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月下の反逆者 ~王太子に逆らった青年と断罪された令嬢の逃避行~  作者: ぱる子


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第18話 友情の狭間③

 あの日、何となく胸騒ぎがしていた。王太子リシャールが捏造証拠を本格的に動かしている話や、ロイドからの情報を受けて次の手を模索しようと必死だった矢先だったからかもしれない。焦りと不安を抱えながら、俺とカトレアは宿の応接室で作戦を話し合っていた。


「……とにかく、エレナさんの力を借りられれば一気に進めるはずだよ。殿下の取り巻きの動向を把握できれば、先手を打てるかもしれない」


「そうね。彼女は確かに王都の社交界で顔が利く。捏造の裏を掴むにも、有力貴族とのパイプが大事だし……。何とか無事に会えるといいんだけど」


 カトレアが小さく肩をすくめ、窓の外をちらりと見る。いつもの張り詰めた監視の気配は変わらないが、今日はなんだか静かすぎる気がして落ち着かない。そんなとき、廊下のほうからバタバタと足音が聞こえた。ドアが開くと、ひどく慌てた様子の男が息を切らしながら飛び込んでくる。


「アレン様……! 大変です、エレナ様が、何者かに襲われて重傷を負ったと……」


「え……?」


 一瞬、頭が真っ白になる。エレナが襲撃? まさか。さっきまで俺たちが“手を組もう”と期待していた女性が、この王都で重傷? まるで現実味を帯びない言葉だが、男の慌てぶりを見る限り冗談でも嘘でもなさそうだ。


「エレナさんが……襲われたって、本当なのか? いつ、どこで? 命は……?」


「まだ詳しいことは分かりませんが、先ほど運び込まれた先で“昏睡状態に近い”と……。命の危険は峠を越えたと聞きましたが、意識が戻らず当面は会話もできないらしく……」


「嘘でしょ……」


 隣でカトレアが呆然と声を漏らす。さっきまで希望の光だったエレナが、一瞬にしてそんなことになるなんて理解が追いつかない。殿下の陰謀がちらついて鳥肌が立つ。


「やっぱり王太子が裏で動いているのね……。エレナさんは間違いなくわたしたちに協力していた人。こんなタイミングで襲われるなんて、偶然とは思えないわ」


「……俺だってそう思うよ。でも、そうだとすると、彼女から内部情報を得られなくなるってことか? 重傷って……当面無理だろうし」


「ええ、きっと当面どころじゃない。意識が戻らないなら、わたしたちを助けようと動いていた証拠も引き出せない。それにエレナさん自身が本当に危険な状態なんでしょ……」


 言葉を重ねるほどに、胸が締めつけられる。エレナに頼っていた部分は想像以上に大きかった。王都の社交界に太いパイプを持ち、動ける数少ない味方――その支柱がこんな形で折れそうだなんて、残酷にもほどがある。


「嘘みたいだ。これでまた、一番信頼できる協力者を失うかもしれない……エレナさんまで、殿下に潰されたと考えると、どうすりゃいいんだよ」


「……こうやってわたしたちに手を差し伸べる人が、どんどん不幸になるのね。最初から助けなんて求めないほうが良かったのかしら……」


 カトレアの声が小さく震える。彼女はエレナと心を通わせるまでには至っていなかったかもしれないが、それでも同じ目的のために協力すると誓ってくれた仲間。そこまでしてくれる人を追い込んでしまったという罪悪感に苛まれているのが痛いほどわかる。


「そんなわけないだろ。助けを求めること自体が悪いわけじゃない。殿下が悪辣すぎるんだよ。それに、エレナさんが本当に命を落とさずに済んだならまだ希望はある。回復すればまた……」


「いつ回復するのよ。昏睡状態かもしれないんでしょ? わたしだって嘘であってほしいと思うけど、現実には彼女はもうしばらく動けない。殿下の手は回ってるのに、わたしの味方してくれた人がまた……」


 カトレアは言葉を詰まらせ、頬に涙が浮かんでいるのが見える。自分の存在が周囲を傷つけていると思い込んでしまったのだろう。俺は何とかフォローしようとするが、言葉が見つからない。こうも立て続けに仲間を失えば、心が折れそうになるのも仕方ない。


「……カトレア、君のせいじゃない。殿下が悪いんだ。エレナさんだって承知の上で俺たちに協力してくれたんだし、あまり自分を責めないでくれ」


「わかってる。でも、結果的に彼女が重傷……わたし、こんなところに来なければ彼女は平穏だったんじゃないかって思うのよ。ロイドだって危険を冒してるし、あなたまで……」


「そんなこと言ったら殿下に対抗する人なんていなくなるよ。君がいなかったら、あの夜会で殿下が好き放題するのを黙って見過ごすしかなかったんだ。俺はもう引き返すつもりはない」


「……ごめん、わたしが弱音を言ってしまって。そうね、引き返すわけにはいかないのよね。ここで止まったら、エレナさんが頑張ってくれた意味も消えてしまう」


 彼女は涙を拭い、無理やり表情を整える。俺もその姿を見て、胸に込み上げる苦しさを押し殺す。宿の応接室に立つ二人の間に漂う悲壮感――こんな時こそ、前を向かないといけないとわかっているのに、体が重く感じられる。


「使者の人……ありがとう。わざわざ伝えてくれて。エレナさんの容体が分かったら、また教えてもらえるか?」


「あ、はい。もちろんです。エレナ様は命こそとりとめたものの、本当に危険な状態だと……あまり期待はしないほうがいいかと」


「わかった。……ありがとう」


 伝令が申し訳なさそうに退室していく。扉が閉まると、また沈黙が訪れる。エレナがいなくなるという事実がこれほど重いとは。正直、殿下の偽証を暴く道筋を一緒に探してくれる人が減るのは痛すぎる。カトレアも頭を抱えるようにして、うなだれる。


「もう……どうしたらいいの? 門前払いされ、偽証拠が広まり、今度はエレナさんまで倒れた……どんどん味方がいなくなるわ」


「くそ……俺たちに味方してくれる人がまたいなくなった気分だ。ロイドがまだいるけど……それも心許ない状況だし」


「ごめんね、わたし……あなたに助けられてばかりで、何も貢献できてない。なのに、周りの人がどんどん不幸になっていくなんて、いやだわ」


「君のせいじゃないから。これは殿下が周囲を潰しにかかってるだけで、君は悪くない。むしろ頑張ってくれてるのは知ってるよ」


「でも……でも、これ以上誰かが傷つく前に、わたしが王太子に捕まって終わらせたほうがいいのかなって、変な考えがよぎるの。こんなの間違ってるってわかってるのに……」


 その言葉には深い罪悪感がにじむ。彼女が自分を責め始めれば、もう誰も止められなくなるかもしれない。俺はとっさに手を伸ばし、カトレアの肩を軽く叩く。


「君を犠牲にして終わりなんかにさせない。そんな結末は誰も望んでないよ。エレナさんだって、君を救いたいって言ってたじゃないか」


「そう……だったわね。でも、彼女は昏睡状態で、このままだと……」


「でも、きっと目を覚ますさ。目が覚めたら、絶対にこの事件を乗り越えた世界を見せてあげたい。俺たちが殿下を打ち負かしてさ」


 そう言いつつも、内心は焦りが収まらない。状況はますます悪化しているのに、殿下に対抗する具体的な策はまだ何もつかめない。カトレアの不安を和らげるためにも、せめて何かできることを見つけなくては。


「……とにかく、ロイドに相談しよう。さっきも話したけど、あいつが裏から動いてるはずだ。きっと俺たちに次のアクションの指示を出してくれるかもしれない」


「そうね。もうそれしかないわ。わたしも何かしたいけど、動けば動くほど殿下の取り巻きが邪魔してくるし、エレナさんに頼れなくなった今……ロイドしかいない」


「うん。焦って動けば、俺たちが次に倒れる番だ。今は一手一手、慎重に進めよう。必ず殿下の捏造を明らかにして、エレナさんも救って……この悪循環を断ち切りたい」


「そうね……絶対に負けない。もうこんな形で仲間を失いたくないもの」


 暗い空気が応接室を包むが、それでも二人して投げやりにならないのは、何とか希望の糸を見いだしたいから。かつては救いの象徴だったエレナすら倒れた今、ロイドと残された微かなチャンスにすがるほかない。 


「……ごめん。ちょっと心が折れそうになってたけど、あなたの言葉で踏みとどまれるわ。ありがとう、アレン」


「俺だって同じさ。もし君まで絶望したら、俺は本当に終わっちゃうからね。一緒に踏ん張ろう」


「ええ、一緒に。……リシャールを好きにさせてたまるもんですか」


 言葉を交わすたびに、痛感するのは殿下の凶悪さ。エレナまで襲撃して重傷にさせるなんて、どこまで徹底しているのかと震えが走る。明日は我が身、という恐怖が頭をかすめるが、それでもカトレアと互いに支え合うように強く誓い合うしかない。ここで折れれば、すべてが無駄になる。


「……さあ、ロイドに連絡して、わたしたちは耐えきるしかない。エレナさんが戻ってくるまで、絶対に持ちこたえよう」


「うん。それしかない。君も体調気をつけて。心労が重なってるし、悪いけど俺と一緒に頑張って」


「もちろん。あなたが倒れたらアウトだし、わたしも倒れたら終わり。二人で意地を張りましょう」


 一見頼りない決意の言葉かもしれないが、これがいまの俺たちにできる全力。まだ王都の夜は続き、殿下の手はどこまで伸びるか分からないが――希望を捨てずに進むしかない。エレナが倒れたなら、その意志を継いで最後まで闘うのが、きっと彼女への恩返しになるはずだ。 


 こうして、重い絶望感を抱えながらも俺たちは動き出す。ロイドに連絡して、何とかこの危機を打開する方法を探らなきゃならない。だが、胸にはどうしようもない喪失感が残る。


「エレナさん……大丈夫だよな」


「信じましょう。あの人、強い人だから。殿下なんかに屈しないはず」


 言葉で励まし合うものの、その瞳にたゆたう不安は消えない。それでも手を取り合わずにはいられない俺たち。人がどんどん離れていく恐怖と、命を落とすかもしれない絶望に震えながらも、立ち止まるわけにはいかなかった。

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