第9話 領地での日々②
翌日。
朝の仕事をひととおり終えた後、俺はカトレアと一緒に村の大通りを歩いていた。王都のような華やかさはもちろんないけれど、農作物を売る露店や子どもが駆け回る姿がちらほら目につく。カトレアは相変わらずツンとした表情のまま、横目でこの素朴な光景を観察している。
「なんだか、この辺りもずいぶんにぎやかになったな。前に帰ってきたときより子どもの数が増えてる気がするよ」
俺がそんな風に話しかけると、カトレアは「そうなの?」と素っ気ない調子で返事をする。実際、ここ数年で領地に移り住む若い夫婦が増えたせいで、子どもたちの姿はぐんと増えた気がするのだ。
ふと見ると、小さな子どもが何人か集まって談笑していた。一人の女の子がこちらに気づき、じーっとカトレアを見つめている。その大きな瞳には好奇心が満ちているようで、やがて意を決したように手を振りながら駆け寄ってきた。
「わあ、すごい綺麗なお姉さん! お、お姫様みたい!」
女の子の感嘆の声に、周りの子どもたちも「ほんとだ!」「お姉さん、お姫様なの?」と口々に騒ぎ始める。カトレアは最初きょとんとした顔をしていたが、急にそんなに注目され、多少戸惑っているようだ。
「ちょ、ちょっと……なに、急に」
「いや、まあ……子どもたちは素直だからね。カトレア様がきらびやかな雰囲気を持ってるのを『お姫様』っぽいと思ってるんだよ」
俺が肩をすくめながらそう言うと、カトレアは少し頬を染めて視線をそらす。王宮育ちなのに、こうして子どもからまっすぐ「お姫様みたい!」と興味を向けられるのは珍しいのかもしれない。
「わ、わたしは……別に王家の姫ではなくて……ただの……」
きまり悪そうに答えるカトレア。子どもたちは彼女の言葉を半分も聞いちゃいない様子で、「わあ、ほんとにドレスが綺麗」「髪もさらさらー!」と大はしゃぎしている。
そのうちの一人、背の小さな男の子が、恐る恐るカトレアのドレスの裾をつんつんとつついた。
「お姫様、王都から来たの? ぼく、一度でいいからお城を見てみたいなあ!」
「お城……まあ、王宮なら何度か行ったことあるけど……」
「え、本当に行ったことあるの!? すごい、すごい!」
子どもたちの瞳がますます輝いて、興奮した声が飛び交う。「お話聞かせて!」「王様に会った?」「バルコニーから手を振るの?」などと次々に質問が飛び出し、カトレアは完全に押され気味だ。俺は思わず笑いそうになるが、ぐっとこらえて見守ることにする。
すると彼女も逃げるように後ずさりはせず、仕方なく相手をしているうちに少しずつ落ち着いてきたようだ。やがて、その困惑の表情がどこか「悪くないかも」という様子に変わっていくのが見て取れる。
「王様には直接お会いしたことはないわ。私はただの貴族だもの。でも、夜会には何度か出席して……」
「夜会!? すっごーい! 踊ったりするんだよね? いいなあ、ぼくたちも踊りたいなあ」
「それは……まあ、華やかだったわね。あなたたちが想像するほど素敵かはわからないけど……」
一度話し出すと、子どもたちは目を輝かせて質問攻めだ。カトレアは最初こそ面倒くさそうだったが、いつの間にか小さな笑みを浮かべながら答えている。ものすごく柔らかな笑顔……というほどではないが、普段のツンとした口調とは違う柔和なトーンが漏れているのだ。
(……彼女、こんな優しい顔もできるのか)
それを見て、俺は新鮮な驚きに包まれた。王都では常に高慢な仮面を被り、素直になれない彼女が、子ども相手に自然と笑顔を見せるなんて、想像していなかった。
そのうち子どもたちの一人が、「ねえねえ、お姫様!」とドレスの裾を掴んで引っ張る。さすがに慣れない触れられ方にカトレアは一瞬ビクッとするが、すぐに「や、やめなさい」と軽くたしなめるだけで押しのけようとはしない。
「まったく……服が汚れたらどうしてくれるのよ」
「えへへ、ごめんなさい。あのね、お姫様も村のお祭りとか、一緒に踊ったりしない?」
「あ、あたしも見たい! お姫様のダンス! 絶対きれいだろうなあ」
「だ、ダンスって……無茶言わないで! 王都の夜会ならともかく、田舎の道端で踊れっての?」
カトレアが真っ赤になって慌て始める。子どもたちはそんな彼女の様子に大はしゃぎし、周囲をぐるぐる回りながら「踊れ、踊れ!」と合唱しはじめた。俺はこれ以上放置すると大変なことになりそうだと判断して、軽く手を叩いて注意を促す。
「ちょっと待て、みんな。カトレア様は疲れてるんだ。無理を言うなよ」
「あれ、アレン様……。ごめんなさい!」
「そうそう。カトレア様は王都の生活で大変だったんだから、踊らせるならもっと休んでもらってからにしよう。な?」
子どもたちは口々に「ああ、そうだね」「疲れてるんだね」と納得して離れていく。彼女のドレスの裾を掴んでいた子も「ごめんなさい!」と素直に謝り、ばつが悪そうに笑ったあと、仲間と一緒に走り去っていった。
晴れやかな笑顔を残して去っていく子どもたちの後ろ姿を見て、カトレアはふうと息をつく。ほんのり頬が赤く染まり、軽く髪の毛を整えながらつぶやく。
「……びっくりした。私、子どもに囲まれるの慣れてないわ」
「そりゃ王都の貴族子女は、あまり庶民の子どもと触れ合う機会がなかったろうしな。でも、楽しそうだったじゃないか?」
「た、楽しそうって……別に私が楽しんでたわけじゃないわよ。ただ、相手をするしかなかっただけで……」
「でも、ちゃんと笑ってたよ。普段見ない表情でさ。可愛かったなあ」
「か、可愛いって……あんたね、王太子に反論したくせに私をからかう気?」
「からかってないって。俺は素直な感想を言っただけだよ。ツンツンしてたけど、子どもたちの質問にちゃんと答えてあげるとか、やさしいんだなーって」
「や、優しいわけじゃない。放っておくとどこかに行ってしまいそうだったから、仕方なくよ。……変に勘違いしないで」
言葉とは裏腹に、カトレアの頬は赤いままだ。今まで王都の貴族社会では見せなかった姿――子どもに囲まれて照れながらも笑顔を浮かべる場面など、彼女自身が想像すらしていなかったのだろう。俺はそれを目の当たりにして、胸が温かくなる。
「じゃあ、勘違いしてないけど、ありがとな。子どもたちも嬉しかったみたいだし、俺も助かったよ」
「ふん……別にあなたの助けになろうなんて思ってないわ。だけど……まあ、嫌な気分ではなかったかも」
そう言って、カトレアは照れ隠しのように視線を逸らす。王都の社交界で見せた冷たい仮面とは違う、素の表情がそこにはあった。やがて小さく咳払いをすると、少し強がった口調で付け加える。
「ただ、笑わないでちょうだい。ほんとに、私がこんな風に接してるのを見て、くすくす笑ったりしたら許さないから」
「わかったよ。……でも、微笑ましい光景だったから、つい顔がニヤけそうになるのを堪えるのが大変でさ」
「やっぱり笑ってるじゃない! もう、知らないわ」
ぷいっと顔を背けるカトレアだが、その横顔にはうっすらと嬉しさがにじんでいるように見えた。昔なら考えられない表情だろう。俺はそんな彼女の姿を目に焼き付けながら、いまのこの穏やかで微笑ましい空気を大切にしたいと強く思う。
(王都では味わえなかった、こんな小さな幸せのひと時……いいもんだよな)
自然と俺の気持ちも軽くなり、肩の力が抜ける。危険や不安は確かにいっぱいあるけれど、今はこの田舎でカトレアと穏やかな日常を少しずつ築いていく。
頬を膨らませたままのカトレアの横に並び、村のメインストリートを進む。まだまだぎこちないけれど、その内面にある優しさを子どもたちが引き出してくれた。俺はその事実が妙に嬉しくて、心がぽかぽかしていた。
「……まったく、あなたまでにやけてるから腹が立つわ」
「え、そう? ごめんごめん。でも、なんだか悪い気はしないだろ、こういうの?」
「……うるさいわね。勘違いしないでよ。私はただ、田舎の子どもが想像より無邪気だったというだけ――あっ、笑ってるでしょ!」
「いやいや、笑ってない、笑ってない。さ、次はどこを回ろうか?」
「勝手にすればいいわよ。でも、……まあ、一緒にいてあげるわ。感謝しなさい」
そう宣言して、カトレアは少しだけ得意げに胸を張る。その姿を見て、やはり俺は笑いを堪え切れず、つい口元が緩んでしまう。王都では見せなかった、ほんの少し可愛らしい彼女の仕草。子どもたちとの触れ合いを経て、さらに柔らかな面を見せてくれるかもしれないと思うと、胸が高鳴る思いだった。
(やっぱり田舎暮らしも悪くないよな……)
そう心の中で呟きながら、カトレアと並んで歩く足取りに弾みがつく。王都とは違う温かな日差し、笑顔を向けてくれる領民、そして子どもに懐かれてちょっと戸惑うカトレア――すべてが、新鮮でほのぼのとした世界を作り上げていた。




