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月下の反逆者 ~王太子に逆らった青年と断罪された令嬢の逃避行~  作者: ぱる子


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第28話 二人だけの誓い②

 森の冷たい風がさざめく夜。俺たちは木々の根元に寄り添い、ほんの少しの安息を求めるかのように体を近づけ合っていた。疲労と恐怖に苛まれているはずなのに、カトレアの呼吸だけは妙に耳にしみる。暗がりの中、その瞳が潤んでいるのがわかって胸が痛む。


「ねえ、アレン……これ以上、どこへ逃げても同じかもしれないわ。王太子殿下の包囲はどこまでも続くし、わたしたちが力を振り絞っても、結局もう……」


 カトレアがぽつりと呟き、視線を下に落とす。頬にはうっすらと涙の跡が光り、彼女がどれだけ追い詰められているかが伝わってくる。背後でざわめく林の音さえ不気味に感じる中、彼女は唇を震わせて続ける。


「あなたの傍にいられないくらいなら、いっそ……」


「……やめろ、そんなこと言うな」


 俺はとっさに言葉を遮るが、カトレアは涙で縁どられた瞳を俺に向けた。息をのむほど綺麗なその瞳に、深い悲しみが潜んでいるのがわかる。


「ごめんなさい。でも、もう十分苦しんだと思わない? わたし、リシャール殿下に婚約破棄されてからずっとろくに眠れなくて、逃げ回って……こんな生活、先が見えないもの」


「わかってる。正直、俺も今が限界だよ。何度も死にかけたし、仲間を失い、ロイドに裏切られ、領地だって……」


 思い返すだけで心が軋む。エレナを救えず、ロイドと決別し、正義のつもりで殿下に抵抗した結果は最悪の道へ転がり落ちている。二人の体はボロボロで、どこへ行っても罵倒と追撃が待っている未来――そんなの、もう地獄としか言いようがない。


「それでも、あなたは“わたしを守りたい”と言ってくれた。わたし、嬉しかったわ。それがなかったらとっくに折れていたもの」


 カトレアの声はか細いが、確かに温かみがある。そのまま彼女は俺の肩に頭を寄せて、「なのに……」と続ける。


「なのに、こんなに追い詰められて、もう逃げ場なんてどこにもないかもしれない。こんなにも辛いなら……わたし、あなたと離れるくらいなら……」


「言わないでくれ。俺も同じかもしれないけど、最後まで生き延びる道を探したいんだ」


「本当? あなたがいない世界なんて考えたくもないわ。きっとまた王太子に利用されて踏みにじられるだけだし、いっそ……二人で終わりにできたらって、思ってしまうの」


 その言葉を聞いて、体中がドキリと震える。カトレアが “死”という選択肢を口にしてしまうなんて、思いたくなかった。けれども、この苦しさを思えば、そう口走る気持ちも否定できない。俺は言葉が出ないまま、彼女をそっと抱き寄せた。


「分かるよ。俺も君を守れない世界なら、生きてる意味なんて見いだせない。正義を振りかざしても、もう通じないのは分かったし、領地も壊され、仲間も失って……」


「じゃあ……わたしたち……」


「でも、まだ……」


 俺は拳を強く握りしめる。森の夜気が容赦なく肌を冷やすが、カトレアの体温だけは唯一の温もりだ。彼女の柔らかな髪が肩先に触れ、切なさがこみ上げる。


「いま、ここで終わるわけにはいかない。だけど、もし本当に逃げ場がなくなったら……」


「……もし明日が来なくて、このまま夜明け前に兵士に捕まるか殺されるなら、それなら……」


 カトレアの瞳が潤んだまま、唇が震えながら言葉を探している。俺も視線を伏せ、己の選択肢が残りわずかだと痛感する。生きたいと望んでいるが、それが叶わないなら……


「せめて、二人で最期を迎えるのも悪くない。そう思ってしまうんだ」


「アレン……?」


「君がいない世界なんて、同じだよ。生きていける気がしない。いまこうして一緒にいることが、俺の心の支えだから」


「わたしも……ほんとにそう。あなたを失う未来なら、もういいって思う。ここまできたら、いっそ……」


 言葉が泡立つように出てこない。二人きりで強く抱き合うと、心に溢れる絶望と愛情が絡み合って複雑な波紋を描く。諦めと希望が混在する中、互いを失う恐怖が圧倒的な悲しみとなって襲い掛かるのがわかる。


「カトレア……俺は最後まで君を守り続けたい。どんなに辛くても、できるだけ生き延びたい。でも、その道が絶たれたら……」


「うん。わたし、あなたのいない世界で生きたくないもの。殿下に囚われて、ただの道具のように扱われて、あなたの命までも失って……想像するだけで耐えられない」


「じゃあ……いざという時は、二人で……」


「そうね……二人なら、怖くないわ。もし明日が訪れなくても、あなたがそばにいるなら……」


 カトレアの指が俺の手の甲に重なって、わずかに震える。こんな誓いは悲しすぎるけれど、同時に溢れそうな温かさが胸にこみ上げてくる。誰にも知られず、こんな森の奥で最悪の結末を受け入れるかもしれない――それでも、一緒ならいいと思えるのが苦しい。


「ごめんな、変な話になっちゃって。まだ生きる道を探してるんだ……けど、心のどこかではもう……」


「わたしこそ……ごめんなさい。あなたをこんな絶望に巻き込んで。でも、いまは本当にあなたが大切で、あなたのいない道なんて考えられないの」


「いや、こっちも同じさ。苦しくても、君と二人きりでいられるのが唯一の救いだ。……不思議だよな、最悪な状況なのに、これほど君を愛おしく感じるなんて」


 心中を吐露すると、カトレアは赤面しながらもどこか恥じらいの笑みを見せた。ほのかな微笑みが、この深い闇に一筋の光を落としてくれる。俺は彼女の肩に手を回し、軽く抱き寄せる。


「もう一度言うよ、俺たちができるだけ生き延びられるよう頑張りたい。でも、どうしようもなくなったら……」


「ええ、わかった。もう十分苦しんだわ。あなたと離れ離れになるくらいなら、いっそ二人で……」


「うん。ありがとう、カトレア」


 胸が苦しくて息が止まりそうだ。愛の告白に近いのに、それが死を前提とする誓いだというのが切なすぎる。けれど、この状況では心から喜べない。あまりにも脆い希望の道、二人の逃亡生活は先が見えず、兵士の影はいつ近づくかもわからない。


「ねえ、アレン……あなたと暮らせる世界があるなら、そこで穏やかに過ごしたかった。わたし、わがままかしら?」


「わがままじゃないよ。俺も同じことをずっと夢見てた。大した領地じゃなくても、君を笑顔にさせる場所が作れたらって」


「なのに、殿下がすべて壊した。ロイドも離れていった。どこへ行っても私たちは国賊扱い……。どんなに走っても、安息は遠い」


 カトレアの瞳から涙が溢れそうになる。俺はその頬を指でそっと拭い、彼女を抱きしめ直す。肩に残る温度が、闇の冷たさをかろうじて打ち消してくれる。


「もし明日が訪れなくても、君と一緒なら俺はいい。君も同じ気持ちなら……それで十分だよ」


「うん……。わたしたち、きっともう選択肢はないのよね。なら、最後まで一緒にいましょう。苦しくても、あなたがいないよりはずっと幸せだから」


「ありがとう、カトレア。少なくとも、君の手を離しはしないよ。世界中が敵になろうとも……」


 ゆっくりと額を合わせ、森の冷え切った夜気を感じながらも彼女と寄り添う。いつ兵士が突入してくるかはわからないが、その時までは少しでもこの体温を感じていたい。

 もうどんなに頑張っても報われないかもしれない未来。それでも、この瞬間だけは、二人だけの誓いを胸に刻む。死が訪れるそのときまで、あるいは奇跡が起きて生き延びる未来があるなら、どんな運命も受け入れるつもりだ。

 深い闇の中で、カトレアの小さな声が聞こえる。

「もし明日が訪れなくても……わたしは、あなたと一緒なら……」

 その言葉に、俺はそっと微笑みで応えるしかない。凍えるほど冷たい森の大地に座り込み、互いを抱き合うように体温を分かち合う。こうして心中に近い誓いを交わすなんて――まさかこんな結末に向かうとは夢にも思わなかった。

 けれど、今はもうそれを後悔する気力すらない。ただ、胸にわだかまる絶望と、強すぎる愛しさが絡み合いながら、俺たちは二人だけの約束をかみしめる。兵士の足音も遠く、夜の森の静寂に包まれたまま、朝日はまだ遠い暗闇の底へ沈んでいた。

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