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月下の反逆者 ~王太子に逆らった青年と断罪された令嬢の逃避行~  作者: ぱる子


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第9話 領地での日々①

 朝の空気がまだひんやりと残る中、俺は大きなカゴを携えて屋敷を出発した。今日は領地の見回り日――主に収穫物や家畜の様子を確認するため、村の家々を回る予定だ。いつもなら俺ひとりか、もしくは使用人数名を連れていく程度で済むのだが、今日はちょっとした“珍客”がいた。


「……本当に私を連れて行くの?」


 カトレアが、玄関先で少しむっとした表情を浮かべている。とはいえ、彼女から「ついていきたい」と言い出したわけではなく、こちらから誘ったわけでもない。むしろ、“退屈だから外に出ようと思ったら、ちょうど同じタイミングだった”というだけだ。


「別にいいだろ? せっかくここにいるんだし、領地の様子を知っておくのも悪くないと思うよ」


「ふん……私が地方の農家の事情を知ってどうするのか、よくわからないけど、退屈よりはマシというだけよ。勘違いしないで」


「うんうん、わかってる。じゃあ、一緒に行こう」


 ツンツンしながらも、彼女の足取りは俺の隣に揃っている。馬車で行くほどの距離でもないので、歩きがてら村の道を進む。朝日の差す田舎道を歩くうちに、カトレアは少しずつ表情を和らげていく。王都にいた頃は派手なドレスで馬車移動が当たり前だったろうが、今は薄手の外套とブーツという動きやすい格好になっている。


 村は朝から活気があり、畑や牛舎に向かう人々の姿がちらほら見える。俺たちが通りかかると、「おはようございます、アレン様!」と声をかけてくれる領民も多い。そのたびに、カトレアが少しばかり居心地悪そうにしているのが面白い。


「おはよう! 今日は収穫物を確認して回るから、何か問題があったら言ってくれ」


「はい、助かります。ところで……あちらのお嬢さんは?」


「俺の客人だよ。しばらくここで過ごすことになってて――ほら、カトレア様、挨拶くらいはどうかな?」


「べ、別に……私がわざわざ領民に挨拶する必要なんてあるの?」


 そう言いつつも、カトレアは「ありがとう」と小声で呟いて会釈する。やはり、何だかんだ礼儀は欠かさないのが彼女らしい。領民も「あらまあ、美しいお嬢さんですねえ」と目を丸くし、好奇心いっぱいの笑みを返してくるから、カトレアは途端に落ち着かなくなるようだ。


「まあ、悪い気はしないけど……私としては微妙ね。この領地の人たち、距離が近いわ」


「田舎だからな。あんまり壁を感じなくていいだろ?」


「それを楽だと感じるか、煩わしいと感じるかは人それぞれよ。でも、あなたの領民は素朴で悪意がないのは伝わるわ」


「だろ? そんなに構えなくてもいいんだ。きっとすぐ慣れるさ」


 そんなやりとりをしながら歩いていると、一軒の大きな納屋が見えてくる。そこでは飼われている家畜の世話が行われているらしい。俺は「ここでちょっと確認させてもらおう」と立ち止まり、声をかける。


「失礼します、アレンです。調子はどう?」


「おや、アレン様! はいはい、家畜も今年は病気ひとつなく元気です。もうすぐ出産シーズンでもあるんで、注意深く見守ってるところですよ」


 年配の女性がニコニコ顔で迎えてくれ、納屋の中を見せてくれる。カトレアもついてくるが、当然こんな場所は初めてだろう。羊やヤギが鳴く声に、少し動揺した表情を隠しきれない。


「ねえ、これ、すごい匂いがするんだけど……本当に平気なの?」


「うん、家畜の糞とか飼料の匂いが混ざってるからな。慣れれば大丈夫さ。苦手なら外で待ってもいいんだぞ?」


「……平気よ。私だって、そんなにヤワじゃないわ」


 そうは言うが、顔を少ししかめているのが明らかで、俺は思わず笑ってしまいそうになる。けれど、それを見たカトレアが「笑わないでちょうだい」と拗ねるように睨むから、急いで表情を整えた。


「はいはい、悪かった。で、どう、初めて見る田舎の納屋は?」


「感想を求められても……うーん、まあ、思ったより荒んでいないというか、ちゃんと管理されてるのね。清掃も行き届いてるし」


「そうだよ。領民のみんなも大切にしてくれてるんだ。家畜は彼らの生活の一部だからな。大雑把に扱ってるわけじゃない」


 納屋の一角では、女性がヤギに餌を与えているのが見えた。カトレアは興味津々といった様子でそちらに近づくが、ヤギが顔を伸ばして「ベェ」と鳴くと、一瞬ぴくりと後ずさる。普段王宮で見慣れた“高貴な動物”などではない、実用的に飼われている家畜への接し方に戸惑うのだろう。


「食べさせてみる?」


「わ、私が? えっ、ちょっと……」


「ほら、ここに干し草があるから。これを少し手のひらに乗せて差し出してみて」


「む、無理よ。きゃっ……!」


 ヤギが慣れた様子でカトレアの手から干し草を食べようと顔を突っ込んできた瞬間、彼女は驚いて干し草を落としてしまう。足元には干し草の切れ端が散らばり、思わずドレスの裾が少し汚れてしまう。


「……やっぱり無理じゃない。こんなに近くで動物と触れ合うなんて初めてなのよ」


「大丈夫、ヤギはおとなしいから襲ってこないよ。服汚れちゃったね……ごめん。使い古しだけど、拭く布あるから、それでとりあえず……」


「いいわ。自分でなんとかする。笑わないでって言ったでしょ!」


「いや、笑ってないって。ちょっと微笑ましいなと思っただけで」


 彼女が少しムキになって怒りだすものの、頬がほんのり赤い。「こんなの、慣れないわよ」と不満げにつぶやきながらも、まんざらでもない様子が伝わってくる。たぶん新鮮で興味深い経験なんだろう。


「ごめんごめん。俺には普通の景色だけど、君にとっては初めてづくしだもんな。驚かせて悪かった」


「……ふん、べ、別にいいわよ。知らないことばかりで戸惑うだけ。あまり笑わないでくれればそれでいいの」


 そう言いつつ、カトレアは落ちた干し草をなんとか拾い集め、「ああもう……服が汚れた」とブツブツ言いながらも小さな苦笑を浮かべる。ツンとしているのに、どこか可愛らしく見えるのだから不思議だ。


「アレン様、お二人ともよく来てくださいました。ヤギの状態も良好でして、本当に助かってますよ」


 納屋の女性が笑顔で報告してくれる。見ると、カトレアにも「ありがとうございます」と何度も頭を下げている。公爵令嬢をこんなに近い距離で見るのが初めてらしく、最初は緊張していたが、カトレアが素直に手伝おうとしてドジを踏んだ姿を見て一気に距離が縮まったようだ。


「い、いや、私が手伝ったのはちょっとだけだし……むしろ足を引っ張っただけかも」


「いえいえ、そんなこと。お気持ちだけでも嬉しいです。おかげで家畜も元気ですよ~」


「ふ、ふん……そう。なら良かったわ」


 いつもならプライド高く構えている彼女が、ちょっと困惑した笑顔を浮かべている。そこに強がりが混ざっているのが何とも彼女らしく、俺は思わず口元を押さえてしまった。


「なに? また私を笑おうとしてるの?」


「いやいや。笑ってないってば。ただ、ちょっと嬉しいんだよ。君がこうして俺の領民と馴染んでくれてるのがさ」


「そ、そんなこと……っ。勘違いしないで。私は王太子に捨てられた身だし、あなたに合わせてるだけよ」


「はいはい、わかったわかった」


 そう言いながら、どうしても微笑ましい気持ちが抑えきれない。彼女が領地の空気に少しずつ慣れてきた証拠だろう。王都のギスギスした雰囲気とは真逆の、このほのぼのとした村の暮らしが、彼女のプライドの鎧を少しずつ解かしている。


「……まったく、笑わないでと言ったはずなのに」


「ごめんって。でも、その姿、すごく良いと思う。君が無理に貴族ぶらなくても、みんな普通に受け入れてくれるからさ」


「……わかってるわよ。ああもう、服を汚したせいで恥ずかしい」


「じゃあ屋敷に戻って着替えようか? もうひと通り確認も済んだし」


「そうね……あなたもまだ巡回するんでしょ? 私は先に帰るわ」


 そう言い捨てて、彼女は門の外へと足早に向かう。最後にちらりと振り向いて、「あとで嘲笑したら承知しないわよ」と警告めいた視線を送ってくるから、俺は苦笑を浮かべつつ首を振った。


「嘲笑なんてするわけないだろ。むしろ感謝してるんだよ。ドジ踏んでも手伝おうとしてくれたから、皆も喜んでたし」


「だ、だから、そういうのが恥ずかしいの。……もういいわ、帰るから」


 ツンと顎を上げながら歩き去る彼女の後ろ姿を見送っていると、周囲の領民がクスクスと微笑ましい視線を送ってくる。こんなやり取りを目の当たりにして、どうやら楽しんでいるらしい。王太子の婚約破棄騒ぎで来た公爵令嬢が、こうして日常の一端に溶け込みつつある光景に、俺もなんだか温かい気持ちでいっぱいだ。


(この平和がいつまで続くかはわからないけど、今はこの瞬間を大切にしよう)


 そう思い直して、俺は納屋の主へあと数点だけ確認事項を伝え、軽くお辞儀をして外へ出る。遠くで揺れるカトレアのドレス姿はもう見えないが、ほんの少しだけ、彼女との距離が縮まった気がした――そんな感慨を抱きながら、残りの仕事に取りかかることにした。次に顔を合わせるとき、彼女はどんな表情を見せるのだろうと期待半分、不安半分で。

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