第25話 廃墟での再会③
夜の闇が深まっていくにつれ、館の廊下には冷たい風だけが通り抜けていた。俺とカトレアは二階の窓辺に腰を下ろし、外の様子をうかがうように肩を寄せ合っている。どこからか木々を踏む音が響き、兵士たちの足音のような気配が立ち上るようで、否が応にも神経が研ぎ澄まされてしまう。
「……見える? あの林の先、チラチラ動いてる光。兵士が松明でも持ってうろついてるんだろうか」
「うん、確かに。たぶん夜でも捜索をやめる気がないのね。よっぽど殿下に逆らうわたしたちを捕まえたいんでしょうね」
「くそ……ここまで執拗だと逃げ道も少ない。ここを隠れ家にしていることに気づかれたら一瞬で終わりだ」
自嘲気味に唇を噛みながら、俺は視線を森の暗がりに戻す。夜目の効かない暗闇でも、松明の灯が微かに上下するのが見える気がする。かすかな風の合間に、鎧のこすれる音や人声の遠いエコーも漂ってきた。
「ねえ、アレン。もうこの場所もいつまで安全かわからないわよね。白昼になれば、兵士が再び森を捜索するかもしれない」
「わかってる。だけど、いま外へ出ても、あの光のほうへ突っ込むだけだ。夜通し走り回るには体力も限界だし、俺たちもうクタクタだろ」
「ええ……わたしだって、正直まだ足が重い。でも、こんな状態で朝を迎えるのも怖いわ」
「逃げ場がないんだよな。街へ戻るのは自殺行為だし、森の奥も行き場があるとは限らない。かといって殿下に降伏するなんて……」
言葉を切ると、カトレアが静かに首を横に振る。殿下への降伏はもはや選択肢になり得ない。無実どころか“友殺し”の汚名を着せられた今、投降しても正当な裁判など期待できるはずがない。それは二人で既に何度も話した結論だ。
「……結局、わたしたちにはここで一夜を凌ぐしか選択肢がないのね。いつ襲われるかわからないのに、どうしようもないなんて」
「そうさ。ごめん……何もできなくて。せめて今夜だけは、ここで休もう。もう限界だよ、足も腕も痛いし、このまま歩き回ったら倒れるだけだ」
「いいのよ。わたしももう動きたくないもの……ここでなら少しは休める。……うう、怖いけど、眠らないと体も頭も動かないわ」
彼女は震えるように息を吐き、俺の肩にこつんと頭を預ける。外の闇を眺めながら、それでも緊張を解くことは難しい。心のどこかで「今にも兵士が扉を破ってくるかも」という疑念が湧き上がってしまう。けれども、意識を張り詰めすぎてもどうにもならない。
「なあ、カトレア……」
「なに?」
「もし……本当にここで見つかったら、どうする? こんなに追い詰められて、俺たちはまだ抵抗できるかな」
「……正直、自信はないわ。こんなに疲れ切ってるし、逃げ道も限られてる。でも……それでもまだ諦めたくない。あなたがいる限り、踏ん張りたいのよ」
「そっか。俺も君がいるから戦える。……でも、時間はもうあんまり残されてない気がする。いつか、殿下が森ごと兵で包囲してくるかもしれないし」
「そうね。……何とかこの夜を無事に越せれば、次の手を考えよう。廃墟とはいえ、まだ広いし、隠れられそうな部屋もあるかも」
彼女が俺の腕に寄りかかりながら、僅かに笑みを作る。けれど、その瞳には焦りと不安が混じり合っていて、決して明るい未来を思い描いているわけではないのがわかる。俺も似たような気持ちだ。希望を持とうとしても、無理矢理な感が否めない。
「せめて、二人一緒なら大丈夫だと思わせてくれよ。……殿下に全部潰されてからじゃ遅いけど、なんとか道を探さなきゃ」
「うん、そう……わたしたちの間にあるものだけが、いまは唯一の頼りだから。あなたを信じたいし、あなたもわたしを信じて」
「当たり前だろ。今さらお互いへの信用がなくなったら、もう破滅一直線だよ」
カトレアが微かに笑う。半ばやけのような悲しい笑いだけど、それでも二人でいられることは大きい。俺たちはボロボロで、いつ失ってもおかしくない絆かもしれないが、それが今の唯一の支えだと痛感する。
「ねえ、アレン。ごめんね、こんなわたしに付き合わせて。あなたならもっと上手く生きられたかもしれないのに」
「なにを言ってるんだよ。俺こそ、君がいなかったらとっくに殿下に屈服していただろうし、もうとっくに首をはねられてたかもしれない」
「ふふ、そうかもしれないわね。でも……どちらにせよ、ここまで生き延びてこれたのは二人だからこそよ。忘れないで」
「わかった。絶対忘れない。……これからどんなに追い詰められても、俺たちが一緒にいる限り最後の時まで走り続けたい」
「ええ。最後までね」
廃墟の窓からは、森の外れにちらちら動く明かりがまだ見えるような気がする。兵士か刺客か――どちらにせよ、敵意に満ちた視線が暗闇の向こうから刺さっているかもしれない。けれど、そんな不安の中でも、カトレアが寄り添ってくれるのは救いだった。
「……このまま、時間を稼ぐだけになりそうだ。殿下の包囲が狭まる前に何か奇跡が起きてほしいけど、そんな都合のいいことないよな」
「奇跡なんて……本当に起きたらいいのに。でも、わたしたちに残されたものは少ない。魔法もないし、味方もほぼ消えたし……」
「それでも、俺たちにはお互いがいる。かりそめでもいいから、この夜くらいは少し休もうよ。明日に起こることは明日考えよう」
カトレアは静かにうなずく。抱き合わせるように俺の肩へ頭を預け、どうにか目を閉じる姿が頼りなくて愛おしい。彼女に温もりを届けることくらいしか、俺にはできないのが悲しいけれど、それでも少しでも心を休ませてやりたい。
「わたしたち、もう時間がないんだなって感じる。ぎりぎりのところで何とか息をしてるだけかも。いつ扉を破られるか、わからない」
「そうだね……。でも、それでも今夜だけはここで眠ろう。明日のことは明日、どんな形であれ迎えるしかない」
「うん……おやすみ、アレン。少しだけ目を閉じるわ」
「うん、おやすみ。俺が少し見張るから、ゆっくり休んで」
カトレアが頭を預け、俺はそっと彼女を抱き寄せる。空気が冷たいが、二人の体温で少しは和らぐかもしれない。外で吹く風は不吉に唸るが、窓枠からは星も月もほとんど見えなくて、まるで世界が闇に埋もれているような錯覚に囚われる。
「……もう時間がない。そうかもしれないな」
ひとりごちて、俺はカトレアの寝顔をちらりと見やる。弱りきっていながらも必死に耐えている姿が痛ましい。でも、その苦境が俺たちの気持ちを一層強くしたとも言える。これまでの逃亡生活で何度も折れかけたが、二人一緒ならまだ歩き続けられる。
「頼むから、今夜だけは兵士や刺客が来ないでくれ。せめて……少しだけでも休ませてやってほしい」
空しく呟いても、答えはない。だが、ここまで生き延びてきたのだから、奇跡とまでは言わずとも、この夜くらいは無事に過ごしたい。殿下の包囲網は確実に狭まっていて、あすには屋敷を探索されるかもしれないが、それでも今は暗闇に身を沈めるしか選択肢がない。
「……頼む、あと少しだけ時間を。たとえ明日が来なくても、この夜が俺たちにとって最後の安息であってくれ」
窓の外からはまた僅かに枝を踏む音が聞こえるが、まだ遠いようだ。カトレアの肩を支え、彼女の安らかな寝顔を見つめながら、焦燥感と静かな絶望が胸を渦巻く。やるべきことは見当たらない。時間が迫っているのがはっきりわかるが、今はせめてこの片時の平穏にすがるしかない。
「……明日はどうなるのかな。でも、君と共にいる限り、一歩でも先へ進みたい。もう選べる道は多くないけど……それでも」
瞼が重くなり、俺自身も意識が浅くなってくる。眠れば危ないとわかっていても、体が悲鳴を上げている。カトレアに倣うように目を閉じかけた瞬間――森の夜風が冷たく裾を揺らし、微かな悪寒を感じさせる。まるで「もう時間がない」と囁くように、遠くでまた兵の足音がかすかに響き渡っていた。




