第8話 ロイドとの再会③
ロイドとの再会と情報交換を終え、俺たちは応接室のソファに腰を下ろしたまま、一息ついていた。何と言うか、緊迫した話が多すぎて、頭の中がぐるぐるしている。王都での情勢は確かに最悪の方向へ向かいつつあるようだけど、ここで下手に動いても被害を拡大しかねない。それを思うと、胃が痛くなるような感覚が走った。
「――要するに、当面は静観するしかないってことか」
俺が茶を飲みながらそう呟くと、ロイドは苦笑まじりにうなずいた。優しい物腰とは裏腹に、その瞳には淡い影が宿っている。
「正直、王都側に不穏な動きがあるのは間違いない。けど、あなたたちが今下手に動けば、領地にも影響は避けられないと思う。殿下の取り巻きは陰で圧力をかけるのが得意だからね」
「……やっぱりそうか」
「ええ。むしろ、ここで慎重に体制を整えておくほうが賢明だよ。領民にも迷惑をかけたくないだろう?」
ロイドの言葉に、俺は唇を噛むようにしてうつむく。一方、カトレアは相変わらずツンとした姿勢で目を細めていた。
「ねえ、アレン。あなた、ずいぶん悩んでるみたいだけど、私のせいで領地が危険にさらされるとでも思ってるの?」
カトレアが少し挑戦的な調子でそう問いかけてくる。俺は慌てて手を振りながら否定した。
「いや、違うんだ。あなたのせいというより、俺が王太子殿下に盾突いたことで、ここが狙われる可能性を無視できなくなっただけだよ。もともと、あなたを守るつもりで行動したんだ。今さら責任を放り出すわけにはいかない」
「でも、そのせいで領民にまで負担をかけるかもしれないんでしょう? そこまで背負い込んで、あなた一人で何とかできると思ってるの?」
鋭い口調に、ロイドが苦笑して口を挟んだ。
「カトレア様、それこそがアレンの“いいところ”であり、欠点でもあるんだ。昔から、弱い者や困っている人を見捨てられない性格でね。自分がどうなろうと気にしないタイプ」
「……それ、あんまり褒めてないわよね」
「まあ、似たような苦労を何度も見てきたからさ。今回も同じだよ。アレンは領地と君を守りたい、その二つの思いでいっぱいなんだ。だけど、王太子殿下がそこを狙ってくるなら、得策とは言えない。だから俺としては、一旦“静観”を勧めるしかないんだ」
「要するに、余計なことするなってことだろ? 俺が無謀な行動を取って、さらに状況を悪化させないように」
思わず自嘲気味に言うと、ロイドは申し訳なさそうに目を逸らした。
「まあ……そうなっちゃうかな。俺も手を貸したい気持ちはあるけど、実際どこまで協力していいか難しい。王家に逆らうリスクは、俺の領地だって背負うことになるから。わかってくれ」
「わかってる。無理を言うつもりはないよ。情報だけでもかなり助かるし……」
「私も同感ね。助けたい人を助けられないのは歯がゆいだろうけど、今は耐えるべきときなのかもしれない」
カトレアが意外にも同調する言葉を漏らす。ツンツンした口調ではあるが、現実をちゃんと把握しているのだろう。むやみに動いて王太子の逆鱗をさらに買うよりは、ここで体勢を整えたほうがいい――言ってしまえばそういう話だ。
「……それでも俺はカトレアを守りたい。王都を逃げ出す形になったのは俺の責任だし、領民に迷惑をかけたくないというのも本音だ。でもどこかで動かなきゃ、事態は変わらないんだろうけどな」
「ええ。けど、焦って空回りしても意味がないわ」
カトレアは唇をきゅっと結ぶと、視線を斜め下に落とす。彼女なりに王都や実家のことを気にしているのだろうが、それを素直に口にできないのが彼女たるゆえんだ。
「私のことは、あまり気にしなくていいのよ。私は私で、家族や父たちがどんな動きをしているかを探りたいし、あなたが必要以上に心配しても仕方ないわ」
「必要以上、か……まあ、あなたを放っておけない以上、心配はして当然さ」
「ふん、余計な心配は無用よ。……でも、ありがとう」
最後の小声は、俺以外にはほとんど聞こえなかったかもしれない。横目で見たロイドが微かに苦笑しているので、彼も気づいたようだけど、あえて言及しないあたり大人な対応だ。
「はいはい、そういうわけで、当面は“変に動かず、ここで静観”するのが無難だよ。俺も、何かわかったらすぐに報せる。王都の知り合いに色々聞いて回るから」
「助かるよ、ロイド。おまえがいてくれて、心強い」
「その代わり、俺の領地や家族に迷惑がかかりそうなら手を引くよ? 悪いけど、そこは割り切ってくれ」
「うん。もちろん。強要なんてするつもりはない」
そう合意が取れると、室内の空気が少しだけ柔らかくなった。カトレアも肩の力を抜いたのか、テーブルに置いたカップを手に取り、ため息交じりにお茶を啜る。
「あなたたちの友情はたいしたものね。お互い危ない橋だって知っていながら、情報を交換し合うなんて」
「はは、まあ幼なじみだからこそ、こんな無謀な協力もするんだろうな。俺はロイドの優しいところを信頼してるから、多少迷惑かけても許してもらえると信じてる」
「ふうん、そう。……まあ、王都の貴族って表面だけ取り繕う人が多いから、こういう関係はちょっと羨ましいかも」
言いつつも、カトレアの口調はやっぱり素直じゃない。ロイドも苦笑を浮かべ、「どうせ皮肉混じりだろう」とでも言いたげな目で俺を見たが、そこに敵意や苛立ちはない。
「じゃあ、俺は明日には領地へ戻るよ。長居してると逆に目立ちそうだし。何か起きたらすぐに知らせるから、アレンもカトレア様も無茶しないようにね」
「わかった。ありがとう。しばらくはここで領地の警戒を強めておく。カトレア様も、俺に言いたいことがあればいつでもどうぞ」
「……だからと言って“私が何をしても助ける”とか言わないでよね。わかってるでしょうけど、あなたは下級貴族なんだから」
「うん、もちろん理解してる。でも、助ける意思はあるよ。そこは譲れない」
「勝手にしなさい。私は別に頼んでるわけじゃないんだけど」
ツンツンした口調で言い捨てるカトレアだが、その頬にわずかな赤みが差しているのを、俺は見逃さなかった。やはり、どこか感謝しているのだろう。ロイドはそんな二人のやり取りを眺めつつ、小さく微笑む。
「ふふ、なんだか微笑ましいね。ま、俺としては変なところで仲違いされるよりずっといい。ひとまずここで平穏にやり過ごして、王太子殿下の動向を注意深く見守るのが最善だろう」
「それが当面の方針、だな。動くのは殿下が本格的にこちらを狙い始めてから、あるいはカトレア様が別の手段を見つけてから……」
「ええ、そのときまで私も下手には動かない。そんな大騒ぎは、もうこりごりだし」
こうして、なんとも不安を孕みつつも、俺たちの“暫定の方針”は固まった。王家の追及をかわすため、そしてカトレアが静かに過ごせる環境を整えるため、ひとまずクレストン領で静観する。ロイドも積極的には助けられないが、情報提供だけはしてくれる。
(まぁ、落ち着いたと言っても、いつ殿下が牙を剥くかわからないんだけど……)
胸の奥底では、依然として不安が燻っている。けれど、ここで決着が着くわけでもないし、余計に騒ぎを起こせばマイナスにしかならない。ならば、一旦はこの“平穏”を守ることに専念するしかないだろう。
「じゃあ、この話はこれで一段落ということで。ロイド、おまえもゆっくりしてってくれよ。長旅で疲れただろ」
「はは、ありがとう。せっかくだし、少し休ませてもらうよ。おまえが領地を誇ってた頃から、どれだけ変わったか見てみたいしね」
「ほら、変に期待しないでよ。田舎は田舎だけど、いいところなんだから」
「ふふ、それは楽しみだな」
そんなやり取りで場が和んだところ、カトレアが小さく咳払いして立ち上がる。
「私は部屋に戻るわ。これ以上、男同士の友情話に付き合っても退屈だし。……あなたたち、勝手に盛り上がっていれば?」
「おっと、悪かったな。でも、よかったら後で案内しようか? 領内の景色もきれいで――」
「今はいいわ。気が向いたら声をかけるから、勝手に騒いでなさい」
そうツンとして言い捨てて、彼女は部屋を出て行く。その背中からは微妙に柔らかな空気が感じられ、完全に不機嫌というわけでもなさそうだ。ロイドも「あれがカトレア様か」と笑って肩をすくめている。
「ふふ、想像してたよりずっと可愛いじゃないか」
「勘弁してくれ。面倒だけど、放っておくわけにもいかないし……まぁ、こうして少しずつ打ち解けていくしかないさ」
「そうだね。まあ、頑張れ。俺もできるだけ見守ってるよ。この領地で静観する日々が長くなるかもしれないが、どうせなら楽しめばいい」
「おまえもな。無理して王都に戻って危険に巻き込まれないように」
互いに苦笑し合い、ひとまず落ち着いた雰囲気が応接室を包む。周囲にはまだ不穏の火種がくすぶっているけれど、今は無理に動くよりも、ここで平穏を保つほうが利口な選択というわけだ。
こうして、当面は“クレストン領での静観”が確定した。王太子殿下の狡猾な陰謀から逃れながら、カトレアがゆるやかに心を解きほぐしていく日々が始まる――そんな予感を抱きつつ、俺はロイドと顔を見合わせて小さく笑う。これが次なる波乱の始まりを予感させるなんて、その時点ではまだわからなかった。




