第15話 ロイドの提案③
ロイドの提案により、王都へ向かう方針が固まってからというもの、屋敷内は慌ただしくなった。いまだ具体的な日程は決まっていないが、遠征とも言える大移動をする以上、それなりの準備と根回しが必要だ。領地の者たちにとっては衝撃的な展開で、やはり戸惑いの声があちこちから聞こえてくる。
「アレン様、もし本当に王都へ行かれるのでしたら、領民はどうしましょう? 殿下の圧力が続いている間、何か起こるかもしれませんが……」
「分かってる。なるべく被害が出ないようにするつもりだ。俺たちが離れる間の体制を整えたり、できるだけ生活に支障が出ないよう指示しておく。もちろん、すごく不安だろうけど、しばらく耐えてほしいんだ」
応接室で集まっている家令や使用人たちは、俺の言葉に一様に難しそうな表情を見せる。そりゃそうだ、領主本人がいなくなるのだから、誰もが「大丈夫か?」と思うのも無理はない。けれど、今は王都へ行くしか手がないと決まった以上、俺にはやるべきことが山ほどある。
「あなたがいなくなるのは痛手ですよ、アレン様。もし殿下の軍勢が攻めてきたり、新たなデマを流されたら……」
「大丈夫、そこはエレナさんやロイドからの密やかな支援ルートを使って何とかする。俺もあくまで暫定的に離れるだけだし、完全に見捨てたりはしないから」
「はあ……分かりました。信じるしかないですね」
一通りの会話を終えたあと、部屋を出て廊下を進む。すると、ちょうど廊下の奥からカトレアが歩いてきたのが見えた。彼女は少し疲れたような顔で、でもどこか決意を含んだ瞳でこちらに近づく。
「ごめんなさい、私もここ数日領民の相談に乗って回ってたけど、殿下への恐怖が広がる一方で……どうしても止めきれないわ。私がいることで余計にみんなが震えてる気もするし」
「いや、ありがとう。むしろ助かってるよ。俺が全員を見るには限界があるから、君が話を聞いてくれるだけで、和らぐ人もいると思う。とはいえ……」
言葉の終わりを濁す。実際、深刻な事態には変わりなく、俺が王都へ出向くとなれば領民が不安を増幅させるのも時間の問題だ。出発までにどこまでフォローできるかが勝負だろう。
「いまさら、あなたに迷惑をかけてるとか言うつもりはないわ。ただ、ここで終わりにしないためにも、私も力になりたい。殿下から逃げるだけだったら私たちが王都に帰る意味もないしね」
「そうだな。あくまで王都へ行って弁明するのが最終目的。ここを離れるとはいえ、今後も領地をどう守るか考える必要があるんだ。……不安だけど、覚悟は決めた」
カトレアは小さく頷いて、視線を廊下の窓に向ける。差し込む朝の光がドレスの裾を照らし、彼女の背筋が少しだけ震えて見えた。
「あなたが辛い思いをしてきたのを見てるから、私も王都でひどい目に遭ったままじゃ終われない。ロイドが提案してくれた策は危険だけど、私を名実ともに救うためには、最初からこの道しかなかった気がするの」
「うん。君の言うとおりだ。昼間のビラとか誹謗中傷も、結局は王都の殿下の取り巻きが発端だろうし、そこを放置してたら何も変わらないしね」
「……行きましょう、王都へ」
再度、二人で意志を固め合うように視線が交わる。ほんの少しだけ頬を染めている彼女を見て、俺の胸にも熱いものがこみ上げてきた。先日、衝突して抱き合ったときに確認し合った互いへの思いが、今も胸に強く残っている。
「よし、出発の日程はまだ先だけど、準備を進めよう。領民への説明も必要だし、警備をどうするか考えないと。正直、留守中に殿下の軍が襲ってきたら大変だし……」
「警備はいるけど、兵力が足りないのよね。この領地はそれほど大きな軍隊を持ってるわけじゃないし、ましてや王家の軍勢に対抗なんて難しい」
「だよな……。けど、表立って兵を動かすなら、それだけ殿下の評判も落ちる可能性がある。そこを狙うしかない。エレナさんが頑張ってくれるはず。……何とか耐えるしかない」
「私も何か手があるなら動くわ。エレナさんとは話が合いそうだし、女同士でできることもあると思う」
「助かるよ。ありがとう」
そんな話を交わしていると、ちょうど奥の部屋からロイドが出てくる姿が見えた。どうやら荷物をまとめ終わったようで、帰り支度が整っている。彼の表情は軽やか……というよりやや落ち着かなさが混ざっているように見えた。
「お、話の途中悪いな。そろそろ俺は領地を発つよ。王都に戻って準備しないと」
「そうか。手短だったけど、ありがとうな。ここまで力を貸してくれる友人がいなきゃ俺たちはどうにも動けなかっただろう」
「はは、友人、ね。……まあ、俺なりにできることはするよ。ただ、何度も言うけどリスクは高いからね。あまり期待しすぎないでくれ。成功させるためにはおまえらの覚悟も大事なんだ」
ロイドは肩をすくめつつ、最後に「じゃあな」と手をひらひらさせる。その姿に、カトレアが軽く頭を下げる。
「ありがとう、ロイド。あなたがこうして動いてくれるのは本当に助かるわ。こんな状況で、味方を自称してくれる人は貴重だから」
「味方って言葉が似合うかはわからないけど……まあ、恩を返すつもりでね。アレンには散々世話になったし、カトレア様にも色々と思うところがあるから」
「え? 何か言った?」
「いや、こっちの話。準備が整い次第、俺のほうから連絡を入れる。じゃあ、元気でな」
ロイドは笑みを浮かべつつも、どこか影のある表情をほんの一瞬だけ見せる。それは俺が話しかける間もなく、すぐに消え失せる。まるで何か思い悩んでいるようにも見えたが、本人は気づかれたくないのか視線を逸らして足早に扉へ向かった。
「行ってらっしゃい、ロイド。気をつけて」
「そっちもな。捕まるなよ」
軽口を叩き合ったあと、ロイドは侍従らしき人物とともに馬車へ乗り込む。その背中を見送る俺とカトレア。最後に彼がこちらを振り返った時、確かにわずかな憂いの色が宿っていた気がする。
「なんだろう……ロイド、何か抱えてるような顔だったわね」
「かもしれない。昔からああやって優しく笑いながら、時々何かを隠すところがあったからな。まあ、今回は王都でリスクを背負うわけだし、そりゃ気も重いかもしれない」
「……そう、よね。いずれにせよ、私たちも王都行きの準備をしなきゃ。彼に任せっきりにならないように」
「うん、俺たちだって必死なんだ。結局、自分たちが立ち上がらないと何も変わらないし……領民を説得して、留守中の体制を整えて、王都へ行く覚悟を決めよう」
カトレアは深く頷いて、そして静かに微笑む。恐怖や緊張はあるはずだが、こうして笑顔を見せる姿に俺も勇気づけられる。お互いを支え合う関係――今の俺たちにはその結束が不可欠だと痛感していた。
「あなたと一緒なら、王都の地獄だって再び踏む覚悟ができるかもしれない。もちろん、怖くないわけじゃないけど……今は逃げたくないの」
「うん。俺も同じさ。もう殿下の好きにはさせない。絶対にこの領地を守ってみせる」
「そうね。……さあ、まずは旅立ちの準備を始めましょう。いつロイドが連絡をくれるか分からないし、今から動いておかないと」
「了解、カトレア。頼むぞ」
そう言い合って、俺たちは屋敷の中へと戻る。夜会から始まった波乱が、いよいよ王都への再挑戦というクライマックスに向かって歩みを進めようとしている。
一方、庭先ではロイドを乗せた馬車が音もなく出発していた。窓越しに見えた彼の横顔は、先刻の笑みとは打って変わって暗い影を帯びていたような――そんな気がしてならない。まるで何かを隠すように、視線を窓の外にそらしながら馬車は走り去っていく。
こうして俺たちの王都行きは大きな決断として決まった。殿下に逮捕される危険、領民を置いていく不安、そしてロイドの僅かな違和感――あらゆる要素を孕んだまま、それでも先へ進まないといけない。
苦難は終わらない。けれど、カトレアとともに未来を切り開くため、俺たちは背水の陣で王都へ踏み出す決心を固める。ロイドの去り際に浮かんだ憂いの表情が、どこか胸に引っかかりながらも、いまは先を急ぐしかないのだ。




