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月下の反逆者 ~王太子に逆らった青年と断罪された令嬢の逃避行~  作者: ぱる子


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第24話 王太子の包囲網③

 夜の闇が静かに広がる中、俺たちはようやく見つけたボロ小屋へと逃げ込んだ。屋根の一部が崩れかけ、壁に大きな隙間があるような惨状だが、雨風をしのげるだけまだマシだ。先ほどまでちらついていた細かな雨の音が、ここではほとんど聞こえなくなり、少しだけ安堵の息が漏れる。


「ごめん。こんなところしか確保できなくて……本当はもう少しちゃんとした休める場所を探したかったんだけど」


 俺は申し訳なさげに周囲を見回しながら、カトレアの表情を窺う。ほの暗い室内は埃っぽく、床板も軋んでいる。まったく快適とは程遠いし、先日まで豪奢な王宮生活をしていた彼女にとっては、到底受け入れがたい環境だろうと思う。


「ううん、謝らないで。わたしだってそれを承知で逃げてるもの。あなたが場所を見つけてくれただけありがたいわ」


 カトレアは微笑むけれど、その微笑はどこか痛々しい。今まで殿下の圧力で宿や店から追い出され、まともに休む暇さえなく移動を繰り返してきた。それでも彼女は「気にしない」と言ってくれるから、逆に胸が締めつけられる。


「……ごめんね。もし俺が殿下に楯突くなんてしなければ、君はこんな目には――」


「言わないで。それ、何度も言ってるけど、わたしも自分で選んだのよ。殿下のやり方が嫌で、あなたを見捨てるわけにいかなかった。それに……今、あなたがいてくれるだけで、わたしはまだ救われてるの」


 そう言いながら、彼女は埃だらけの床に腰を下ろす。肩を落としてはいるが、どこか安堵の表情も混じっているように感じる。俺もその隣に腰を下ろして、肩越しに彼女を見つめた。


「……そっか。そう言ってくれるなら助かるけど。俺は本当、力不足だって痛感してるんだ」


「同じよ。わたしだって自分の無力さを痛感してる。文書もエレナさんも失ったし……どれだけ逃げ回っても状況は悪くなる一方だわ」


 カトレアが声を落とし、乾いた笑いを漏らす。部屋には月明かりすらろくに差し込まず、壁の隙間から夜風が冷たく吹き込むだけ。外の雨音が弱まったのは僥倖だけど、どこかから兵士や刺客が現れるかもしれない恐怖は消えないままだ。


「でも……あれだよね。お互いが一緒にいる限り、まだ終わりじゃない。これがもし一人だったら、もうとっくに心折れてたと思う」


「ええ、わたしもそう。あなたと会えなかったら、とっくに殿下に屈服させられてたか、あるいは心が壊れてたでしょうね」


「……カトレア」


 改めて彼女の顔を見ると、その瞳には微かな希望が宿っているようにも見える。肩や腕にこわばりは感じられるが、それでもギリギリのところで踏ん張っている。俺は手を伸ばして、そっと彼女の手の甲に触れた。


「君のプライドは折れてないし、俺だってまだ立ち止まってはいられない。何もかも失ったようだけど、二人でいればきっと……」


「……そう、二人ならまだ足掻ける。エレナさんも最後までわたしたちを応援してくれた。ロイドは裏切ったけれど……わたしたちは負けたくないわ」


 カトレアが苦笑いを浮かべながら、自分の手を俺の手に重ねてくる。互いに疲れ切っているからか、いつもより距離が近く感じられて、ほんの一瞬、胸が熱くなった。


「ありがとう、カトレア。何度も言ってるけど、本当に……君がいなかったら、きっと俺は殿下に屈してたと思う。領民を守るためにって言い訳して」


「わたしこそ、あなたがいなかったらもう何度も心が折れてた。エレナさんの死に目だって、あれほどの悲しみを乗り越えるのは一人じゃ無理よ」


「俺たち、ずいぶん変わったよな。夜会で初めて会ったとき、まさかこうして命を賭けた逃亡生活をするなんて想像しなかった」


 思い出すだけで苦笑がこぼれる。華やかな舞踏会に圧倒され、「高飛車な美女」だと噂されていたカトレアに俺が惹かれ、そして殿下に逆らったことがすべての始まり。それがいま、こんな廃屋で雨宿りしながら寄り添うなんて人生わからないものだ。


「……ねえ、アレン。もう少しだけ先に進んで、より安全な場所を探そうと思うの。でも、それって安易かしら?」


「安易じゃない。夜の街をうろつく危険もあるけど、ここも長く留まれば目立つし、いまにも崩れそうだ。もうちょっと落ち着ける場所があればいいんだが」


「そうよね。いまは休むしかないかもしれないけど、わたしはこの場所にずっといられる気がしない。兵士の巡回を考えたら朝まで安心とは限らないし」


 カトレアが溜息をつき、寄りかかるように肩を預けてくる。その重みが愛おしくもあり、状況の厳しさをひしひしと感じさせる。俺はまたしても無力感を噛みしめながら、せめて彼女だけは守り抜きたいと願った。


「……そうだ、君の実家の廃墟とかどうなんだろう。レーヴェンシュタイン家の旧館が王都近郊にあるって聞いたことがあるけど、そこはもう使われてないんだよな?」


「ええ、昔は離れに古い館があったけど、いまは使われてないし誰も住んでいないわ。廃墟のようになってると思う。……だけど、逆にそれが都合いいかもしれない」


「そっか、使われていないなら人目につきにくいし、兵もわざわざ廃墟を巡回しないだろう。地理がわかってる君なら、逃げ込むのに悪くないかも」


「うん……。確かにあそこなら天井や壁も残ってるはずだし、一時的な隠れ家にはなるかもしれない。でも……そこ、わたしにとってはあまりいい思い出のない場所なの」


「……気持ちはわかるけど、いまは感傷に浸ってる余裕もないからな。もし他に手がなければ、行ってみるのも手段の一つだよね」


「そうね。もっと体力が戻ったら、考えてみるわ。今日は、とにかく寝るしかないわね」


 カトレアはそう言うと、少しだけ身を横にして膝を抱え込むように身体を丸める。俺はそっとマントを広げて、彼女の肩にかけてやる。そよぐ風が肌寒いが、これくらいでしか温もりを届けられないのがもどかしい。


「君と一緒にいることが、俺にとって唯一の希望なんだ。こんな状況でも逃げられる気がする。……ありがとう」


「わたしも……あなたがいなかったら、本当にどうなってたか。ありがと、アレン」


 彼女が微笑んで、僅かに首を傾げて目を閉じる。その姿を見て、俺もようやく心が安らぐような気がした。いまはまだ明るい未来なんて見えないけど、二人で寄り添える温もりがあるだけで、完全な絶望は回避できる。


「……この闇夜を越えても、兵士や刺客がしつこく追ってくるだろう。何があっても、絶対に諦めないからな」


「うん……わたしも、エレナさんを無駄にしたくないし……あなたを失いたくないから……」


 カトレアはまた少しだけ目を開き、俺を見上げる。互いにボロボロのはずなのに、こうして言葉を交わすだけで心が支えられる。そんな想いが伝わってくるようで、不思議と安堵が胸に広がる。


「休もう、カトレア。眠れるときに眠っておこう。明日は、というか、夜が明けたらまた逃亡の続きだ。いつ回り込まれてもおかしくないから」


「ええ、そうね。わたし、少しは睡眠がとれそう……あなたも、体力は大事にして。倒れたらわたしが困るわよ」


「わかってる。じゃあ、先に寝てくれ。後で交代しよう」


 俺は壁に背を預けて、扉のあたりを見据える。小さな小屋の中はすきま風が吹き込み、肌を冷やすけれど、二人きりの空間があること自体が救いに感じる。カトレアは「ありがとう」と口の動きだけで伝え、まぶたを閉じた。


「はあ……本当、この子を一人にはさせられない。あんまり役に立ててないけど……絶対、守るからな」


 そう心の中で誓いながら、視線を落とす。殿下の包囲網が夜通し狭まりつつあるのを感じながらも、この一瞬の静寂で彼女を休ませないと先に進めない。今は二人だけで生き延びることに集中するしかない。

 ボロ小屋に響くのは、かすかな風の音と彼女の静かな寝息だけ。そこには重苦しい悲壮感と、わずかな温もりが共存していた。俺たちは多くを失い、まだ一筋の光さえ見えてこない。でも、互いへの想いが唯一の希望となっている――それだけを胸に、また過酷な夜が明けるまで、俺は目を凝らして闇を見つめ続けるのだった。

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