第11話 王太子の動き①
朝の澄んだ空気が屋敷を満たしていた。ここしばらくは領地でのんびりとした日々が続いており、俺とカトレアも心の余裕を取り戻しかけていた。庭園を歩けば、穏やかな春の気配が感じられ、王都の喧騒からは想像もつかない静かな時間が流れている。
しかし、その平和が長くは続かないことを、俺はどこかでうすうす覚悟していたのかもしれない。王太子リシャール殿下が、そう簡単に僕らを放っておくわけがない。そうとはわかっていても、いざ事態が動き出すと胸がざわついて仕方ない。
それは、王都との商取引を担う商人が慌てた様子で屋敷にやってきた時のことだ。
「アレン様、大変なことになりそうです。王都からの支援物資が、どうも止められかねないって噂が流れていまして……」
「支援物資が、止められる……? どういうことなんだ?」
思わず声を荒げて問いただすと、商人は肩で息をしながら答える。
「噂の段階ですが、殿下に逆らったクレストン領に協力するのは損だ、という話が出始めていて……大きな商会が、取引を徐々に打ち切る姿勢を見せてるんですよ」
「まさか、ここまで露骨に……リシャール殿下が本気で俺たちを潰す気なのか?」
「わかりません。ただ、殿下を擁護する取り巻きが裏で動いている可能性は高いかと。このままでは、領地へ運ばれる予定だった穀物や生活物資が滞るかもしれません」
「くっ……」
頭の中で警鐘が鳴る。王都に居た頃、ロイドから「リシャール殿下は表立った制裁をせず、陰で手を回す」と警告されていたが、ついに現実味を帯びてきたのだろう。平和な時間を過ごしていた俺にとっては、あまりにも突然で厳しい事態だ。
報告を終えて引き上げようとする商人を引き止めて、「他に何かわかったらすぐ教えてほしい」と頼むと、彼は心配そうな顔でうなずいて去っていった。屋敷の廊下に立ち尽くすと、いつの間にか背後にカトレアの姿があったのに気づき、思わず声をかける。
「……全部聞いてたか?」
「ええ、なんとなく嫌な予感がしたから。支援物資が止まる……それって、あなたの領地にとって大問題でしょう」
「間違いなく大問題だよ。まだ噂段階とはいえ、殿下の力を考えれば確実に現実化する可能性が高い。俺たちが王都を出てからしばらく平穏だったけど、それもここまでか……」
沈んだ表情のまま唇を噛みしめる俺を見て、カトレアはそっと近づく。普段なら言葉がきつい彼女も、今は戸惑いを隠せない様子だ。
「……私のせいで、ごめんなさい。王太子殿下に捨てられたって噂が回れば、当然こうなる可能性はわかってたのに。あなたの領民にまで迷惑をかけるなんて……」
「いや、気にしないでくれ。これは俺が王太子に真っ向から逆らった時点で覚悟していたことだ。君がいなくても、いずれこうなっていたと思う」
「でも、私がここに来たから余計に『あの公爵令嬢を匿う気か』なんて言われてるんじゃない? 本当に、申し訳なく思うわ」
カトレアの目には申し訳なさが浮かんでいる。彼女は王都での仕打ちを思い出しているのかもしれない。俺は首を横に振り、強く言い聞かせるように言葉を重ねる。
「だから違うんだ。これは俺の決断で、君を王都から連れてきた責任は俺にある。領民たちにも迷惑をかけたくないけど……もう後戻りはできないし、する気もない」
「……そこまで意地を張らなくてもいいのに。王太子殿下に謝れば、少なくとも領地は安全になるかもしれないのに」
「謝っても仕方ないよ。それに殿下は許す気なんてないだろう。加えて、君を犠牲にする形になるのは論外だ」
キッパリと言い切る俺を見て、カトレアは微かにため息をつく。彼女なりに申し訳ないと思っているのだろうが、そんな彼女をさらに追い詰めるわけにはいかない。今こそ、この領地をどう守るかが最優先だ。
「まさかリシャール殿下がここまでやるとは……。王都からの支援物資が止まれば、領民の生活に直結する。下手をすれば飢えや病気が広がる恐れもあるんだ」
自分で言いながら、ゾッとする。地方の男爵家とはいえ、この領地は決して豊かとはいえない。王都からの物資や商取引に少なからず依存している部分があったのだ。
「……私の家のほうも、何かしらフォローできたらいいんだけど。今の状況じゃ連絡すらままならないわ。それに、父や兄も王家に睨まれるのは怖いだろうし、あまり頼りにはならないかもしれない」
「そうだな。レーヴェンシュタイン家の人たちも、王太子の影響力を考えれば動きづらいだろう。はあ……どうするか」
廊下に重苦しい沈黙が訪れる。カトレアがじっと床を見つめているのを横目で見ながら、俺は領民への影響を考えて頭を抱える。王太子に逆らったという評判が噂レベルから具体的な行動へと発展しはじめた。やはり甘くはなかったのだ。
「ねえ、アレン。領民が困らないように、あなたも策を練えているんでしょう? 私にできることがあれば手伝うわ。王太子との戦いは私の問題でもあるし」
「ありがとう。でも、今はまだ情報が少なくて、具体的な対策を立てられない。とりあえず商人からの情報収集を強化して、被害の規模を把握しないと」
「そっか……それでも、私も部屋に引きこもってるだけじゃ落ち着かないわ。何か仕事を手伝いたい。領民に申し訳なくて……」
彼女の言葉に混じる“責任感”が痛々しいほど伝わってきた。悪役令嬢と呼ばれながら、実は内面では常に家や周囲のことを考えて行動していた証拠だろう。王太子の圧力で領民が苦しむなんてこと、彼女が一番耐えられないのかもしれない。
「気にしすぎなくてもいいさ。君が来たからこうなったわけじゃない。……まあ、一緒に考えよう。領民たちにできる限りの助けを与えながら、王都からの物資がなくても回る方法を探るしかない」
「……わかった。何でも言ってちょうだい。私も偉そうにするより動いたほうが気が紛れるわ」
「頼もしいな。よし、まずは商人の動きを把握して、代理のルートを開拓するかもしれない。支援物資が止まっても、他の地方と取引できれば何とかなるんじゃないか」
「ええ、情報は私も集めるわ。王都で多少の人脈があったし、ロイドが助けてくれる可能性もある。今は打てる手を全部打つしかないものね」
二人で顔を見合わせ、小さくうなずき合う。これまでカトレアは王都から逃げ延びてきた立場で、俺も“王太子に逆らった男”として追われる危険がある。そんな状況で、領地の人々まで巻き込むわけにはいかない。
「……ありがとう、カトレア。落ち着いて話してくれるだけで助かるよ。いつものツンツンが来るかと思ったけど、こういうときは真面目に考えてくれるんだな」
「だ、だって仕方ないでしょう。今は茶化してる場合じゃないんだから……。べ、別にあなたのために動くってわけじゃないし」
「はいはい、わかってますよ。いつも通りで安心しました」
「茶化さないでってば! もう、いま大事な話をしてたのに……」
思わず吹き出しかけるが、カトレアの頬がほんのり赤く染まっているのを見て、急いで笑みを抑える。シリアスな状況だけど、彼女がツンとしながらもしっかりこちらを見てくれるのは心強い。
「まあ、何があっても俺たちが弱音を吐けば、この領地は一気に傾くかもしれない。それだけは避けたいからね。君が背中を押してくれるなら、俺も頑張るさ」
「……いいわ。頑張りなさい。私も自分の無力さを嘆くだけじゃ嫌だもの。こうなったら全力で動いてやる。王太子が陰で何をしてるか、暴いてみせるわ」
「心強いね。よし、さっそく明日から動こう。商人とのコネやロイドへの連絡、そして領地内での防衛策を考える。殿下に負けるわけにはいかないから」
「ええ。私も王都で培った知識があるし、情報戦なら多少は手伝えると思う」
そう言い合ったあと、二人はほっと息をつく。最初に報せを受けたときの衝撃はまだ消えないが、これで少し方向性が定まった。王太子の狡猾な動きに屈しないために、できることは全部やる――そんな決意が胸に宿る。
「じゃあ、とりあえず夕食までには具体的なリストを作ろう。手分けして動けば、なんとか最悪の事態は避けられるかもしれない」
「わかったわ。あなたがまとめてくれるなら、私も相談に乗る。……ごめんなさいね、本当はこんな問題がなければ、田舎でのんびりできたのに」
「なんで謝るんだよ。君がいるから俺も踏ん張れるんだ。そう思ってるから」
その言葉に、カトレアは一瞬たじろぐように目を伏せる。しかしすぐに口元を引き結んで、「勘違いしないで」とツンと返した。そうして俺たちは、王太子からの圧力に立ち向かうための第一歩を踏み出そうと、領地を守る策を考え始めるのだった。
穏やかだった日々が一転、暗い影が伸びてくる――だが、この領地の平和を守るため、そしてカトレアを守るため、もう一度戦う覚悟を固める。王都から届く悪い報せは確かに辛いけれど、俺たちが手を取り合うことでどこまで踏ん張れるのか。それを試される新たな局面が、今まさに幕を開けようとしていた。




