第24話 王太子の包囲網②
再び日暮れが迫っていた。夜ごとに厳しさを増す王都の空気に、俺とカトレアは既に身も心も擦り減っている。道行く人々が、こそこそと俺たちを指さしては「ほら、あれが反逆者だって……」「エレナを殺したんだって……」と密かに囁いているのが聞こえると、胸が締めつけられるように痛む。
「……ごめん、カトレア。こんな状況でまともに宿も取れなくて」
あまりの疲労に、彼女の足取りはいつも以上に重い。夜が更ける前に寝床を確保したいと思っても、追われる身になった今では、普通に宿を借りるなんて夢のまた夢だ。俺たちは、目立たない小さな宿をいくつか回っていたが、どこも結果は同じ。
「あの……すみません、一晩だけ部屋を……」
「悪いけど、満室だ。帰ってくれ。……ついでに言うと、客引きしてないから」
皮肉交じりの言葉で追い払われることもあれば、店の扉すら開けてもくれず「反逆者はご遠慮願う!」と罵声を浴びるパターンもある。カトレアはそれが何度も繰り返されるうちに、顔から血の気が引いていく。
「昔はこんな扱いされるなんて想像もしなかったのに……。王都はわたしにとって、ただの地獄になり果てたわね」
「……本当にごめん。俺たちが殿下に楯突いたから、君までこんな目に……」
「何言ってるの。わたしも一緒に殿下を糾弾したようなものよ。あなたのせいじゃないわ」
カトレアは弱々しい微笑みを浮かべるが、その眼差しは暗く、消耗の色が濃い。俺自身も足を引きずるように歩き続けていた。もう何日ろくに眠っていないのかわからない。
「それにしても……宿どころか、まともに買い出しもできないなんて。食料も底をついてきたし……」
「ひとまず道端で売ってる屋台に行くとか……いや、目立ちすぎるし、あの手配書のおかげで、すぐ“殺人鬼だ!”と喧伝されかねないわ」
彼女の言う通り、路上で買い物をしようものなら周囲の視線が一気に集中するだろう。実際、俺たちは街中に入るたびに、周りがサッと道を避けるようにして距離をとるのを何度も感じている。誰もが“国賊”と関わりたくないのだ。
「くそ……以前、何度か善意を示してくれた人もいたはずだけど、今は殿下の命令が絶対なんだよな。罰を恐れて、誰も手を貸してはくれない」
「そうよね。リシャールの威光に逆らったら、彼らも兵に捕まるかもしれないし……。わたしたちを庇ってもメリットなんてないから」
「……わかってるけど、辛いな。こんなに冷たい空気しか感じられなくなるなんて」
歩みを続けるうちに、また一軒の小さな宿の前にたどり着く。だが、看板は暗く、扉も閉ざされ、まるで“おまえらなんか泊めない”という意思がひしひしと伝わってくる。恐る恐るノックしてみたが、返事はない。
「……だめか」
「仕方ない。こうして夜を明かすしかないわね。少しでも人目につかない路地裏のほうがいいかしら」
カトレアが心底疲れきった表情でため息をつき、ふと膝を折りかける。俺は慌てて腕を回して支えた。肩越しに彼女を覗き込むと、その目が潤んでいて、限界が近いのが見て取れる。
「まだ歩ける? ごめん、本当に……守れなくて」
「いいのよ。あなたが悪いわけじゃないってば。こんなの、誰も予想できない状況だし」
「……でも、同じ反逆者という汚名を着せられたとしても、エレナさんみたいに命がけで協力してくれた人だっていたんだ。俺は彼女を救えなかったし、今も君をこんな目に合わせて……」
「気にしないで。わたしたちは同罪よ。わたしだってあの夜会で口をつぐんでいれば、いまこんな目には遭わなかったかもしれないし。でも、それを選ばなかったのはわたしだから」
「……カトレア……。ありがとう」
彼女は疲労と空腹、そして精神的ダメージで足がすくみそうになっているのを必死で立て直している。せめて水や食料を手に入れたいが、それさえ叶わない国賊扱いに心が痛む。
「アレン、隠れられそうな裏通りがあるわ。……ほんと、寝床なんてものじゃないけど、せめて雨風をしのげればマシよ」
「そうだね。食料はどうしよう……また明日だな。今日も何も食べずに夜を越すのか」
「空腹は耐えるしかないわ。下手に人の前へ出ると、絶対に通報されるもの」
「うん……。殿下の包囲網、半端ないよな。きっと“エレナ殺害犯はどこにいるか?”って皆がピリピリしてるんだろう」
カトレアは俯いて黙り込む。見れば、遠くの通りには数人の市民が歩いているが、俺たちの姿を見つけると怖がるように方向転換したり、急ぎ足になったりするのがわかる。決して声をかけてくれる人なんていない。どころか、誰も目を合わせようともしない。
「……あの人たち、昔は気さくに声かけてくれたりしたのにね。勝手なものだわ」
「殿下の名前を出されれば仕方ないのかもしれないが……寂しいな。国中が俺たちを敵とみなすのは」
「そうね。エレナさんを殺した凶悪犯っていう嘘まで広がったら、誰も寄り付かないわよ。どんなに助けを求めても無駄かも……」
カトレアの声がかすれ、膝が再び揺らぐ。どうにか耐えさせてやりたいが、こちらも手立てがない。進む先には薄暗い路地しかなく、夜が明ければ兵の巡回がさらに増えるだけだ。
「……こっちだ、カトレア。裏道を少し入ったところに小さな小屋が見える。壊れかけてるかもしれないが、屋根があるだけでも……」
「わかった……。もう、そんな場所でもいいから休みたい。ごめん、わたし、もう……足が重くて……」
「いいんだ、支えるから。疲れたときは遠慮なく言ってくれ。こんなにも歩かせてるんだから、当たり前だよ」
「ううん、あなたこそ消耗してるはずなのに……ありがとう」
そう言い合って、朽ちかけた木造小屋へ足を向ける。ドアは外れており、天井から穴も空いているが、外で野宿するよりはましだろう。俺たちはこの崩れそうな空間へ入り、埃を払いながら下に腰を下ろす。
「……これが今のわたしたちの宿泊先なんて……信じられないわ。あんなに豪華な王宮で暮らしてたころが夢みたい……」
「それはもう昔の話だよ。今は生き延びるだけで精一杯だ。カトレア、少し眠れる? 俺も寝たいけど、交代で見張っていないと不安だな」
「そうね……わたし、少し休むわ。昨日からまともに寝てないし……」
「うん、俺が見張っておくから。時間がきたら交代させてくれ」
カトレアは限界のようで、「ごめんね」と呟きながら壁にもたれかかって目を閉じる。たちまち深い眠りに落ちそうな気配だ。俺も瞼が重いが、彼女が寝ている間は注意を怠らないようにしなければならない。
「……はあ、こんな姿見たらエレナさん、なんて思うだろうな。ごめん、みんなごめん……」
誰にも聞こえないように小さく呟き、足を抱える。もう随分と後ろ向きな言葉を吐き続けている自分を自覚して、それでも立ち直る手段は見つからない。国中が俺たちを嫌い、恐れ、協力を拒む――リシャールの包囲網はまったく隙を見せない。
「でも、カトレアを守らないと。あいつが倒れたら、本当に終わりだ」
内心でそう決意しても、妙な空虚感が支配していて気力が沸かない。外を見れば、夜の明かりがかすかにゆらめいているが、そこに俺たちの居場所はない。いつ警戒の兵士や刺客がうろつき始めるかわからないのだ。
「……すまない、カトレア。こんな状況に引き込んで。俺がもっと上手く立ち回れてたら……」
カトレアは眠りに落ちていて、返事はない。その寝顔には疲労の色が濃いが、微妙に唇が歪んでいて、悪い夢でも見ているのかもしれない。俺はそっと毛布を被せながら、扉のほうへ身体を向けて警戒を続ける。
「リシャールが作り上げた“嘘の世論”は本当に恐ろしいな。誰も俺たちを助けちゃくれない。味方になってくれる人なんてもう……」
言葉を切り、虚ろな目で暗い路地を眺める。どの宿にも拒否され、物資も手に入らず、この先どうやって生き延びるのかさえわからない。そんな苛立ちを覚えつつも、カトレアの寝顔を見ると、何とか支えないとと歯を食いしばるしかなかった。
「殿下が手を緩めるはずがない。エレナさんの死だって平然と嘘で塗り固める。それでも……それでも、踏ん張らないと」
ただ小屋の扉越しに夜風の音を聞きながら、俺はせめてカトレアを休ませるためにも動じないように気を張る。しかし、胸の奥底には寒々しい不安と絶望が根を張り続けていた。
国中が敵――そんな言葉がこんなに重いとは思わなかった。けれども、いまはまだ最悪の結末ではないと自分に言い聞かせるしかない。どうにかカトレアが眠っている間、兵士の足音が近づかないように祈りながら、こんなボロ小屋で一夜を明かす覚悟を決める。
暗い闇の奥に、ほんの少しの光も見えない状態。それでも、俺が倒れれば何もかも終わりだ。友を失い、信頼を裏切られ、嘘の罪で国中を敵に回しても、カトレアのために――まだ立ち止まれないと心を震わせるしかなかった。




