第13話 誹謗中傷の嵐①
エレナの協力で少しだけ希望が見えた――はずだった矢先、まるでそれを嘲笑うように、王都からとんでもない“荷物”が届いたのは翌日の午前中のことだった。使用人が血相を変えて書類の束を抱え込んでくるのを見て、俺は胸に嫌な予感が走る。
「アレン様、大変です……。こちら、王都から送られてきた文書なんですが、どう見ても怪しいものばかりで……」
「怪しいって……何だよ、そんなに大量に……」
俺が差し出されたのは、何十枚と束ねられた怪文書のようなビラだった。見ると、そこには大きな文字で「カトレア・レーヴェンシュタインは犯罪者」「アレン・クレストンは国賊」と書かれている。さらに細かい文面を確認すれば、あまりにも誹謗中傷がエスカレートした表現が並んでいた。
「犯罪者……? 庇っている……? なんだ、これ……? ありえないだろ」
激しい怒りがこみ上げ、つい声が荒くなる。驚いた使用人は肩をすくめて離れていったが、そんな反応も気にしている余裕はない。これが王都のやり口なのか――殿下の取り巻きが動いていることはわかっていたけれど、まさかこんな悪質な手段で攻撃してくるとは。
「どうやら偽情報のオンパレードって感じだな。『カトレアは国を乱す魔女』『アレンはその魔女の共犯』……もう滅茶苦茶書いてある」
「……ひどいわね」
いつの間にか隣に立っていたカトレアが、その紙をひとつ手に取って目を走らせる。彼女の表情は、怒りというよりも深い疲れを帯びていた。
「私を“魔女”扱いするなんて、さすがに初めて見るわ。犯罪者呼ばわりも、もう何度目かしら……慣れてしまう自分が悲しいわね」
「カトレア……ごめん。怒りが収まらないよ。君にこんな理不尽が降りかかるなんて」
彼女は小さく首を振る。王都の冷酷なデマや陰謀に散々さらされてきた彼女としては、これくらいでは驚かなくなってしまったのかもしれない。それがかえって胸に痛い。
「今さら何を言われても、驚かないわ。でも、あなたまで“共犯者”として書かれるのはさすがに申し訳ない。……もう、何をどう誤魔化せばいいんだか」
「何を謝るんだよ、こんな悪質なデマ、放っておけるはずがない。領民たちにも見られてしまうだろうし、まずは回収して対策を打たないと……」
ちょうどその時、遠くから慌てた様子で村の男性が走り寄ってくる。まだ息が切れたままの状態で、こちらに声をかけた。
「ア、アレン様! 先ほど村の広場にも、同じようなビラがばら撒かれているのを見つけました。一部の人は“もし本当に犯罪者をかくまってるなら、クレストン領も危ないんじゃ……”って疑い始めていて……」
「くそ、早速広まってるのか。捨て置くわけにはいかないな。俺もすぐ向かうから、みんなに落ち着くよう伝えてくれ。これは明らかに偽情報だと」
「は、はい……でも、王都からの書類となると、皆も無視できないようで……」
男性は困り顔のまま、俺を慮るような目を向けて戻っていく。こうして直接目にした以上、領民が動揺するのは無理もない。“王太子と敵対している領地”というレッテルを貼られれば、不安が広がるのは当然だ。
「でも、こんなの対処のしようがないわよね。書かれている内容が悪質でも、『王太子の取り巻きが送ったものか』なんて証拠はないし」
「そうだな……しかし、殿下の取り巻きが裏で暗躍してる線は濃厚だ。領地を攻め落とすのに兵力を使わず、デマで内側から崩すつもりだろうか」
ビラには「カトレアが王宮の秘密を漏洩している」「アレンが国王を裏切る計画を進めている」といった悪意に満ちた文言が並ぶ。いずれも根拠のない嘘だが、民衆はそういったスキャンダルにすぐ流されてしまう危険がある。
「こんなひどい文書を見たら、領民も疑わざるを得ないわよ。特にあなたへの信用が揺らげば、領地全体が崩壊しかねない」
「そう……絶対に負けるわけにはいかない。デマを信じて離れていく領民を出さないためにも、何とかしなきゃならない」
言葉にすると、怒りと焦りが心に混ざり合う。まるで悪質な心理攻撃というか、王太子側の陰湿な手段をまざまざと見せつけられた気分だ。俺は拳を握りしめて唇を噛んだ。
「……私は大丈夫。あれだけの夜会で晒し者にされたんだから、今さら『犯罪者』なんて書かれても傷つかない。けど、あなたの領民は違うわ」
「わかってるよ。俺が殿下を怒らせたせいだと思えば、領民はますます不安に思うだろうし……このビラには『クレストン領に味方したら共犯扱い』みたいな煽り文句もある」
「ひどいね、それ。まさに誹謗中傷の嵐。私が原因とされるなら、もうどうやって止めればいいのか」
カトレアは自嘲気味に苦笑するが、その声には悲しみがにじんでいる。王都で悪意の噂に晒されることに慣れたとはいえ、こうして自分以外の人々を巻き込む形での中傷は耐え難いのだろう。
「大丈夫。君を責める人はここにはいない……はずだ。いや、もし現れたとしても、俺が説得して回るよ。こんなバカみたいなビラを真に受けないように」
「でも、それだけじゃ根本的な解決にならないわ。王太子からの圧力が背景にある以上、時間が経つほど嫌な噂が増えるかもしれない」
「わかってる。だからこそ“こんな悪質な手に負けるわけにはいかない”ってことだ。俺はこの領地を守り、そして君を守る。もう一度、そう決意したよ」
強い口調で言葉を放つと、カトレアは軽く目を伏せ、ゆっくりと息をついていた。
その姿は、どこか諦めや慣れが混ざっているようにも見えるけれど、ほんの少しだけ安堵した気配が伝わってくる。彼女にとって救いなのは、王都とは違ってクレストン領では堂々と味方を名乗ってくれる人がいることかもしれない。
「……王太子の手段がいよいよ本格化してきた、ということね。エレナが支援を申し出てくれたのも、ここに間に合うかどうか怪しいけれど……それでも諦めるわけにはいかないわね」
「うん。エレナさんが作ってくれる“密やかな支援ルート”が形になれば、少なくとも物資面は何とかなるかもしれない。情報戦も強化して、誹謗中傷に負けない策を考えるしかない」
「私もいい加減、“慣れた”なんて言わないで動くわ。こんなビラ、何十枚だろうと撥ね返してやりたい」
「頼もしいね。――よし、まずは領民に広く呼びかけよう。これは明らかなデマだし、俺たちが立ち向かう姿勢を示さないと」
カトレアは深くうなずき、落ちていた一枚のビラを拾い上げてじっと睨む。「犯罪者」「国賊」「魔女」――あり得ない単語の羅列。王都の社交界の毒を象徴するような悪意に満ちた文字に、彼女は一瞬苦笑いを漏らすが、すぐに真剣な眼差しに変わった。
「こんなくだらない話に負けるわけにはいかない。アレン、私がついている限り、絶対に彼らの好きなようにはさせないわ」
「ありがとう、カトレア。それにしても王太子もずいぶん汚い手を使うよな……。まぁ、俺も人のことは言えないけど、あっちが本気ならこっちだってやれるだけやろう」
「ええ、そうね。覚悟を決めましょう。どんなに中傷されても、殿下が私を魔女扱いしようと、今はこれで終わらない。あなたの領地を守って、私たち自身も生き延びないと」
そう言い合って決意を固めると、使用人たちが回収していた大量のビラを抱えて部屋に戻ってくる。汚い言葉が並んだ紙の山を前に、二人で悔しさを抑えながら最後の一枚まで確認する。この事態をどう収束へ導くか――暗い現実に胸を痛めながら、決して引き下がらない意志を確かめ合うのだった。
こうして、王都からの誹謗中傷の嵐がクレストン領を揺るがし始めた。カトレアの“悪役令嬢”としての汚名が、まるで新たな形で押し寄せてくるように感じられる。だが、俺たちはもう逃げも隠れもしない。王太子がどんな手を使おうと、守り抜く――そう心に誓ったのだ。ここで屈するわけにはいかない。




