第3話 公衆の面前での対立②
低く漂う緊張感の中、俺と王太子リシャール殿下の視線が交差する。さっきまで殿下に真っ向から意見していたとはいえ、改めて向き合うとやはり威圧感がすさまじい。
そんなとき、殿下の背後に控えていた取り巻き貴族の一人が一歩前に出て、あからさまな嘲笑を浮かべた。
「へえ、下級貴族風情がえらく勇ましいじゃないか。お前などが公爵令嬢カトレア様を庇う資格があるとでも?」
まるで面白い見世物でも見つけたかのように、取り巻き貴族はからかうような眼差しを向けてくる。今や夜会という華やかな場は消え失せ、代わりに冷たい視線の集中砲火。俺はその一つひとつに抗うように視線を返した。
「資格……ですか。正直、俺は下級貴族ですよ。威光もなければ、家柄もそれほど高くない。でも……庇う資格って、何でしょう? あなた方の言う“貴族の資格”って、ただ弱い者を踏みにじることで得られるものなんですか?」
取り巻きが鼻で笑う気配が伝わってくる。一部の貴族がクスクスと小さく嘲り、また一部は「こいつ、やっぱり正気じゃない」とでも言いたげに距離を取った。そんな反応を横目に、俺は言葉を続ける。
「弱い者を見下して、口を挟ませないようにして……それで誇りを保てるのなら、それは貴族というよりただのいじめっ子と変わりない。少なくとも、俺はそうは思いたくない」
「黙れ、下衆が。ここで偉そうに説教する場じゃないんだよ」
取り巻きの別の男が声を張り上げる。彼は明らかに、俺を一気に黙らせたいのだろう。背伸びして見下すような視線と鋭い口調で、俺の度胸を試しているようにも感じた。
「偉そうにしてるわけじゃありません。ただ――あの場の仕打ちは酷い。周りが全員、彼女を嘲笑うだけなんて、あんまりです。貴族ならば貴族らしく、もっときちんとした手段があるはずでしょう?」
「ふん。大それた正義感だな。王太子殿下の決断に楯突いたこと、悔やむなよ」
嘲るように言い放つその目を見返していると、後ろからリシャール殿下の冷たい声が飛んできた。
「……下級貴族が何をほざこうが、我が決断は揺るがぬ。おまえのような者は、身の程を弁えずに口を挟んだ罰を受けることになるだろう」
「罰、ですか」
正直、怖いのは事実だ。王太子の命があれば、俺の領地など瞬く間に干上がるかもしれない。けれど、ここで引くなら最初から声を上げたりしない。俺は一度強く息を吸い、なるべく震えないように声を出した。
「あなたが王太子として国を導くなら、もっと別のやり方があるはずだと信じたいんです。あの場でカトレア様を辱めた行為は、少なくとも俺には――納得できません」
言葉を吐き出した瞬間、周囲がざわざわと揺れた。誰もが「こんなにも王太子に反抗的な態度をとるなんて」と不安げに後退し、一部は「もうこいつ終わったな」と冷笑すら浮かべている。
「……覚えておけ。貴様の顔と名、二度と忘れんぞ。かりそめにも我に歯向かった報い、必ず受けさせてやる」
リシャール殿下の声には怒りがこもっていた。先ほどの夜会での婚約破棄宣言よりも、さらに直接的な嫌悪と侮蔑。まるで蛇に睨まれたカエルのように、周りの貴族は目を合わせまいと逃げ腰だ。しかし、俺は止まれない。言葉が喉元まで出かかっている状態で引き下がれば、もっと惨めに感じるから。
「……後悔はしません、覚悟はありますよ」
そう告げると、殿下は鼻を鳴らし、数名の取り巻きとともに俺を睨みつける。その視線は鋭い剣のようで、正直足元が震えそうだ。それでもどうにか耐えていると、ふいに黒いドレスが視界の隅をかすめた。
ちらりと見やれば、カトレアがこちらを見ている。何か言葉をかけたいのか、あるいはこの光景をどう受け止めているのか、わからない。彼女は相変わらず口を閉ざしていたが、その瞳には微かな心配と――わずかながらの興味のような感情が浮かんでいるように見えた。
「カトレア様、黙っているとは……やはり、あれだけの騒動で参っているのだろうか」
心の中でそう思った瞬間、カトレアは小さく首を振った。まるで「自分の問題だから、口を出さないで」と言わんばかりにも映ったし、俺の無茶を咎めているようにも感じる。でも、そこに完全な拒絶はなかった。
「……くっ、何も言わねえか。さすが高慢な令嬢だこと」
取り巻きの一人がカトレアの沈黙を嘲る。すると、俺は思わず睨み返した。今までの言動を見て、彼らが“高い家柄を笠に着て他人をこき下ろす”ことに快感を覚えているようにしか思えない。そんな姿に嫌悪感が募る。
「貴族の資格? そんなもの、ただ人を踏みにじる言い訳にすぎませんよ。あなた方の態度は誇りでもなんでもない」
「下級貴族がよく吠える。そんなに偉そうに説教したいのかよ?」
「偉そうじゃなく、当然のことを言ってるだけです。弱い者を追い詰めて、さらに笑い者にする。そんなのは、本当に誇り高い貴族のすることじゃない」
まるで毒の応酬だ。俺も言葉を選んでいる余裕がない。取り巻きたちがにらみつけてくるが、気にしていたら何も言えなくなる。気付けば手汗がひどい。肩で呼吸をしながら視線を外さないように踏ん張っていると、リシャール殿下が一つ息をついて口を開いた。
「……よかろう。おまえの言葉、しかと胸に刻んだ。だが、同時に命取りになると知れ。アレン・クレストン、必ず後悔させてやる」
場の空気がピーンと張りつめる。殿下の言葉に否定や反論をする者は一人もいない。正直、俺も立っているだけで精一杯だ。どんな手段で報復がくるか想像すると、胃が痛くなりそうだ。
「……行くぞ」
リシャール殿下が手で合図すると、取り巻きたちは「ちっ」と舌打ちしながら俺を睨んだのち、ぞろぞろと殿下の後に続いて立ち去る。周囲にいた貴族も皆、安堵なのか、あるいは事なかれ主義なのか、ほっとした表情で散らばっていく。
「……ふう」
俺は無意識に息を吐き、肩の力を抜く。全身から汗がにじみ出ていた。視線を感じて顔を上げれば、そこにはカトレアが目を伏せたまま立ち尽くしていた。何か言葉をかけるべきか、それともそのまま……。迷いが生じた刹那、カトレアはスッと目を逸らす。
「……ありがとうございます。でも、これ以上騒ぎを大きくするのはやめて。あなたが傷つくだけです」
低く消え入りそうな声が聞こえた。そして彼女は、俺の返事を待たずに身を翻して歩き出す。背筋は伸びているが、その足取りは少し重く見える。黒いドレスの裾が揺れて、静かに夜会の闇へと溶けていった。
そうして、一瞬の視線の交錯は終わる。残された俺は、誰もいない壁際にぽつんと立ち尽くすばかり。周囲の貴族たちももう近寄ってこないし、話しかける者もいない。自分で招いた結果とはいえ、ひどく心細い気分だ。
「……傷つくだけ、か。まあ、そうかもしれないけど」
それでも、後悔はしていない。あのまま黙っていたら、自分自身を許せなかっただろうから。けれど同時に、“これからどうなるのか”という不安が胸を締めつける。
遠くで微かに響く音楽が、舞踏会の終わりを告げるかのように聴こえた。この夜がもたらす結末を、まだ誰も知らないまま――俺は一人、心の中で深い溜め息をつくのだった。