が感じられる。夜通しの捜索で彼らもまた苛立っているのだろう。だが、そんな日常業務と化した「処理」の合間で、若い兵士の一人がふと、寄り添ったままの二人の姿を見やり、かすかにその表情を曇らせる。


「……愛し合ってたんだろうか。最後まで離れないなんて、よほどの覚悟だったんだな」


 周囲に同調する者はいない。兵士たちは黙々と作業に没頭していて、わざわざ感想を言い合おうとも思わないようだ。反逆者は反逆者。命令に従い処理されるだけ。そこに余計な感傷や正義の問いなど差し挟む余地はない。


 光がさらに差し込む中、兵士たちによってアレンとカトレアの亡骸はそろそろと持ち上げられる。腕をほどかれた後も、その顔はまるで穏やかに眠っているだけのように見える。血まみれの服と互いを抱いた痕跡だけが、彼らがどんな最期を迎えたかを物語っていた。


 かたわらに落ちた短剣からは、もう血が乾きかけている。取り上げた兵士が「これが自害の凶器か……」と呟き、すぐに鞄か何かへ投げ込む。そこにある物語を知る者などほとんどいない。彼らにとっては、殿下への捧げものになるはずだった反逆者が勝手に死んだ。その程度の価値でしかない。


「とにかく、仕事を終わらせろ。後で上官に報告するんだからな」

「はい。……誰かが正義を語っていたようだけど、もういなくなった今、何も変わらんさ」


 どこからともなくそんな会話が聞こえてくる。反逆者の正義とやらが何だったのか、興味を示す兵士などいない。この国で王太子に逆らえば死ぬ。そんな当たり前の結末がそこにあるだけだ。


 やがて、血塗れの地面から二人の遺体が運び出され、周囲は再びざわめきを増す。犬の鳴き声は少し離れた場所で依然響いているが、もう彼らを追う必要はない。兵士たちが手早く整理を進める一方で、散らされた枯葉や血痕は森の静けさに飲み込まれていく。


 朝陽が高くなり、徹夜の激務を経た兵士たちがそれぞれの持ち場へ戻っていく。そこには喜びも憎しみもなく、ただルーティンで行われる処理と報告が淡々と行われるばかり。反逆者の命など、王太子の命令と比較すればただの使い捨てに等しいのだろう。


 そして、ふと陽が完全に森を照らし始めると、地面に落ちた大きな血の跡が、朝の光を受けてすら暗く沈むままだ。誰もその跡を気に留めず、むしろ早く土で埋めてしまおうという思惑があるかのように、作業が続けられる。兵士たちがどこか苛立ち混じりに足を運び、犬の繋がれた綱を引く。生と死の境界を見届ける者などおらず、世界は何事もなかったかのように回り続ける。


 風がひと吹きして、木々がざわついた。先ほどまで二人が横たわっていた場所には、枯れ葉がささやかな音を立てて降り積もる。薄紅の朝焼けが晴れていき、鮮明な太陽光に変わるころには、もうそこに彼らの姿はない。最後まで抗ったはずの正義も愛も、ただ血の跡だけを残して消え去っていた。


 まるで、本当に何もなかったように王太子の支配は揺るがず、宮廷はいつものように騒がしく動く。取り巻きたちが殿下への忠誠を誇示し、ある者は領地を守るために懸命に頭を下げる。貴族や平民は王太子に怯えつつも、彼らがどう生き延びるかだけを考え日々を過ごす。語られない正義や気高い想いは、空気のように消えてしまったかのように誰も振り返らない。


 ――あの二人は一体、何を目指して戦ったのだろうか。彼らが訴えたかった正義、守りたかったものは、どこへ行ってしまったのか。それをもう語る者はここにはいない。愛を貫いたはずの二人は、すべてを失って、森の奥で息絶えた。正義があろうとなかろうと、力の前にはあまりに儚かった。


 王太子の笑い声が宮廷にこだまする日の暮れには、アレンとカトレアの存在はすっかり忘れられるだろう。もはや彼らを悼む者は少なく、兵士たちも報酬を手にしたらすぐに別の任務へ向かう。国に生きる人々は、明日の糧を得るために必死で、それ以上のことを考える余裕などない。


 こうして、正義と呼ばれたものは葬り去られ、命を懸けた愛は無益な反逆だったと処理される。世界は常に勝者の論理で動き続け、二人を亡くした森も、夏が来れば緑を深め、冬が来れば枯れ葉を落とす。それだけだ。

 ――正義とは何だったのか? 誰も語らず、誰も思い返さない。安らかな眠りについた二人の亡骸が、血の跡さえすぐに消える大地の下へ葬られても、世間は明るい陽射しとともに今日もまた動き続ける。彼らの求めた光は届かぬまま、ただ虚しく、残酷な朝の光だけが王太子の領域を照らし出していた。


(完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ