第13話 誹謗中傷の嵐③
それは昼下がり、領地の広場に人々のざわめきが広がった瞬間だった。あちこちで囁かれている「偽情報」の余波が、ついに大きな波になって押し寄せてきたのだ。
幾人かの領民が不安そうに集まり、「こんな噂が流れてるのに大丈夫なのか」「王家の怒りを買ったままじゃ、いずれ潰されるんじゃないか」と声を上げている。見ると、みんな顔色は良くない。王太子を敵に回したという話が、どれだけ恐怖を与えているかが痛感できる。
「アレン様、どうなさるんです? 殿下が本気でこのクレストン領を潰すと決めたなら、我々はどうやって生きていけば……」
「大丈夫。決してそんなことはさせないから」
俺は強く言い切るものの、目の前の領民たちは安心した様子を見せない。デマビラに書かれていた「国賊」の文字や「悪役令嬢を庇う領地」といった表現が、徐々に彼らの不安を煽っているのだろう。王都と取引が途絶えれば、生活が立ち行かなくなる恐れだってある。
「でも、アレン様……私たちが日々こうして農作物を育てても、王都へ売りに行けなかったら生活が成り立ちませんし、第一、殿下の名を耳にするだけで震えが……」
「わかるよ。殿下に反抗するように見えれば、他の商人や貴族も距離を置くからな。でも、この領地を潰すなどとさせるつもりはない。今は策を練っているから、もう少しだけ信じて待ってほしい」
「……信じて待って。はい、わかりました」
しかし、その言葉に「やがて我慢できなくなるかもしれない」と言いたげな苦悶が見え隠れしている。一人の領民が、振り絞るような声で呟いた。
「アレン様、もしも……もし、カトレア様を引き渡せば、殿下は怒りを収めてくれるのでは……?」
静まる広場。俺の心臓が一瞬止まりそうになる。カトレアがそっとこちらを見ているのを感じたが、彼女はすぐに目を伏せて何も言わない。その代わり俺が、否定の言葉を吐き出す。
「そんなこと、絶対にしない。カトレア様を犠牲にするなんて、考えたこともない。ここまで共に過ごしてきた仲間を、ましてや何の罪もない人を差し出すなんて許されない」
「で、ですが……このままだと、殿下に潰されるかもしれないんですよ? カトレア様をかくまっていると、ビラにもありましたし……」
「ビラの内容は全て偽情報だ。そこに書かれた通りになんてさせない。俺は殿下に牙をむかれても、負けるつもりはない。君たちの生活を守ると誓ったじゃないか」
「……はい。わ、わかりました」
領民たちはバラバラに散っていくが、彼らの背中には重い不安がずっしりのしかかっているように見える。王家への恐怖は、それだけ大きいのだ。王都に近いとはいえ、その権力の前に逆らえる術などないと思っているからこそ、生き延びるための手段を真剣に考え始めている。
「……私がいるせいで、余計に領民を追い詰めてるわね」
いつの間にか隣に立ったカトレアが、宙を見つめながら呟いた。冷静を装っているように見えるが、その瞳には自責の念がうかがえる。
「違う。君のせいじゃない。これまで何度言えばわかってくれるんだ。殿下が理不尽に追い詰めるのが問題で、俺がそれを受けているだけ」
「ええ、そうなんだけど……でも、この状況を見たら、領民たちは“あの公爵令嬢をかくまってるから”、殿下の怒りを買ったって思うのよ。事実、私が王都で失脚したことをきっかけに、あなたが殿下と衝突してるわけだし」
「たしかに相関関係はあるかもしれない。だけど、一番の原因は、俺が殿下と正面からぶつかったことだ。領民に責められるならまだしも、君が責任を負う必要はないだろ」
「そう言われても……私がここにいる限り、領民の不安は消えないわ。『あの悪役令嬢を庇うなんて正気か』と思われて当然。彼らは普通に暮らしたいだけだもの」
カトレアの声には、深い悲しみが宿っている。王都で散々誹謗中傷を受け、いままたこの領地でも同じような事態が繰り返されている。「悪役令嬢」「犯罪者」「魔女」――そんなラベルを貼られ、人々が離れていく経験を何度してきたのだろう。彼女のやりきれない気持ちが、手に取るように伝わってくる。
「……ここで俺が折れたら、殿下の思い通りだ。君を追い出したところで、彼らが次に見つける標的は俺になるのは明白だろう。だからこそ一緒に踏ん張るんだ。君を犠牲にして領地を守っても、そんなの意味がない」
「あなたは本当に頑固ね。……ありがたいけど、領民がどこまで耐えられるかは別問題よ」
「わかってる。だから、ここでなんとか一矢報いる。エレナさんの協力や、他の手段を総動員して。絶対に、この土地を守ってみせる」
カトレアは小さくため息をつき、曇った空を仰ぐ。雲が厚く垂れ込め、光を遮っている。まるで王太子の絶対的な力を象徴するかのように、陰鬱な空気が広がる中、彼女は言葉を押し殺すように続けた。
「私がもう少し愛想よくして、あなたが正しいという話を領民に説明できたらいいのに。……でも、どうやっても疑いが払拭できないのよ。ビラのインパクトが強すぎて」
「そう……さ。俺も説得しているけど、やはり殿下への恐怖心が勝るみたいだ。俺が何を言っても、『本当に大丈夫なのか』って顔で見られるからな」
「くっ……」
ぎゅっと拳を握るカトレア。彼女がこんな苦悶の表情を見せるのは珍しい。一方、俺も歯がゆい思いでいっぱいだった。領民もただ不安をぶつけてくるわけじゃない。彼ら自身の生活がかかっているのだから当然だ。
話しているうちに、遠くから聞こえてくる領民たちの声が小さくなっていく。「もうクレストン領は危ない」「王家に逆らったら終わりだ」という断片が耳に飛び込むたびに、心がえぐられる。
「……暗い空気だな。みんなに『何も心配いらない』なんて、無責任に言えないのが辛い」
「そうね。私とあなたがどれだけ言葉を尽くしても、不安が消えるわけじゃない。王太子の力は絶大だもの」
「だけど、だからといって引き下がるわけにはいかない。カトレア、君だけはわかっていてくれ。俺が最後まで闘うってことを」
「ええ、わかってるわ。……私も一緒に耐える。たとえこの土地の人たちがみんな離れても、あなたを一人にはさせない」
思わずその言葉に胸が熱くなる。彼女の誓いは本物だろう。王都で孤立していたころとは違い、今はお互いを支え合うパートナーとして繋がっているのだ。それでも、暗い空は晴れない。領民たちの不安が増大し、表情が冴えないまま帰っていく姿を見送るしかできないのが悔しい。
「……どうなるんだろうな、この先。エレナさんのルートが形になるまで、領民はどこまで耐えられるのか」
「本当に、わからないわ。でも、手を尽くすしかない。あなたも、私も、ここで諦めるわけにはいかないの」
「そうだよな。こんな悪質な中傷に負けるわけにはいかない。王太子を讃える人間ばかりじゃないってところを、絶対に示してやろう」
俺たちの決意とは裏腹に、周囲の空気はますます重く沈んでいく。噂はさらなる噂を呼び、領民が我慢できなくなる日も近いのかもしれない。だが、ここで心折れては俺の信念もカトレアの誇りも踏みにじられるだけだ。
雲行きは怪しいまま、風が冷たく吹き抜ける夕刻。俺とカトレアは、まるで逆巻く嵐の前触れを肌で感じながら、領民の不安を少しでも和らげるために歩き続ける。それがどれほどの意味を持つのか、今は誰にもわからない。けれど俺たちは――あきらめない。守り抜く、と決めたのだから。
こうして、“誹謗中傷の嵐”がいよいよクレストン領の内部を揺さぶり始める。カトレアは耐え続け、俺も立ち尽くすことなく奮い立たせる。だが暗い空気を拭い去る術はまだ見えないまま――次の一手を探りながら、俺たちは夜のとばりを迎えるのだった。




