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月下の反逆者 ~王太子に逆らった青年と断罪された令嬢の逃避行~  作者: ぱる子


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第16話 王都への再訪③

 夕闇が迫り、王都の街並みを染め上げる頃、俺は屋敷の廊下をゆっくりと進んでいた。外からは依然として監視の気配があり、緊張の糸が張りっぱなしだ。それでも、気になるのはカトレアの様子。さっきまで一緒に書簡を作っていたのに、彼女が急に部屋にこもってしまったと聞き、俺は足を向けることにした。


 カトレアの部屋の扉の前に立つと、静かな空気が漂っている。ノックをしても反応がないので、もう一度少し大きめに合図を送ると、ようやく中からか細い声が返ってきた。


「……どうぞ」


 ドアを開けると、部屋の奥でカトレアがベッドに腰掛けたまま俯いているのが見えた。ランプの薄明かりが彼女の肩を照らし、何とも心細げな雰囲気をかもし出している。 


「大丈夫か? ずっと部屋にこもってるって聞いたから、心配になったんだけど」


「……ごめんなさい、変に気を使わせて。ちょっと色々と思い出して、胸が苦しくなっちゃって」


 カトレアは顔を上げ、申し訳なさそうに微笑む。その瞳はどこか曇りを帯びていて、昼間の毅然とした姿勢とは違う弱さをうかがわせた。


「思い出した、って……王宮のことか?」


「うん。ここに来るまで必死だったけど、実際に王都の空気を吸うと、どうしてもあの夜会が蘇るわ。……酷い目に遭ったんだもの。“あの場所に戻るなんて、また笑い者になるんじゃないか”って考えたら、怖くてたまらない」


 彼女の声は震えていた。王太子に婚約破棄を宣言された夜会で、群衆の嘲笑を浴び、プライドを粉々に砕かれた記憶が生々しく蘇るのだろう。俺はゆっくりと部屋へ入り、扉を閉める。 


「そりゃ、怖いよな。あの場所は、君にとって最悪の記憶が詰まってるもんな。無理もないさ……」


「……でも、わたしが“名実ともに救われる”には、結局あの王宮で真実を話すしかないでしょ? ロイドが紹介してくれる貴族や裁判所を使うにしても、最後には王太子と同じ場に立つことになるかもしれない」


「そうだと思う。殿下は逃げ道を作るタイプじゃないし、本当に真実を示すなら正面からやるしかない。けど安心してくれ。今度は俺も一緒だ。君が一人で晒し者になるなんてさせないよ」


「……ありがとう。正直、あの夜会の記憶が抜けないの。みんなに嘲笑されて、王太子が冷酷にわたしを捨てた、あの瞬間。それが怖くて……王都に戻ってきたのに、同じことが起きたらどうしようって」


 彼女が弱音を吐くのは珍しい。いつもは高慢な言葉で自分を鼓舞してきたのに、いまはあの夜の苦痛が表に出てきている。俺はそっとカトレアの隣に腰掛け、静かに言葉を紡ぐ。


「同じことにはならないよ。絶対に君を辱めさせない。今回は俺がいるし、逃げ道も作ってある。……いざとなれば、力づくでも君を守るから」


「力づくって、あなた……下級貴族のあなたがどうやって王太子殿下に勝つつもり?」


「さあね。勝てないかもしれない。でも、何もせずに見捨てたり、君を差し出したりすることだけは絶対にしない。俺が君に誓った“守る”って言葉は嘘じゃないから」


 言い切ると、カトレアの瞳が潤んだように見えた。そっと顔を俯ける彼女の肩が小さく震えているのがわかり、俺はためらいながらも腕を伸ばしてその肩を包む。


「アレン……」


「怖いなら怖いって言えよ。一人で抱え込むな。俺だって不安はあるけど、二人なら何とかなる気がするんだ」


「二人なら……そうね、二人なら」


 そう繰り返しながら、カトレアはゆっくりと俺の胸に頭を預けてきた。驚くほど華奢に感じる背中を、俺はそっと抱きしめる。ここでは、誰の視線も気にしなくていい。王都の外で降りかかる監視の目も、今だけは忘れられるような小さな空間だ。


「わたし、あなたに言ってもどうにもならないと知りつつも、本音を言うと本当に辛いの。あの夜会での屈辱が、夢に出るくらいトラウマで……わたしが笑い者になるたびに、世界がわたしを嘲笑うみたいで嫌だった」


「でも、もう笑い者にはさせない。君がそんな目に遭うなら、俺も一緒に罵倒されるよ。国賊呼ばわりされても、最後まで肩を並べて立つ。だから安心して」


「……バカね、あなた。わたしを侮辱するなら、あなたが一緒に罵倒されるって、全然安心する言葉じゃないわよ」


「はは、そうか。じゃあ言い方を変える。もし殿下が君を辱めようとするなら、先に俺が殿下に言い返してみせる。もう黙っていない。……どうだ?」


「いいわね、それ。きっと殿下は驚くでしょうね。“下級貴族の分際で何を言うか”って激怒するだろうけど」


「そうなったら面白いな。そんで俺たちの口から真実をぶつけてやれば、殿下だって無視できないだろうよ」


 少し笑い合うと、カトレアは安心したように息をつく。腕の中に温もりを感じる彼女の姿はとても弱々しいが、その瞳には確かな意志の光が戻っている。


「……ふふ、またあなたに励まされちゃった。ごめんね、弱いところばかり見せて。いつも強がってばかりだから、たまにはいいかしら」


「いつもじゃない、時々でしょ。でも、俺は君の弱さを知ってる。王都で傷ついたのも知ってるからこそ守りたいんだ。今は遠慮なく甘えてくれ」


「……ありがとう。けど、あまり甘えすぎてもあなたが困るでしょう?」


「困らないさ。むしろ嬉しいくらいだ。ま、程々に頼むけどね」


 カトレアは軽く笑い、瞳を閉じるようにして俺の胸に額を押しつける。一瞬の静寂が訪れ、外でうごめく監視や王都の厳しい視線などがかき消されるようだった。ここだけは誰にも邪魔されない、二人の小さな世界。


「……アレン」


「ん?」


「ありがとう。わたし、絶対にあの王宮で再び笑い者になるまいと誓うわ。もし殿下がまた卑劣なことをしたら、今度こそわたしも闘うから」


「闘おう、一緒に。殿下が何を企もうと、俺たちが真実を示せば必ず突破口はある。ロイドやエレナも協力してくれるし、そう簡単には負けないさ」


「うん……信じる。あなたがいるから、わたしはまだ頑張れる」


「俺も、君がいるからここまでやって来れたんだ。王都に戻るなんて、昔の俺からしたら信じられない行動だよ」


 互いの心情を確かめ合うように言葉を交わす。やがて、カトレアは名残惜しそうに体を離し、あらためて視線を絡ませる。 


「じゃあ、もう少しして落ち着いたら……ロイドからの連絡を待って、わたしたちも行動開始ね。怖いけど、あなたと一緒なら前に進める」


「そう。俺たちが真実を証明するために、絶対に殿下の手に負けないでいよう。準備は万端にして、どんな罠があっても乗り越えてやろうじゃないか」


「ええ。そうよね。ずっとあなたと話してたら、不思議と心が軽くなってきたわ。……私、何度言えばいいか分からないけど、ありがとう」


「俺も同じ気持ちだから、お互い様だ。何度でも礼を言うさ。君がそばにいてくれるだけで救われるし」


 少し照れくさいが、正直な想いを言葉にする。カトレアはそれを受け止めるように頷き、顔にほんのり赤みを帯びながら微笑む。さっきまでの暗さが嘘のように溶けて消え、部屋の空気が優しい温もりに包まれた。


「じゃあ……もう少しだけここで休んだら、わたしも準備に戻るわ。あなたも無理しないでね。この王都で無茶をしたら、それこそ捕まるだけだから」


「そうだね。わかった。……じゃあ、俺も自室に戻って少し考えをまとめるよ。今度の闘い、絶対に失敗できないからな」


「ええ。必ず勝ちましょう。わたしが王太子の捨て駒で終わらないためにも、あなたの領地を救うためにも……」


「もちろん。二人で誓おう。今度こそ真実を証明して、殿下に立ち向かうってね」


 そう言うと、カトレアはこくんと小さく頷く。その瞳には決意の光と、少しだけ残る不安が混じっていたが、俺が受け止めると信じてくれているのだろう。肩を軽く叩いて微笑むと、彼女も穏やかな笑顔を返した。


 こうして俺たちは、昼間の嫌な監視の記憶を頭の隅に追いやりながら、改めて“王太子との対決”を乗り越える強い意志を共有する。外にはまだ暗い雲が広がっているかもしれないが、二人がここで誓い合う限り、希望は消えない――そんな思いを胸に抱きながら、扉をそっと閉じるのだった。

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