第22話 希望の証拠③
あたりはまだ夜の気配が濃く、月も雲間に隠れてほとんど光を落としていない。そんな闇の路地の奥で、俺はカトレアと一緒にエレナを抱きかかえるようにしていた。彼女の命の火は今にも消えそうだったが、その手には殿下の悪行を示す“最後の希望”がしっかり握られている。
「アレン、この文書……本当にわたしたちを救ってくれるかもしれない。リシャールの不正を暴けるなら、わたしたちが国賊扱いされてるのも覆せるわ!」
カトレアが息を詰めたまま、興奮混じりに言う。その瞳は先ほどまでの不安を塗り替えるように、希望の光を帯びていた。俺も震える胸を押さえながら、わずかに微笑を返す。
「エレナさんが命を懸けて手に入れた証拠なんだ。きっと殿下が絶対に隠したい真実が詰まってる。これがあれば……今度こそ殿下を追い詰められるかもしれない」
「ええ、ずっと逃げ回るだけだったわたしたちに逆転の可能性が見えてきた。……ありがとう、エレナさん」
カトレアの感謝の言葉にエレナはかすかに意識を取り戻したようで、うっすらと目を開ける。しかしやはり言葉にはならず、ただ苦しげに唇を震わせるだけ。彼女の手から力が抜けていくのを感じて、俺は緊張を走らせながら首を振る。
「まずは安全な場所へ行かないと、また兵士に見つかる。エレナさんを横にして手当てするだけのスペースが欲しいし、明かりも足りなさすぎる」
「そうね。わたしたちもこのまま路地で立ち尽くしてたら、すぐに追い詰められるわ。できるだけ人目につかない家や建物……ないかしら」
「くそ、あちこち兵士が徘徊してるし、まともな宿に入ったら通報される。誰か当てがあるわけでもないし……とにかく歩き続けて安全な廃屋でも探そう」
そう提案している間にも、エレナがうめき声を上げる。高熱が出ているのか体が火照っていて、呼吸も荒くなっている。このままでは命が危ないという考えが頭を支配して焦りが募る。
「アレン、エレナさんを支えるから、一緒に支えてくれない? 彼女、もうほとんど足に力が入らないみたい」
「わかった。カトレア、そっちは大丈夫? 重くないか」
「平気よ。わたしだって怪我してるわけじゃないし、このくらいなら耐えられる。……彼女に比べたら、何でもないわ」
カトレアがエレナの肩を引き寄せ、俺が腰のあたりを支えるようにして二人で支える。血まみれの彼女を抱えると、やはり胸が痛む。こんなことになったのも、殿下の不正を暴こうとした結果だ。彼女が自分を犠牲にして手に入れてくれた“最後の希望”を、決して無駄にはできない。
「落ち着いて、エレナさん。もうすぐ……きっと場所を見つけるから」
「え、ええ……ごめん……わたし……こんな姿でしか……貢献できなくて」
「貢献どころじゃないだろ。あんた、命を賭けて……こんな大仕事をやってのけたんだ。全部を賭けて殿下の証拠を手に入れて……尊敬するよ、ほんと」
エレナのまぶたは閉じたり開いたりを繰り返すが、一応意識は保っているらしい。カトレアが苦しそうに顔をしかめながら、その姿を撫でるように見つめる。
「エレナさん、ありがとうございます。絶対にこの文書……わたしたちが殿下の悪行を公にしてみせます。だから、死なないで……!」
「うっ……死にたく、ない……まだやり残したこと、いっぱい……」
途切れがちな言葉がせつなく響く。俺は唇を噛んで、彼女の体を微調整しながら少しずつ夜の道を進んだ。立ち止まれば兵士に追いつかれる可能性が高まるし、かといって闇雲に走ればエレナを痛めてしまう。絶妙な速度を保ちながらの移動が必要だ。
「くそ……なんとか耐えてくれ。今度こそリシャールに勝てる可能性が見えてきたんだ。こんなところで全滅してなるものか!」
「ええ、わたしたちがこの文書を活かせば、殿下の捏造だって覆せるかもしれない。わたしたちが国賊じゃないこと、カトレアが他国と通じてないこと、ぜんぶ証明できるんじゃない?」
「うん。正直、どんな内容かわからないけど、エレナさんが命を懸けて手に入れた以上、相当強力なものに違いない」
カトレアの瞳が再び輝きを取り戻していくのを感じる。俺も同じだ。この文書さえあれば、殿下の根拠なき悪行を白日の下に晒せるはずだ。そして、自分たちの無実だって証明できるかもしれない。
「殿下がロイドまで取り込んで、わたしたちを追い詰めたのも……この文書があるからこそ必死になってるのかもしれないわね」
「そうだ。あいつにしてみりゃ、これほど都合の悪い証拠は存在しないんだろう。エレナさんが倒れるのも当然だ。殿下は全力で阻止したかったに違いない」
「だからこそ、わたしたちが絶対にこの文書を活かしてみせるのよ。もう逃げるだけじゃない。……リシャールの時代は終わらせるわ」
カトレアの言葉には力がこもっている。エレナの顔が苦痛にゆがんでいるのを見ると心が痛むが、それでも前を向かせてくれるのは“希望”だ。文書を握りしめながら、俺は改めて決意を固める。
「必ずやろう、殿下を止めよう。あんたがいる限り、俺は諦めないよ、エレナさん。絶対に死なせやしない」
そう言うと、エレナは薄く唇を動かし、小さな微笑を作ろうとしたように見えた。声は出ないが、その表情だけで彼女がまだ生きる意志を失っていないと感じられる。
だが、夜の街にはあちこちに兵士の影が潜んでいる気配がする。少し遠くから聞こえる甲冑の音や、「逃がすな」という声が風に乗って微かに耳をかすめた。カトレアが息を詰めて、こちらを振り向く。
「アレン、まずは安全な場所を見つけなきゃ。文書はともかく、エレナさんを何とかしなきゃ……苦しそうだわ」
「わかってる。頼れる仲間はもうほぼいないけど……なんとか人目に付かない建物を探そう。ここで捕まるわけにはいかない」
「絶対にあいつらに渡してなるものですか。文書も、エレナさんの命も、わたしたちが守るのよ」
「うん。もう絶対に失わない。死なせたりしないし、これ以上仲間を裏切り者に奪われるのもゴメンだ……!」
拳を握って誓い合い、エレナを支えて再び路地裏を歩き出す。満足な明かりもない深夜の街だが、俺たちの心には確かに希望の灯がともっていた。殿下に一方的に踏みにじられていたわけじゃない――いまこそ反撃の切り札を握ったのだ。
とはいえ、まだ兵士の捜索は続いているし、いつ急襲されるかわからない。綱渡りの状況には変わりないが、俺たちにはエレナが託してくれた“決定的な文書”という一筋の光がある。
「よし、何が何でも勝とう。殿下の捏造を暴いて、わたしたちが無実だと証明するんだ。カトレア、エレナさん……頑張ろう」
「ええ……逃げてばかりのわたしたちが、やっと反撃に出られるかもしれない。これがわたしたちの切り札になるのよ」
「うん。見てろよ、殿下。あんたの嘘を全部暴いてやる……!」
声には緊張が混じるが、それでも心に芽生えたのは確かな高揚感。この夜の闇さえ切り開いていける気がする。だが、同時に遠くでかすかに響く兵士の声が、危うい現実を思い出させた。
まだ王都の夜は終わらない。俺たちが手にした“希望の証拠”を守り抜くため、そしてエレナを決して死なせないため――次なる避難先へと足を向ける。その先には、さらなる試練が待ち受けているかもしれないが、いまはこの瞬間、確かに胸に光が宿った。




