第13話 誹謗中傷の嵐②
翌朝、屋敷の門の前には華美ではないが整った身なりの男が、いかにも落ち着かなさそうに立っていた。近隣の下級貴族、シグルト伯爵家の使者だという。使用人の案内で玄関ホールへと通しても、どこか落ち着きなく目を泳がせているのがわかる。
俺は苦笑まじりに出迎えながら、内心で「またデマビラの影響か」と頭を痛めていた。
「アレン・クレストン男爵様……本日は時間をとっていただき、ありがとうございます。実は、最近出回っている“あの噂”についてお聞きしたく……」
男は居心地悪そうに言葉を濁す。カトレアは廊下の影で様子を伺っているのがちらりと見えたが、あえて姿を現さず見守るつもりらしい。俺は仕方なく応接室へ通し、丁重に客人の様子をうかがう。
「こちらこそ、お越しいただいてありがとうございます。噂、というのは、王都から送りつけられたあの文書のことでしょうか?」
「ええ……。正直、あれには驚きました。カトレア・レーヴェンシュタイン様が“犯罪者”で、あなたがそれを匿っている、さらには“国賊行為”に荷担しているのではと……正気の沙汰とは思えませんが、王太子殿下の名がちらつくとなると、無視もできません」
「もちろん、全て嘘ですよ。殿下に逆らった結果、デマをばら撒かれているだけです。どうか信じてほしい」
俺は必死に真意を伝えようとするが、使者の目はどこか疑心暗鬼の色を帯びていた。
「しかし……王家を敵に回すなんて狂気の沙汰、と周囲では言われておりますよ。あの夜会で、あなたが殿下に歯向かったという話も聞きますし。私としても伯爵様に報告しなければならず、あなたを擁護していいのかどうか……」
「歯向かった覚えはありません。ただ、理不尽に糾弾されたカトレア様を庇っただけです。結果として殿下の怒りを買ったのは事実ですが、国賊扱いなんてのは全く事実無根です」
「ええ、そちらの立場は理解したいのですが……王太子が真実と違う話を流す可能性はどうなんでしょう? 我々にしてみれば、殿下の名を軽々に疑うわけにもいかず……」
男の言い分もわかる。王家に睨まれるのがどれほど恐ろしいか、この地方では痛感している真っ最中だ。こうして相談に来るだけでも彼らの勇気だろう。けれど、噂の衝撃は相当に強い。うかつに俺を支持すれば、シグルト伯爵家まで巻き添えになりかねないのだ。
「……噂なんて、殿下の取り巻きが作り上げた偽情報にすぎません。もし伯爵様が信じてくださるなら、ぜひ直接お会いして説明したいですが……」
「そ、それは……伯爵も、いま王家の顔色を窺っていて……正直、難しいでしょうね。いずれにせよ私は、領地間の繋がりが大事なので報せに来ましたが……二度と関わりたくないという気持ちもあるのが本音です」
「……そう、ですか」
一瞬、会話が途切れる。使者の冷や汗まじりの様子からして、「どうして王家と対立なんかしているのか」「巻き添えになるのは御免だ」という思いが透けて見える。
「でも、あなたが“犯罪者を庇う共犯者”だという話が本当ならば、そう遠くないうちにクレストン領も危機に陥るでしょう。申し訳ないが、伯爵家としては距離を置かせてもらう可能性が高い……」
「わかりました。あなたの立場もあるでしょうし、強制はできません。だけど……どうか、この噂は信じないでいただきたい。俺たちは国賊でも犯罪者でもありません」
「……承知しました。少なくとも私は、あなたの言葉を疑うつもりはありません。ですが、周囲の目が厳しいのも事実。あなたが本当に大丈夫なのか、我々も見守るしかない……」
最後の言葉には、もはや協力する気が薄いのが伝わる。使者は申し訳なさそうに頭を下げて応接室を出ていくが、その背中からは「関わりたくない」オーラが滲み出ていた。苦い雰囲気に包まれたまま、俺は立ち上がり、廊下へ出てみる。
すると、カトレアが廊下の片隅に立ってこちらを見ていた。悲しそうな表情を浮かべながら、一度俯いて小さく息をつく。
「……やっぱり、誰もあなたを簡単には信じてくれないのね。私のせいでもあるわ。『カトレアが悪役令嬢だ』なんて噂が広がりきってるし、あなたが庇ったからなおさら……」
「大丈夫。君のせいじゃないって言ってるだろ? そりゃ、殿下を恐れる人が多いのは当然なんだ。俺だって、彼らを責める気にはなれない。……俺が選んだ道だから」
「でも、そうやって孤立していくのを傍で見るの、辛いわよ。私は王都でひとりぼっちにされるのに慣れたけど、あなたまで巻き添えになるなんて……ごめんなさい」
「だから、謝らないでくれって。守るって決めたのは俺だ。君が自分を責め続けると、俺まで何もできなくなりそうだ」
カトレアは苦笑まじりに「わかったわ」と答えるが、その表情には大きな悲しみが張り付いている。あの使者が放っていった絶望感――「二度と関わりたくない」という態度――それが周囲の真意なのだろうか。
「いずれにせよ、近隣の下級貴族や領主は王家に逆らえない。俺に一目置いてた人も、殿下を敵に回す狂気の沙汰を見れば躊躇するだろうな」
「……ごめんなさい。本当に、こんなことを繰り返すのは嫌なのに。ああいう態度、いやっていうほど王都で味わったわ」
彼女が思い出すのは、きっと婚約破棄に至るまでの冷たい視線、取り巻きによる陰口、そして最後は誰も助けてくれなかった苦痛。今まさに俺がその道をなぞっているのを、彼女は目の当たりにしているのだ。
「でも、諦めない。たとえ周囲が離れようと、ここを放棄するわけにはいかないし……エレナさんの協力もある。きっと打開策が見つかるさ」
「……そうね。あなたがそう言うなら、私も信じる。私なんかのために巻き込まれてるのを見るのは辛いけど、それでもあなたが『守る』って言うなら、私も応えたいし」
カトレアの瞳がわずかに潤むのを見て、俺はそっと彼女の肩に手を置きたい衝動に駆られる。ただ、王都では誤解を恐れてそんなことはできなかったし、ここでも彼女のプライドを思うと簡単に触れられない。
「ありがとう。もし君がいなかったら、俺もここまで踏ん張れなかったかも。孤立していくのは辛いが、君が近くにいてくれるだけで、まだ頑張れる」
「……勝手に言ってなさい。別にあなたを励ますつもりなんてないわよ」
「言わないよ、わかってるさ」
わざとらしく笑ってみせると、彼女はぷいっと顔を背ける。そんな拗ねた態度が逆に彼女の優しさを感じさせるから不思議だ。気づけば、廊下の奥では使用人たちが、さっきの使者を見送る準備をしている。遠目に見ると、もう二度と関わりたくないと言わんばかりの気まずい雰囲気が漂っていた。
「ま、そうやって去って行く人を止めても仕方ないよ。俺は俺のやり方で、この領地と君を守る。いずれその姿を見て、また戻ってきてくれる人がいるかもしれない」
「……そうだといいわね。私は正直、あなたほど楽観的にはなれないけど」
「そうかもしれない。でも俺は信じたいんだ、最後まで――殿下に負けずに生き残れるってね」
そう言い切ると、カトレアはわずかに口元をほころばせ、「なら止めないわ」と呟く。王家を敵に回したことで周囲が離れ始める現状は恐ろしいが、それでも俺たちに退路はない。もう踏み込んだ道なのだ。
(王太子に屈しろと、どれだけ言われても諦めない。君を犠牲にするくらいなら全部捨てる覚悟だ)
再びそう心に誓いながら、俺は廊下の奥の使用人に合図する。次こそは、俺たちが逆境を乗り越えるきっかけを掴む番だ――そう思いたい。結局、その近隣貴族の使者は「もう二度と関わりたくない」と言わんばかりに早足で馬車を出発させていった。その後ろ姿を見送るとき、カトレアは小さく唇を震わせる。
「……ひどい顔してるわよ、アレン」
「仕方ないだろ……けど、大丈夫。俺はまだ諦めないから」
「ええ、私も。こんなことで殿下の思い通りになってたまるもんですか」
ツンと尖る言葉に隠れた共闘の意思を感じ、俺は胸の奥が熱くなる。孤立感は否めないけれど、この状況でも互いを支え合おうとする気持ちが確かにここにある――それだけが、いま最大の救いだった。




