第12話 密やかな支援①
あの日、領地の門前が妙なざわつきに包まれたのは、まだ朝の冷たい風が残る時間帯だった。
遠くから見ると、白く優雅な馬車が砂埃を巻き上げながら進んできて、村の子どもたちは「王都から誰かが来たの?」と噂し、領民たちも少し落ち着かない様子で様子を伺っている。俺も不安定な経済情勢の中、まさかまた王太子の使いかと警戒していたが、その馬車は王家の紋章でも取り巻きの兵士も連れておらず、まるで颯爽と現れた貴婦人の一行のようだった。
玄関先に立つと、使用人が慌てた調子で迎えに出てくる。
「アレン様、大変です! 馬車で貴婦人らしき方がご到着されました。何やら、『ぜひ当主アレン・クレストン様に会いたい』と仰っておりますが……」
「俺に会いたいって? 誰なんだろう……」
王都からの新たな干渉なら厄介だと身構えつつも、さっそく外へ出る。すると、アーチのような門の前で、純白のドレスを纏った女性が馬車から降りてくるのが見えた。透き通るような肌と優雅な立ち居振る舞い――まるで舞踏会の場から抜け出してきたかのよう。傍らには侍女と御者が控えており、その丁寧さからも彼女がかなりの身分を持つ人物であることをうかがわせる。
「これは……お初にお目にかかります。こちらがアレン・クレストン様でいらっしゃいますか?」
近づいてきた女性は、丁寧に頭を下げる。俺が彼女を見上げると、その瞳は柔らかな色をしていた。どうやらまだ二十代前半といった印象で、けれど王都の貴族らしい気品をまとっている。
「ええ、俺がクレストン男爵家当主のアレンです。あなたは……?」
「ご挨拶が遅れました。私の名はエレナ・ホワイトローズと申します。ご存じないかもしれませんが、王都では多少の顔が利く身分ですわ」
そう言うと、彼女はきれいな微笑みを浮かべる。使用人たちが思わず見とれてしまうほどの美貌と気品だが、どこか穏やかな空気も感じられる。
「ホワイトローズ……聞いたことがあるような。すみません、こちらは田舎で、あまり王都の事情に疎くて」
「気になさらないでくださいな。私も、こちらの領地を訪れるのは今日が初めてですし。ですけれど、あなたには一度お会いしたいと思っていたのです」
一度会いたかった……いきなりそう言われても戸惑うばかりだ。もしかすると、王太子の関連で来た刺客かもしれないと警戒するが、彼女の柔らかな物腰はどうにもそれと結びつきそうにない。
「せっかくいらしたのですから、よろしければ中へどうぞ。こんな田舎ですが、どうかお寛ぎください」
「ありがとうございます。実は、少しお話ししたいことがありまして……。ともかく馬車で移動が長かったものですから、やや疲れてしまって」
エレナ・ホワイトローズはそう言うと、使用人が促すままに屋敷の玄関ホールへと入っていく。その優雅な歩き方に、領民たちは外から窺うように視線を送っている。まるで「このご時世に王都からわざわざ来たとは、一体何者なんだ?」という好奇がそのまま声になっているかのようだ。
俺も先に立って、すぐに応接室へ案内した。深緑の壁紙と絨毯の落ち着いた空間に、エレナは「まあ、素敵なお部屋ですこと」と感心した様子を見せる。そこにさっと使用人が茶を運んできてくれたが、彼女は軽く礼を言ってから椅子に腰掛け、俺を見上げた。
「実は、王都の事情に通じる者として、あなたに少しだけ“救いの手”を差し伸べたいと考えているのです」
「救いの手、って……どういうことなんでしょうか? 王太子殿下に逆らった俺を助けるなんて、相当な覚悟が必要だと思いますが」
思わず真剣な声色になる。もし、王太子と対立している俺に支援するなどと堂々と言えば、彼女もただじゃ済まないのではないか。確かに困窮している領地にとって、手を差し伸べてくれるならありがたいが、そんな好意を素直に受け取れるほど状況は甘くない。
「詳しいお話は、改めてゆっくりさせていただきたく思います。まずは自己紹介が遅れてしまった非礼をお許しくださいませ。――私はホワイトローズ侯爵家の娘で、王都でも多少のコネクションがございます。国政に大きな権力を持つわけではありませんが、いくつかの商会と関わりが深くて……」
「なるほど。ホワイトローズ侯爵家なら、たしかに大貴族とまではいかないまでも、王家に一定の影響力を持つ家ですよね。失礼ですが、どうしてそんなお家柄の方が、このクレストン領なんかに?」
素朴な疑問がこぼれる。こちらとしては一介の下級貴族の領地だし、王太子に逆らったと噂される土地にわざわざ訪れるメリットはあまりないはずだ。エレナはおっとりと微笑みながら、ティーカップを手に取る。
「王太子殿下に逆らった男爵様――アレン・クレストン様には興味がありましたの。それに、あの公爵令嬢カトレア様が一緒におられると聞いて……少しでもお力になれればと思って」
「お力に、ですか? 噂が広がっているだけで、実際に王都で何か動きが……?」
「殿下の圧力が強まっているのは間違いありませんわ。ほら、あの夜会での婚約破棄騒動は大きな波紋を呼びましたし、下級貴族のアレン様が殿下を批判したとなれば、誰もがその後を気にしています。正直、私もカトレア様には同情の念がありまして」
「同情、ね……」
彼女の物言いには、どこか切実さが混じっている。軽い興味だけで来たわけではなさそうだ。王太子リシャールの振る舞いを快く思っていない勢力が、多少なりとも存在するのかもしれない。ただ、それがどれほどの力になるかは未知数だ。
「あなたとカトレア様を直接救えるほど大それたことはできないと思います。ただ、商会やいくつかのパイプを通じて、ここへ小さな支援を送ることなら可能かもしれない。もちろん、あまり目立たない形でですが……」
「なるほど。もし本当に実現できるなら、助かります。この領地は王都の流通に依存してきた部分もあって、殿下からの圧力で一気に危機に立たされているんです。何か策が欲しいと思っていた矢先で」
「お役に立てるかどうかはわかりません。でも、私も殿下のあの仕打ちを見過ごせないと思っていて……こうして直接足を運んだのです。あなた方の状況をもう少し詳しく聞かせていただければ嬉しいわ」
エレナ・ホワイトローズの言葉に、俺は不覚にも胸が熱くなる。ここまで露骨に王太子の出方を懸念してくれるなんて予想外だ。ほんの一筋の光かもしれないが、今の俺には何よりも求めていた救いだ。
「わかりました。では応接室へ案内します。詳しい話をさせてもらいましょう」
「ええ、ありがたいですわ。カトレア様にもご挨拶したいけれど、まずはあなたと二人でお話しする機会をいただけますか? 私、少し踏み込んだ話をする予定ですの」
「踏み込んだ話……? わかりました。まずは俺が受け止めましょう。あとでカトレアにも話を通しますね」
「よろしくお願いいたしますわ、アレン・クレストン様」
エレナの物腰は最後まで優雅で、かつ意味深な空気を漂わせている。王家からの圧力に苦しむこの領地に、どんな救いの手を提示してくれるのか。俺は期待と警戒を同時に胸に抱きながら、彼女を応接室へ再び導く。
こうして、唐突な来訪者によって運命の歯車がまた動き始める。リシャールの圧力に追い詰められる日々の中、一筋の光となるか、それとも新たな波乱の導火線となるのか――それはまだ、神のみぞ知る。ともかく、俺たちはこの奇妙な“密やかな支援”に賭けてみるほかないのだ。




