第19話 迫る逮捕命令①
翌朝、まだ眠りが浅い時間帯に、俺は異様な気配を感じて目を覚ました。宿の窓から射し込む光の角度は早朝そのものなのに、胸騒ぎが治まらない。急いで身支度を済ませて外へ出ると、案の定、王都の空気が昨日までとは明らかに違っていた。
「アレン、起きてたの? 変な噂を聞いたんだけど……」
宿の廊下で出会ったカトレアが、若干息を乱した様子で声をかけてくる。その表情には、不安と焦りが入り混じっているのが伝わってきた。
「噂って? まさか、また殿下が何か手を打ったわけじゃないよな?」
「ええ、そうみたい。朝のうちに『アレンとわたしを逮捕せよ』っていう命令が公表されたらしいの。何かしらの口実をつけて、“堂々と探し回ってる”って話が広まってるわ」
「逮捕命令、だって……?」
驚きと嫌な予感が交錯する。殿下が公に動くということは、もはや“裏工作”の段階を越えている。すなわち王都での俺たちの存在が公式に危険視された証拠だ。簡単に言えば、捏造でも何でも理由をつけて、正面から捕まえることが可能になる。
「うそだろ……朝起きたばかりなのに、もう追っ手が出てるのか?」
「みたいね。わたしも詳しく聞いたわけじゃないけど、“王太子殿下の勅令”とか言って手配書まで貼り出されているって……。正直、寒気がするわ」
「手配書……そんな短いスパンで発行できるものなのか。いや、きっと殿下が事前に準備してたんだ。あいつは最初からここまでの流れを想定してたのかもしれない」
嫌な冷や汗が背中を伝う。俺たちが王都に戻った時点で、殿下はいつでも逮捕できるようにシナリオを描いていたわけだ。あとは適当に偽証拠を揃え、堂々と取り押さえるだけ――そんな恐ろしい計画を実行する段階に移ったのだろう。
「街のあちこちに、わたしたちの手配書が貼られてるって噂よ。“アレン・クレストン、およびカトレア・レーヴェンシュタインは国を乱す反逆者である。見かけたら報せよ”みたいな内容だそう」
「ふざけんな……。反逆者呼ばわりだけでも腹立たしいのに、堂々と街中に手配書を貼るなんて、さすが殿下の権力だ」
「しかも、よく聞いたら“逮捕に協力した者には褒賞”なんて話まであるらしいの。民衆もお金や恩恵欲しさに密告するだろうし……下手に外を出歩けないわね」
カトレアが悔しそうに拳を握り締めるのを横目で見ながら、俺は息苦しさを感じていた。もはや噂レベルではない。正当に裁こうとか、こちらの弁明を聞こうという余裕すらなくなったのだ。
「街中の視線がさらに厳しくなる。今までも“あれが国賊か”って囁かれてたけど、手配書で正式に逮捕命令が出たなら、俺たちは……」
「もう動きづらいなんてレベルじゃないわ。外に出ただけで捕まる可能性が高い。兵士だって堂々と探し回れるんだから」
「くそ……どうすりゃいいんだ。もしどこかへ行こうとしても、兵に声をかけられて終わりかもしれない。門前払いどころじゃないな。裁判所に駆け込むなんて夢のまた夢だ」
「裁判所も殿下に牛耳られているって、あなた前に言ってたわよね。もしそこで訴えても、わたしたちが捏造の罪を擦り付けられるだけじゃない?」
カトレアの視線が鋭く苦悶している。確かに、裁判所というか表立った場所が機能するなら、こんな手の内を使わなくて済むはずだ。何より、殿下がここまで露骨に逮捕命令を出せるほど、王都の機構は殿下に支配されているのだろう。
「うん……結局、裁判所も貴族社会も殿下の息がかかっている。エレナさんが裏から手を回してくれればいいが、彼女は今……」
その名前を口にした途端、カトレアが哀しそうに俯く。先日エレナが襲われ、重傷を負った一報が入ったばかりで、頼りだった協力者は事実上動けなくなってしまった。
「……もうわたしたちを助けてくれそうな有力者は、ほとんどいない。ロイドも裏で動いてるけど、どこまでやってくれるかわからないし……」
「こうなったら身を隠すしかないか。とりあえず堂々と動いたら即逮捕される。逮捕されれば、何も言わせずに罪を着せられて終わりって流れが待ってるだろう」
「ええ。わたしたちの言い分なんて一切聞かれずに、殿下のシナリオ通りに断罪される……。最悪、死罪かもしれないわよ」
「……まさか、ここまで来るとはな。王太子って呼ばれてるけど、やってることは陰険極まりない。表向きは穏やかに見せかけて、裏では徹底的に排除するんだ」
俺は改めて王都の空気を思い出す。あれほどの大都市なのに、殿下の影が落ちているだけで息苦しく感じるのは今回が初めてだ。このまま捕まるのは避けたいが、攻めの一手を打つ余裕もない。
「ねえ、アレン。……どうする? 本当にどこかに隠れるしかないわよ。これ以上、堂々と行動したら見つかって終わりよ」
「正直、殿下と戦うには情報が要るし、偽証拠を暴く証拠も必要だ。今はエレナさんが倒れ、俺たちだけじゃ何も掴めない。もうしばらく、隠れて状況を伺うしかないかも」
「だけど、わたしたちが姿を消したところで、殿下の捏造証拠が公表されたら終わりじゃない? 反論する場がないって致命的よ」
「痛いところを突くね。でも、ここで捕まったら本当に何もできなくなる。言い分を聞かれないまま、一気に断罪されるだけだろう。先に見つかるか、先に殿下の嘘を暴くかの勝負だ」
「……もう嫌だわ。わたしたちの命が、あの男の気分ひとつに左右されてるようで……」
カトレアが吐き捨てるように言う。彼女の表情にはやりきれない憤りと、逃げ道のなさによる苛立ちが入り混じっている。朝から散々だが、これが現実なのだ。
「悔しいけど、身を隠すしかないんだ。俺たちが逮捕を避けながら、ロイドの情報や、もしくは他に隠された手段を探す。そうしないと、どうしようもない」
「そうね……わたしたちは一度、逃げ回る道を選ぶしかないか。エレナさんの回復を待つにしても、裁判所が腐ってるならおとなしくしてるだけじゃダメだけど……」
「落ち着いて。今すぐ答えは出ない。でも、捕まったら終わり。それだけはわかる。逮捕されてから無実を訴えようとしても、殿下が握り潰すだろうから」
カトレアは唇を噛んでうつむいた。誰でもこんな状況に追い込まれれば、絶望感が湧くだろう。でも俺たちはここで折れるわけにはいかない。王太子の命令が公然となった今、街に出るのがどれだけ危険かは明白だ。
「……とりあえず、この宿にはもういられないわよね。兵が押しかけるのも時間の問題じゃない? すでに監視の目があるかもしれないし」
「ああ、すぐに出よう。姿を隠すにしても、目立たない場所を探すしかない。ロイドの助けを借りられればいいけど……」
「何とか連絡を取ってみましょう。わたしが変装するなりして、裏道を使ってみるとか。……さすがに、わたしたちの手札が少なすぎて困るわ」
「仕方ないさ。こんなに追い詰められるのは予想外だったけど、諦めたら殿下の勝ちだ。今は隠れることが最優先。すぐに荷物をまとめよう」
「ええ、わかった」
そう結論づけると、二人とも歯ぎしりしたくなるほどの悔しさを噛み殺す。もしここで固執しても、王都の兵が堂々と押し寄せてきて終わりだ。宿の中ですら安全とは言いがたく、逮捕命令が下った以上、いつでも動ける状態にしておかないと危険すぎる。
カトレアが部屋へ戻って荷造りを始めるのを見届けながら、俺は静かに廊下の窓から外を伺う。街の通りには、遠目にも威圧的な鎧を着た兵士が巡回しているのが見えた。そこには手配書を確認するらしき人影もあって、俺たちを探しているのが丸わかりだ。
「ったく……本当にやりやがったな、殿下。堂々と手配書を出してくるなんて、最悪のタイミングすぎる」
エレナが倒れ、ロイドが潜入中――そして俺たちは捏造証拠の網が迫っている状態。最悪の状態が重なって、視界が真っ暗になりそうだ。それでも、カトレアと俺が生き延びるためには隠れざるを得ない。
「アレン、準備できたわ。急ぎましょう。見つかったら本当に終わりよ」
「うん、行こう。……絶対にここで捕まるわけにはいかない」
「ええ、負けない。こんなところで終わるつもりないわ」
最後に振り返ると、宿の部屋は荒れたままになってしまう。それでも俺たちは、ここに留まるリスクを冒すほどの余裕もない。黒いマントで体を隠しながら、裏口を使って外に出る。息を潜めるようにして、細い路地を進むにつれ、周囲の視線が鋭さを増している気がしてならない。
「どこに行くの? 安全な場所なんてあるのかしら……」
「わからない。でも、とりあえず人混みに紛れないと。兵がこっちに気づく前に移動するんだ。そっからロイドに合流できればいいけど」
「うん……わかった。絶対に振り返らないから、あなたも油断しないで」
「了解。もし兵が見つかったら即座に逃げる。足止めできる手札もないし、正面から戦ったら絶対不利だ。殿下の威光があるから民衆も協力するかもしれないしね」
「わたしの話なんて誰も信じないでしょうし……最悪の場合は強引にでも突破するしかないわね」
息を呑むような緊迫感の中、二人で軽い荷物を抱えて闇に紛れるように路地を移動する。王都の大通りや華やかな景色は遠い存在。いまは生き延びることだけが最優先だ。
「くそ……ここまで殿下の力に振り回されるなんて。やっぱり下級貴族が王太子に対抗するのは無謀なのか?」
「そうかもしれない。でも無謀でもやるしかないわよ。わたしだって、これで終われないから。逃げ延びて必ず仕返ししてやるんだから」
「うん、もう逃げるだけじゃ終わりじゃない。必ずこの状況を覆して、殿下の捏造を暴いてみせる」
「そう。絶対に屈しないわ」
声を潜めながらも、二人の意思は固い。暗がりの路地を抜けながら、俺たちは先の見えない戦いへの不安と恐怖を抱えつつ、意地を張って前に進み続ける。
「くそ……本当に逮捕命令を出してきたか。あいつ、手加減しないんだな。俺たちが捕まれば、一瞬で断罪されるのは明白だ」
「最悪、ロイドが何かしてくれるかもしれないけど、いつまで持ちこたえられるか……。ああ、もう、どうにかなるのかしら、この状況」
「“どうにか”してやろう。今は身を隠して、逆転の策を探すしかない。諦めたら本当に終わる」
そう誓い合いながら、宿を後にする俺たち。街のあちこちには手配書が貼られ、兵士が巡回し、殿下の支配が強固に行き渡っている。風がやけに冷たく、心まで凍りつきそうだ。だが、ここで止まらない。わずかな光を信じて歩を進める。
一旦は身を隠すしかない――そんな苦しい結論に至るしかないのが悔しいが、逮捕されては元も子もない。どこまで耐えられるか分からないが、逃げながらでも反撃の糸口を掴む道を模索しなければならない。
「……くそ、殿下め。絶対に負けないからな」
「行きましょう、アレン。とにかく生き延びて、反撃のチャンスを探すのよ」
カトレアの声に背中を押され、俺は決意を新たにする。王都での逃亡生活が始まろうとしている――先の見えない暗闇の中で、それでも希望を捨てずに闘う二人の姿が、夜の路地に溶け込んでいた。




