第23話 友の死と絶望②
あまりにも深い闇のなか、俺たちはどうにか廃れた建物へと足を踏み入れ、荒い息を吐きながら体を休めようとしていた。先ほどの襲撃を辛うじて切り抜けたとはいえ、すぐに次の追っ手が来ないとは限らない。とにかくエレナをかばいながら休ませ、わずかな体力の回復を図らなければならなかった。
「カトレア、いまは大丈夫? 足、痛めたりしてないか?」
「だいじょうぶ。ちょっと足がもつれただけ。……でも、これ以上逃げ続けるのは限界があるわね。エレナさんの状態も……」
カトレアが息を詰めながら横目でエレナを見やる。エレナは床に敷いた布に横たわり、かすかな呼吸を繰り返していた。背中や腕には苦しそうに血が滲んでいて、明らかに痛みが増している様子だ。
「少しだけでも、止血を徹底したいんだけど……照明が足りないし、道具も乏しすぎる。こんな状態で……」
「ううっ……」
エレナが苦しげにうめく声が響く。俺は申し訳ない思いで胸が締めつけられながらも、頭を撫でるように手を当て、呼吸を整えさせようとする。
「エレナさん、もう少し、もう少しだけ……」
そう励ました矢先――外の静寂が急激に動きを帯びた。さっきまでは聞こえなかった足音が、複数重なって近づいてくるのがはっきりと分かる。ぞわりと嫌な寒気が背筋を走った。
「アレン……また……」
カトレアが声を震わせて警戒の姿勢をとる。今度こそ、奴らの増援が押し寄せてきたに違いない。刺客の第2波。もう逃げ道はそう多くないのに。
「そうか、あいつら、一度は失敗したけどすぐに仲間を呼んだんだ。くそ……もう落ち着いて介抱なんかできない!」
「とにかく、もう一度逃げる? でもエレナさんを抱えたままじゃ……」
「もう逃げ切れないかもしれない。それでもやるしか――」
言葉をかき消すように、ドンと扉が激しく揺れる音。先ほどと同じように、今度はより大人数の気配がする。一瞬にして血の気が失せるが、ここで怯んだら終わりだ。短剣を握りしめ、カトレアが補助武器を構える。
「ここで捕まれば、本当に終わる……絶対にやらせないわよ!」
「そうだ。文書も……エレナさんの命も、守りきる……!」
ギリギリと扉が破られ、刺客が一斉に流れ込んできた。先ほどの連中よりも多い。中には明らかに慣れた立ち回りの大男や、素早く動く痩せ型の剣士など、まるで“殺しのエキスパート”という雰囲気のメンバーが混ざっている。兵というより闇の殺し屋集団の印象が強かった。
「急げ! あの女を生かしておくな。文書さえ奪えばいい!」
「“国賊ども”に余計なチャンスを与えるなよ。早く仕留めるんだ!」
口々にそう言いながら、刺客たちが間合いを狭めてくる。俺とカトレアはエレナを庇う形で後退しつつ、なんとか応戦したが……いかんせん相手が多すぎる。カトレアが棒で牽制しても、2、3人がかりで撹乱しようと試みてくるのが見えた。
「くっ……カトレア、逃げ場がない!」
「もう少し、隙を作れないかしら! エレナさんを抱えて動いたら追いつかれるし……」
「わかってるけど、どこか隙間を……っ!」
必死に短剣で受け流そうとするが、一撃ごとに腕がしびれてくる。カトレアも棒を何度か叩きつけて刺客を払っているが、向こうは数の利で徐々に詰め寄ってきた。乱戦の中、視界の端でエレナがぐったり倒れこんでいるのが痛ましすぎる。
「やめてっ……彼女は瀕死なのよ! これ以上……!」
カトレアの叫びを無視するように、ひとりの大男の刺客がエレナのほうへ迫っていく。俺は焦ってそっちに走ろうとするが、手前の細身の男が鋭い剣を突きだしてきた。
「邪魔だ!」
「うわっ……!」
剣先を短剣で弾こうとしたが、それでも体勢が崩されて床に転がる。目の端でカトレアが「アレン!」と叫ぶものの、そこにはもう一人の刺客が割り込んでいて近づけない。
「終わりだ、そいつを刺し殺せ!」
「やめて……エレナさん……!」
目を上げると、大男がエレナを足で踏んづけるようにして、さらに剣を振りかぶっていた。圧倒的な無力感が襲い、全身から血の気が引く。
「やめろ……やめてくれええっ!!」
声を振り絞り短剣を投げつけるように放つが、的外れに刺客の肩をかすめるだけで止めきれない。刺客は「ぬるいな……」と鼻で笑い、大ぶりの剣をエレナの脇腹に突き立てた。
「――ッ!!!」
エレナが声にならない悲鳴をあげ、血がまた一気に溢れ出す。カトレアが絶叫し、俺も混乱で頭が真っ白になる。なんて残酷な……!
「やめろよおおぉ!!」
周囲の刺客がニヤリと笑っている姿が視界に入るが、どの男も極めて冷酷だ。大男がエレナの体から剣を引き抜き、続いて彼女の手に握られていた小さな袋を引っ張り出す。
「これが殿下の“望んでる”モノだな。なるほど、たいそう大事に抱えてたようだ……」
「返して……それがわたしたちの最後の……!」
カトレアが必死で棒を振るうが、別の刺客が横から蹴りを入れ、彼女を地面に転がす。俺も立ち上がろうとするが、刺客のひとりに腕を押さえつけられて動けない。目の前で、大男が袋を破るように引き裂き、書類を荒々しく取り出す姿が見えた。
「これがそうか……ふん、燃やせと殿下は言っていたからな。ここで“処分”してやるか……!」
「やめ……やめてくれ……!!」
悲鳴に近い声が喉から飛び出る。大男が持っていた小さな火打石で書類の端に火をつけると、淡い炎が書類を包み込み始める。パチパチと燃える音が、俺たちの希望を嘲笑うかのように響いた。
「やめろおおお!!!」
力を振り絞って刺客の腕を掴むが、まったくびくともしない。あっという間に書類は炎に包まれ、灰となって散っていく。その瞬間、カトレアの悲鳴が路地に響き渡る。
「うそ……嘘でしょ……こんなの……嫌ぁっ!」
手を伸ばしても、燃え上がる文書は既に粉々に崩れ落ちていくしかない。エレナが託してくれた“リシャールの不正の証拠”が、目の前で呆気なく消えてしまう。あまりに無力で、悔しさに歯を食いしばっても止まらない涙が込み上げる。
「くそ……ああ、やめてくれ……頼む……!」
「おまえらも殿下への反逆者だ。いずれ処刑される身だ。残念だったな、せっかくの証拠もこうして灰だ」
「……嘘だろ……なんで、なんでこんな……!!」
声を震わせながら、俺は足元で血まみれになったエレナのほうへ視線を走らせる。彼女は薄目を開けて、俺とカトレアの姿を捉えようとしているようだが、焦点が合わない。今にも息が途絶えそうだ。
「エレナさん……ごめん、守れなかった……! 文書も、あなたの命も……!」
「アレン、だめ、エレナさんが……っ!」
カトレアが悲痛な叫びをあげ、エレナに駆け寄ろうとするも、別の刺客が刀で脅すように動きを止める。もうどうにもならないのか――絶望が頭を支配する。エレナがかすれた声で「ごめん……わたし、が……」と言いかけるが、そのまま意識を失ってしまう。
「エレナさん……ああ……!」
「ひどい……どうしてこんな……」
ガクリとエレナの体が動かなくなり、血の海に沈んでいく。俺は力任せに刺客を突き飛ばしたが、あまりにも遅かった。周囲の刺客が「ターゲットは無力化したし、文書も処分した。殿下が求める仕事は終わりだな」と笑みを浮かべているのが憎くて仕方ない。
「やめろ……もう……こんなの、あんまりだ……!」
「ふふ、殿下に報告するだけだ。あと、おまえたちを捕縛するか殺すかは指示次第か。どのみち希望なんかないぞ、国賊ども」
目の前が真っ暗に落ち込む。せっかく手に入れた“希望の証拠”が燃やされ、エレナは瀕死を超えて今にも息絶えようとしている。カトレアの絶叫と、俺の怒りが夜の闇に響き渡るが、何の救いもない――まさに最悪の事態だ。
こうして、エレナは声すら出せないまま倒れ、命の灯が消えかかっている。俺とカトレアの目の前で、最後の希望だった書類は炎に包まれた灰となる。追い討ちのように、刺客たちは満足げな笑みを浮かべて「任務完了だな」と呟いていた。すべてを失いかけているという実感が胸を抉り、絶望が血のように滴り落ちる。




