第20話 ロイドの裏切り③
ロイドが去ってから、部屋に戻った俺たちはさっそく移動の準備に取りかかった。とはいえ、荷物といっても潜伏生活の必要最低限しか持っていない。服や簡単な寝具、少しの食糧くらいなものだ。カトレアと分担しながら、地図を確認して移動ルートの復習をしている最中、彼女が不意にため息をついた。
「……ねえ、アレン。やっぱりわたし、どうにも引っかかるのよ。ロイドが来てからずっと、変な胸騒ぎが消えない」
そう言う彼女の瞳はどこか落ち着かず、床を見つめたまま。俺は彼女がロイドに抱く不信感を前々から察していたが、改めて話を聞くのはこれが初めてかもしれない。
「胸騒ぎって……さっきもそんなこと言ってたけど、何がそんなに気になるんだ? ロイドはわざわざ危険を冒してここに来てくれたんだぜ。助けようとしてくれてるんだ」
「ええ、そこはわかるわよ。彼が危険な橋を渡ってるのも知ってる。けど、さっきのロイドは……“目が笑っていなかった”っていうか、何だか表情が作り物めいて見えたの」
「目が笑っていない、か。うーん、それは気のせいじゃないのか? こんな状況なんだし、緊張もするだろうしさ」
荷物をまとめる手を止め、俺は彼女の言葉に首を傾げる。確かにロイドはどこか焦りを感じさせる雰囲気だったけど、それは“危険を冒してる”からこそではないのか。俺にとっては昔からの友人――裏切るはずがないと思ってしまう。
「あなたは『緊張から』って言うかもしれないけど、わたしは昔からああいう人を見ると不安になるの。……ほら、わたしって王都の社交界でいろいろ見てきたでしょ? 本心を隠して上辺だけ笑う人を、何度も……」
「そうか……社交界なら確かにそういう駆け引きはよくあるよな。でも、ロイドは違うよ。何より“友”として俺を助けてくれてる。これまでだって危ないときに情報をくれたし」
「でもね、あなたを助けるということは、彼自身が殿下の怒りを買うリスクも抱えるわ。そんな大きなリスクを取ることが、本当に彼にとって得なのかしら。疑いたくはないけど……」
カトレアの声がかすかに震え、彼女自身もこの疑いの種を抱えたくないように見えた。俺は彼女の不安な表情を見やりながら、心にわずかなチクチク感を覚えるものの、すぐに頭を振って打ち消す。
「得になるかどうかじゃなくて、あいつは昔から困ってる人を放っておけない性格なんだよ。たしかに状況は最悪だけど、だからって疑ってたら何もできないだろ?」
「……そうかもしれない。でも万が一、彼が……」
「万が一なんて言い始めたらきりがない。大丈夫だよ、ロイドは友だ。俺が信じてるんだ、彼が裏切るなんて可能性はゼロに近い」
そう言うと、カトレアは口を閉ざして俯く。まるで「わたしの考え過ぎなの?」と戸惑っているようにも見えた。俺はわざと明るめの声を出して彼女を安心させようとする。
「ほら、準備を急ごう。夜になったら彼が迎えに来る。そこで郊外の隠れ家に移動するんだ。兵士に見つかる前に、この場所を離れられるなら、そのほうが安全だろ?」
「……それはそうね。でも……ごめん、やっぱりなんか変な感じが拭えないの」
「気にするなって。ロイドはおまえだけが疑ってるわけじゃないだろうけど、俺から見たら馬鹿正直なほど善人だ。ああいう表情がぎこちないのは、ただ状況が重いからじゃないか?」
「そうかしら……あなたがそう言うなら、わたしは黙るわ。最終的には、あなたが信じるものをわたしも信じるしかないもの」
カトレアは渋々ながらも納得したように見えたが、その瞳の奥にはまだ大きな不安がくすぶっている。短い沈黙の後、彼女は小さくため息をつく。
「……本当に大丈夫なの? ロイドに頼って、この先わたしたちは無事に逃げられる? 殿下が仕掛けてるのは明らかだし、もう仲間がどんどん減ってるというのに……」
「大丈夫さ。ロイドだって命がけで助けようとしてくれてるんだ。もし何か異変があればすぐ動くけど、心配しすぎないほうがいい。カトレアが不安になればなるほど、向こうの思う壺だよ」
「そう……そうよね。わたし自身がマイナス思考になってどうするの、って話よね。わかった、信じるわ。……あなたが『大丈夫だ』って言うなら」
彼女が少しだけ唇を震わせ、うなずいてみせる。その表情はまだ硬いが、俺の言葉を強引にでも受け入れようとしている意志が伝わってきた。俺は安心させるように微笑み、肩に手を置いて言葉をかける。
「ありがとう。助かるよ、君まで疑い始めたら、俺もどうすりゃいいか混乱するからさ。ロイドがいなければ今の俺たちはもっと追い詰められてたはずだから」
「ええ……わかったわ。じゃあ、夜までに荷造りも全部終わらせておきましょう。わたしだって殿下の罠にまんまとハマるのは御免だもの」
「そうだ。何かあったらすぐに相談しあって、臨機応変に対応しよう。念のため、非常用の荷物も最小限にまとめるし、移動時は緊張感を切らさないように」
「……わかったわ。信じる。ロイドがわたしたちを裏切るなんてありえない――そう思うことで、夜まで平常心を保つわね」
ぎこちなく笑い合いながら、二人で準備を続ける。彼女の疑念を完全に拭い去れたわけじゃないが、俺はロイドを疑う理由など見出せない。友人としての記憶があまりにも強いし、彼がいてこそ俺たちがここまで生き延びられたのだ。
けれど、胸にわずかな引っかかりは残る。カトレアの鋭い勘は、王都での経験から培われたもの――無視していいものかどうか、正直迷う部分はある。しかし、親友を疑うなんて非道だし、不安だけ煽るのは得策じゃない。
「よし、とりあえず俺たちは夜の移動に備えよう。カトレア、何か変に思うことがあったら、すぐ言ってくれよ。二人で考えればきっと大丈夫だから」
「ええ、わかった。もし本当にヤバいと思ったら、わたしも黙ってないから。そのときはあなたも耳を貸してちょうだいね」
「もちろんだよ。君の勘が役に立つことだってあるし、その時は一緒に対処するさ」
「ならいいわ。……本当に大丈夫なのかしらね、わたしたち」
最後の言葉は小さく呟かれたが、俺は笑顔を作って応じる。
大丈夫だ――そう言い切れる根拠は薄いが、ロイドを信じないわけにはいかない。時折よぎる不安を振り払うように、俺は地図を広げ、夜の移動経路を再確認する。
それを見つめるカトレアの横顔には、消えきらない疑念が滲んでいたが、俺は何も言わずに次の作業へ集中した。
やがて外が夕闇に染まり始めれば、計画通りにロイドが戻ってきて、俺たちを安全な“郊外の隠れ家”へ案内してくれる――はずだ。けれど、果たして本当に大丈夫なのか?




