第15話 ロイドの提案①
午前のやわらかな光が差し込む中、屋敷の応接室にロイド・ブランシェを迎えた。彼がこの領地を訪れるのは二度目で、前回の来訪時は王都の動向や殿下の圧力について警告してくれたが、その後の状況は悪化する一方――正直、ここでどんな話が飛び出すか、俺としては内心ビクビクしている。
「久しぶりだね、アレン。……どう? 領地のほうは」
ロイドが腰を下ろしながら、心配そうな目を向ける。以前と変わらない穏やかな口調だけど、その瞳はどこか影を帯びているのがわかる。俺は苦笑しつつ、テーブルの上に用意した茶を勧めた。
「見てのとおり、状況は厳しいよ。王太子殿下の圧力はますます強まってるし、ビラでの誹謗中傷も相変わらず。領民は不安になってるし、カトレアに対しても疑念の目を向ける人が増えてきて……」
「そっか。ごめん、手を貸したい気持ちはあるんだけど、俺も王都で動きにくくてさ。せいぜい情報を集める程度がやっとで」
ロイドが申し訳なさそうに眉をひそめる。友人としては十分ありがたいのだけど、この苦境を打ち破るほどの力はまだ得られていない。そんな空気を察したのか、応接室の一角に控えていたカトレアが口を開いた。
「ロイド、あなたがここに来たってことは……何かしら新しい情報があるんじゃないかしら?」
「ええ、情報というより、提案に近いかな。アレンには聞きたいことがあってわざわざ足を運んだ。少し大きな動きを考えているんだ」
「大きな動き、か……また嫌な予感がする。君がそう言う時は、だいたいリスクを伴う話だからな」
冗談めかして言ってみるが、ロイドの表情は穏やかではない。これはただ事じゃないと感じ、俺は大きく息をついた。カトレアも微かに身を乗り出している。
「ぶっちゃけ言うとさ、“このまま領地に籠もっていても状況は変わらない”んだ。いくらエレナさんが裏から物資を回してくれたとしても、王太子殿下が本腰を入れて潰そうとすれば耐えきれない可能性が高い」
「……まぁ、そうだよな。俺もわかってる。いつまでも殿下に振り回されるだけじゃ、解決の糸口は見えない」
「なら、いっそ王都へ行って、直接弁明してはどうだ?」
ロイドの一言に、空気がピンと張りつめる。今の俺が王都へ行くなんて、捕まる可能性だってある。下手をすれば“反逆者”扱いで拘束され、領地まで取り潰されかねない。腰を上げるどころか、全身が震えるような提案だった。
「王都へ……!? でも、そっちが一番危険じゃないか。ビラでデマが広まってる時点で、“アレンは国賊”っていう筋書きが作られている可能性だってあるんだぞ」
俺が即座に否定的な反応を示すと、ロイドは静かにうなずく。だが、その瞳には迷いよりも強い決意が読み取れた。
「わかってる。でも、今のまま圧力に耐え続けるにも限界がある。もし王都で他の貴族や大臣の前で弁明できれば、殿下のやり方に疑問を感じる勢力を味方につけられるかもしれない」
「疑問を感じる勢力がどれほどいるかわからないし、そもそも表立って動く覚悟があるのか……」
「正直、殿下に反発する人は少ない。それでも、“殿下を疑問に思ってはいるけど言い出せない”という人は必ずいるはずなんだ。そこにアレンが直接アピールすれば、情勢が少し変わる可能性はある」
ロイドの言っていることは理屈としては分かる。現状が行き詰まっている以上、何か大胆な手を打たなければ破局が待っているかもしれない。しかし、その大きな賭けが危険すぎるのも事実だ。俺は顎に手を当てて考え込んでいると、カトレアが声を上げる。
「私は……王都に戻るのが怖いわ。正直、また殿下に捨てられ、恥をかかされるんじゃないかって……でも、何もしなければあなたの領地も危ない。逆に考えれば、私を名実ともに“救う”なら、殿下の前で真実を訴えるしかない」
「カトレア……」
「私が王都で受けた仕打ち、あれが本当に殿下のわがままだったのなら、裏からでも抵抗する人はいるかもしれない。私がその前で誤解を解くことができるなら、何かが変わるかもしれない……」
その言葉には覚悟と恐怖が入り交じっている。王都へ行くことは、彼女にとっては“トラウマの場”へ戻るのと同義だろう。あの夜会での婚約破棄の衝撃、殿下の糾弾――思い出すだけで震えるはずだ。それでも、カトレアは顔を上げて俺を見つめる。
「アレン、あなたはどう思う? 自分の意志で決めてほしい。私は覚悟を示すけど、あなたに強要するつもりはないわ」
「俺は……正直、捕まる可能性もあるのが怖い。領地を守らないといけないし、俺自身が囚われたら元も子もないから。でも、殿下に一方的に潰される未来をただ待つのも違うと思うんだよ」
「そうだろ? もちろんリスクは大きいけれど、今のまま何もせず耐えるか、王都へ出向いて弁明するか、大きく二つの道に分かれるわけだ」
ロイドが落ち着いた口調でまとめると、カトレアはもう一度唇を噛む。どうやら、王都へ行くかどうかはアレン次第だと彼女もロイドも考えているようだ。俺は深く息をつき、頭を冷やすように一拍置いた。
「……行くなら、よほど慎重に準備しないとな。下手したら道中で襲われるかもしれないし、王都に着いてからも殿下に拘束される可能性は高い。弁明する場所を確保するのだって楽じゃない」
「だからこそ、私が力になれるかもしれない」とロイドは言う。
「実は王都の中でも殿下に距離を置く貴族がいくつかいて、俺もそこに繋がりを持っているんだ。うまく立ち回れば、君が公の場で話す機会を作ることくらいはできるかもしれない」
「なるほど。でも……彼らがどこまで本気で協力してくれるか、分からないんじゃないか?」
「うん、確かに。でも、君の領地がここまで苦しんでいるのに、黙って潰されるのを待つだけでいいの? エレナさんの支援もあるけど、それも永遠には続かないよ」
「……わかってる。悩ましいな……」
俺がぐっと拳を握って考え込むと、カトレアが一歩進み出る。その瞳は迷いを含みながらも、どこか強い光を宿している。
「もし王都へ行けば、私は自分の名誉を取り戻す最後のチャンスかもしれない。確かに、恐怖はあるわ。でも、ここで引いてばかりじゃ、あなたにも領地にも何もプラスにならない」
「カトレア……」
「だから、私はやる気よ。あなたが覚悟さえ決めてくれるなら、私だって全力で動くわ。殿下の前で虐げられたままじゃ終われない。今こそ真実を訴えるの」
その言葉に、俺は心臓が大きく鼓動するのを感じる。彼女がこんなにも強い意志を示すのは初めてかもしれない。王都という恐怖の場所へ戻る覚悟は、並大抵のものではないだろう。
「わかった。じゃあ検討してみよう。もちろん、すぐに決断はできないけど、ロイドの提案を真剣に考えてみる価値はある。君の言う通り、このまま耐え続けるだけじゃ限界があるし」
「ありがとう、アレン。私も、怖くて不安だけど、あなたと一緒なら……いや、あなたを支えるためなら頑張れる」
「……そっか。こっちこそ、ありがとう」
ロイドはホッとしたような笑みを浮かべて、椅子の背にもたれる。そして、いつもの穏やかな声で最後の確認を投げかけた。
「じゃあ、早速準備を進める方向でいいね? もちろん無理はさせないが、殿下に拘束される可能性を考慮した警護や逃走ルートも必要になる。時間はかかるかもしれないけど、もう一度都に“舞台”を用意する」
「舞台……殿下や重臣らの前で、俺たちが誤解を解くってことか」
「解くというより、真実を知らしめる。殿下のやり方を疑問視する者の声を拾う、と言ってもいいかもしれない。まあ、これは賭けになるけどね」
賭け――まったくロイドの言う通りだ。成功すれば殿下の一方的な支配を崩すきっかけになる。失敗すれば、俺やカトレアが捕まるだけでなく、クレストン領もさらに追い詰められる。恐ろしいリスクだが、こうしてまっすぐ俺の目を見て話すロイドを友として信じたい気持ちも大きい。
「うん、賭けるしかないか。俺もいずれ決断しなきゃと思ってたし、今がその時かもしれない」
「私も一緒に行くわ。殿下の前で逃げるのはもう嫌だから。そこにどんな罠があるかわからないけど……あなたを一人にはさせたくない」
「ありがとう、カトレア。じゃあ二人で王都へ行って、殿下に真っ向勝負ってことだな」
そう告げると、カトレアは小さく頷いて笑みを浮かべる。張り詰めた空気の中でも、そこには確かな意志が通じているのを感じた。一方でロイドは「決まりだね」と言わんばかりに満足げだ。
「よし、じゃあ具体的な段取りについては後日また打ち合わせしよう。俺も王都に戻って少し下準備があるから、しばし動きを待っててくれ。危険は大きいが、成功すれば一気に状況が変わる可能性もあるよ」
「うん、わかった。ロイド、頼りにしてる。気をつけて帰ってくれよ」
「もちろん。おまえもくれぐれも気を抜くなよ。殿下の取り巻きが何してくるか分からないからね」
互いに注意を促し合い、打ち合わせは一旦終了。カトレアは横で沈黙していたが、その表情はどこか決意に満ちている。王都へ戻ることへの恐怖、そして名誉を取り戻す最後のチャンス――彼女が抱える感情は計り知れないが、それを一緒に支えていけるよう、俺も覚悟しなくてはならない。
こうして、ロイドの提案という新たな展開がもたらされる。王太子リシャールとその取り巻きに苦しめられるクレストン領は、ここで大きな勝負に打って出る可能性が浮上した。成功すれば光が射すし、失敗すれば奈落へ落ちるかもしれない。その緊張感がまた、屋敷全体を張りつめた空気に包み込み始める。
(でも、もう立ち止まってはいられない。カトレアを名実ともに救うなら、王都で真実を訴えるしかない――そうするしか道はないんだ)
そんな決意を噛みしめながら、俺はロイドを見送るために玄関へ向かった。隣ではカトレアがじっと黙っているが、その指先が震えているのを見て、俺はそっと手を伸ばしかける。彼女の覚悟と恐れを思えば、今こそ手を取り合わずにいつするのか――そんな思いが込み上げていた。




