第19話 迫る逮捕命令②
王都の街の裏側を、ひっそりと駆け抜けるように移動して、俺たちはようやくロイドが教えてくれた隠れ家の前にたどり着いた。大通りから離れた場所にある古びた屋敷で、門の看板もなく、ぱっと見では誰が所有しているか分からない。そんな目立たない建物こそ、俺たちが潜伏するには理想的だ。
「ここ、本当に大丈夫なの?」
カトレアが不安そうに問いかける。彼女の声には苛立ちだけでなく、追い詰められた焦燥感が滲んでいた。俺は頷きながら、重い扉を押して中へ入る。
「ロイドの案内によれば、ここは彼やエレナさんの知り合いが借りている場所らしい。人目を避けられるし、厳重な門兵もいないから、逃げるにも便利だとか」
「……でも、こんなところに隠れているだけで、リシャールの捏造を止められるのかしら。わたしたち、逃げてばかりで何もしてない気がするわ」
「逃げる以外の選択肢があれば俺も聞きたいよ。正面から兵隊に突撃されたら終わりだし、今の俺たちには力がない。無謀な行動をして捕まったら、もう二度と挽回できない」
ため息混じりにそう答えると、屋敷の奥から足音が近づいてきた。ロイド…ではなく、彼の代理だろうか。年配の男性が頭を下げて出迎えてくれた。
「お待ちしておりました。ブランシェ様からのご紹介で、こちらを当面お使いいただければと。何分、古い建物ではございますが、ご容赦ください」
「いえ、こちらこそお世話になります。すみません、こんな状況で頼ってしまって」
俺が深々と頭を下げると、男性は「お気になさらず」と微笑む。引きずるような自責の念を抱くが、いまは背に腹はかえられない。兵たちが本格的に動き出している以上、どこか安全な場所に身を隠すしかない。
古びた廊下を進み、少し広めの部屋に案内された。壁には年代物のランプがかかっていて、窓も小さく設計されている。換気が悪そうだが、その分外からの視線が遮られるには良いかもしれない。
「ここなら、外から覗かれる心配は少ないでしょう。お二人がお休みになる部屋も確保してあります。ご安心ください」
「ありがとうございます……。その、ロイドはいまどこに?」
「ブランシェ様はもう少し後で来るとのことでした。自分で持っている屋敷を動き回っては怪しまれますので、慎重に行動すると仰っていましたよ」
「そう、そうだよな……。わかった」
少し残念だが、仕方ない。ロイドも自分の素性を怪しまれないように動きたいのだろう。男性は「何かご用がありましたら」と言って一礼し、部屋を後にする。
重苦しい沈黙が落ちる。カトレアが壁に寄りかかって、深々と息をついている。俺も疲労が激しいが、精神的な負担のほうが大きい。
「……逃げてばかりじゃダメって分かってるのに、結局こうして匿われる形でじっとしてるだけなんて、悔しすぎるわ」
「気持ちはわかるけど、いまはそれしか手がない。兵に見つかったら、一瞬で“反逆者”として拘束されるから……何とか堪えるしかない」
「……わたし、王太子に嫌な思いをさせられた時も、こうしてじっと耐えてばかりだったわ。あの夜会でも、“プライドが高すぎる女”なんて周囲に言われて、でも実際には何もできず……。同じことを繰り返してる気がする」
「繰り返してなんかない。今回は俺がいるし、ロイドやエレナさんの協力だって得られるかもしれない。俺たちだって諦めちゃいないだろ?」
「……まあ、そうだけど。エレナさんは倒れたし、ロイドもいつまで動けるのか。わたしたちからしてみれば心許ない状況じゃないの?」
そんな苛立ちをぶつける言葉にも、俺は正面から反論できない。カトレアの言う通り、ひとつずつ頼りを失い、踏み止まれる場所も少なくなっている。今ここに身を隠しているのも、言ってしまえば次の被害を防ぐための最小限の方法にすぎない。
「……確かに、心許ない。でも、無謀に動いて殿下の思惑通りに捕まるよりはマシだと思う。殺されるかもしれないわけだし、彼は本当に冷酷だから」
「そうよね。あんな残酷な男、わたしだって知ってる。逆らえば容赦なく排除してくるし、殺されてもおかしくない。わかってるわよ……」
「悪い。こんな形で逃げ回るのは、悔しくて情けないのは俺も同じだから。でも、だからこそ俺たちは生き延びて殿下を打ち負かす。そのための準備期間だ、今は」
カトレアはしばらく黙り込む。部屋の中は物置のような匂いが漂い、壁が薄いのか外の足音が微かに聞こえたりもする。兵かどうかはわからないが、それだけで心拍数が上がる。まるで戦場の片隅に潜んでいるような緊張感だ。
「……ごめん、ちょっと苛立ってた。あなたに当たるつもりはないわ。ただ、自分が弱いことがもどかしいの。あの夜会の時も、結局何もできずに放り出されたしね」
「ううん、気にしないで。君が苛立つのは当然だよ。でもさ、覚えていてほしい。俺は君を助けたい気持ちも、本気なんだ。いまは下手に出て捕まるわけにはいかないから、この“隠れパート”をやり過ごすしかない」
「……そうね。わたしひとりじゃこんな風に逃げることすらできなかったと思う。だから、助かってるの。ありがとう、アレン」
「お礼を言うのはまだ早いかな。結果を出してからにしてくれ。殿下の捏造を暴いて、国賊扱いを跳ね返すんだから」
そう言い合うと、カトレアはやや照れくさそうにうつむき、肩をすくめた。少しばかり安堵の溜息が漏れるが、安心できる状況では決してない。しかし気持ちを共有できるだけでも、心は支えられるというものだ。
「それにしても、ロイドやエレナが用意してくれたこの屋敷……地味に助かるわね。監視の目を誤魔化せるなら、少しは休めそう」
「だろ? もし誰も助けてくれる人がいなかったら、いまごろ路上生活か地下水路に潜むしかないところだよ。……見てくれはボロいけど、身を隠すには十分だ」
「そうよね。……ああ、それでも悔しいわ。“逃げ回るしかない”という状況が」
「仕方ない。今は耐えよう。ロイドの情報が集まったり、エレナさんが意識を取り戻せば、一気に攻勢に出られるかもしれない。そのときが勝負さ」
言いながらも、内心では焦りがつのる。エレナの容体がどうなるのか分からないし、ロイドがいつ裏切りにあう可能性だってあるかもしれない。だけど、それを言い出したらキリがないし、カトレアをさらに不安にさせるだけだ。
「なんだかんだ言って、わたしたちには仲間がいるのね。エレナさんが倒れても、ロイドが多少は動いてくれる。……その人たちのためにも、ここでくじけるわけにはいかないわ」
「うん。それに、逃げるだけとは言いつつも、俺たちが無事でいれば、殿下が焦る可能性もある。捏造のタイミングを外すかもしれない。向こうだって無駄な手間をかけたくないはずだから」
「なるほど……確かに、殿下が動くにも“バレずにやりたい”だろうし、わたしたちがいなくなると面倒は増えるのかも。……そう考えたら少しは気が楽ね」
「だろ? 多少は“逃げて勝ち”ってパターンもありえるさ。あとは適度に情報収集して、決定的な証拠をつかんで反撃するだけ」
「うん、わかった。わたしも“誰かに迷惑をかけるから”なんて自分を責めずに頑張る。あなたがそうしろって言ってくれるなら、信じるわ」
「ありがたい。こっちも気が紛れるよ」
わずかに笑い合うが、暗い影は部屋の隅に漂ったまま。リシャールの手がいつ伸びてくるか分からず、緊張感を拭えない。それでも、ここに身を寄せて時を待つしかないのだ。
「じゃあ、さっそく部屋を使わせてもらおうか。荷物を解いて落ち着く。……何か変な胸騒ぎがするけど、勘弁してほしいもんだね」
「ええ、本当に。見つかったら一巻の終わりだけど、ここにいても落ち着かない。どうすればいいのよ、もう」
「耐えて、粘って、そして殿下が隙を見せたら……そこを突くんだ」
「……分かった。わたし、待つのは苦手だけど、あなたがそう言うなら我慢してみる。無茶に動いてつかまったら全部おしまいだものね」
「そうだ。いまは我慢の時。ま、こんな時こそ気合い入れて耐え抜こう。いつまでも逃げるだけじゃない。必ず逆転の機会はくる」
「……そう信じるしかないわね。わかったわ、アレン。逃げてる間に腐らないよう、お互いに支え合いましょう」
「うん。俺たちなら、まだ諦めずに進んでいけるはずだ」
そう言い合って、二人とも重苦しい足取りを部屋へ向ける。複雑な心情を抱えながらも、唯一の救いは「一緒にいる」という事実かもしれない。心が折れそうなとき、カトレアの存在に助けられ、俺の存在が彼女を支えられるのなら、まだなんとか立ち続けられる。
こうして、まるでネズミのように身を隠す日々が始まる。逮捕命令を前にして表に出られない悔しさ、捏造を破る決定打を持たないもどかしさ――すべて抱えたまま、俺たちはこの屋敷で暫定的な潜伏生活に突入するしかなかった。




