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月下の反逆者 ~王太子に逆らった青年と断罪された令嬢の逃避行~  作者: ぱる子


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第7話 領地での再会③

 翌日。

 朝の冷たい空気が和らぎ、陽光が柔らかく差し込む頃合いを見計らって、俺はカトレアを屋敷の外へ誘い出した。昨晩は思いのほかぐっすり休めたらしく、彼女の顔にも少しだけ余裕が見える。もっとも、ツンとした表情は相変わらずだが、体調が悪いわけではないようだ。


「……一体どこへ行くつもりなの?」


 廊下を抜け、玄関ホールを出たところでカトレアが問いかけてくる。まだ若干険のある声色だが、嫌々ついてきているわけでもなさそうだ。せっかく領地に来たのだから、少しずつ慣れてもらいたい――それが俺の狙いだった。


「ただの散策だよ。周りにどんな人が住んでるか、とか、どんな場所があるかを知っておいたほうが落ち着けるだろ? ずっと部屋にこもってたら息苦しくないか?」


「ふん、別に部屋にいても苦にならないけど……まあ、退屈はするかもしれないわね。いいわ、付き合ってあげる」


 そっけない返事に胸を撫で下ろす。カトレアはこの手の誘いを断るかと思いきや、あっさりと承諾してくれた。やはり多少は興味を持っているのだろう。王都では決して得られないような風景と空気が、ここにはあるのだから。


 屋敷の門を出て、近所の小道を歩き始めると、朝の光を浴びた田舎の景色が広がっていた。ごく普通の土の道や、点々と並ぶ石造りの家々、農地が遠くまで続いている。王都のような華美さは皆無だが、その代わり、人々の生活が息づいているのが感じられる。


「ほら、あそこに井戸がある。村人が毎朝、水を汲みに集まる場所なんだ。王都なら水道が整ってるだろうけど、ここじゃまだこういう形が主流なんだよね」


「へえ……まあ、非効率っていえば非効率だけど、悪くないわ。なんだか、生活感があるというか」


「そうなんだ。でも、俺が生まれたころよりはだいぶ整備されてる。昔はもっと道も荒れてたし、雨が降ると泥だらけで大変だったよ」


 そんな会話を交わしながら歩いていると、向こうから野良仕事帰りと思しき老人が杖をつきながらゆっくり近づいてきた。俺を見ると、顔をほころばせて笑う。


「おやおや、アレン様、もうお戻りだったんですねえ。ご無事で何よりだ」


「うん、ただいま。しばらく留守にしててごめん。いろいろあって遅くなったんだ。調子はどう?」


「ええ、それはもう、皆変わりなくやっております。あっちの畑も、今期は豊作の見込みでしてなあ」


 そんなやり取りをしていると、老人がカトレアに気づいた様子で「おや?」と首を傾げる。よほど珍しいのか、目を丸くして彼女を見つめている。


「アレン様の……お連れの方、でしょうか?」


「ああ、事情があってしばらく俺の屋敷で過ごすことになったんだ。カトレア・レーヴェンシュタイン様。王都から来てくれた」


「おやまあ……そりゃあまた、なんとも気品のあるお嬢さんですな。ようこそ、こんな田舎へいらしてくださって!」


 老人が慌てて頭を下げるものの、カトレアはわずかに引き気味だ。そもそも、地方の農民と直接言葉を交わすなんて、王都の貴族なら滅多にないだろう。しかし、彼女も王都での“肩書”から逃れたい部分があるのか、そこまで嫌そうには見えない。


「……ええと、はじめまして。よろしくお願いします」


 カトレアが思わず小さく会釈する。見ると老人は「あら、まあ」と嬉しそうに頬を緩めている。そんな様子が彼女には少し戸惑いだったようで、目線を合わせようとせず、ひそかに俺をちらりと見やった。俺は笑顔でうなずいて応える。


「ここじゃ特別な身分よりも、人柄のほうが重視されることが多いかな。だから、あんまり身構えなくて平気だよ」


「べ、別に身構えてるわけじゃないわ。ただ……あまりにもストレートに歓迎されるから、対応に困るの」


「そういうのが田舎の良いところなんだよ。おかしな打算とか陰口よりも、まず挨拶や親しみを持ってくれる人が多い。ま、距離感が近すぎて戸惑うこともあるかもだけど」


 俺がそう言うと、カトレアは「ふん……」と小さく鼻を鳴らす。しかし、その頬にはわずかに赤みが射しているのを俺は見逃さなかった。どうやら、高位貴族としての仮面が少しだけ外れて、素直に“悪い気はしない”と感じているようだ。


「おかえりなさいませ、アレン様ー!」


 遠くから声が響き、子どもたちが走り寄ってくる。「また会った!」とばかりにカトレアの姿を見て目を輝かせる。カトレアはびくりと肩を跳ねさせるが、子どもたちは無邪気に近づいてきた。


「お姉さん、またお散歩? 今日は遊んでくれる?」


「え、ええと……?」


 王都の令嬢が子どもたちと触れ合うなんて想像もしていなかったのだろう。カトレアはまるで言葉が出てこない様子だが、子どもたちはお構いなしに笑顔を向けている。俺はそこで子どもたちの興奮を宥めるように、


「ごめん、カトレア様はまだこっちの生活に慣れてないから、あまり無茶を言わないようにな?」


「はーい。でも、お姉さん、やっぱり王都の人ってキラキラしてる! すごく綺麗だよ!」


「こらこら、失礼だろ」


「ううん、嬉しいわ。ま、あの、ありがとう……」


 カトレアは恥ずかしそうに視線を逸らしつつも、ほんの少しだけ微笑んでいるように見える。子どもたちの純粋な歓迎に、最初は困惑していた彼女もどうやら悪い気はしないらしい。もしかすると、王都の社交界で味わった打算まみれの対応とは正反対の反応が新鮮なのかもしれない。


「ほら、こんな感じでここでは誰もあなたを糾弾したりしないよ。むしろ、珍しいお客さんが来たってんで、ちょっとした話題になるくらいだ」


「……そうなのね。確かに、王都とは大違い。よくわからないわ」


「わからなくて当然だよ。でも、それでいいんだ。王都みたいに誰かを排除するなんて風潮はあまりないし、ここではそれぞれができる範囲で助け合ってるからさ」


 そう言いながら、俺はカトレアの横顔をちらりとうかがう。彼女はあの“高位貴族としてのプライド”を鎧のように纏い続けていると思っていたが、この光景を前にわずかにその鎧にヒビが入ったようにも見える。


「……なるほどね。ここでは私のあれこれを知っていても、直接責めたりはしないわけ?」


「まぁ、王都みたいに根回しで追い込むなんて手法はほぼないかな。皆、素朴で自分の生活を守るのに精一杯なんだ。だから逆に、人を落とす余裕がないんだろう」


「ふん……あなたの領民は幸せなのかもしれないわね。王都なんて、どこもかしこも駆け引きばかりで疲れるもの」


 歩きながらそんな会話をするうちに、カトレアの表情が少しだけ和らいでいくのがわかった。まるで肩の力が抜けて、ほっと一息ついているかのようだ。王都で受けた婚約破棄の衝撃と嘲笑、その後の暗い圧力が一時的に薄れているのかもしれない。


「よし、もう少し歩いてみる? あの丘を越えたあたりに小さな林があって、散歩にはちょうどいいんだ」


「……勝手にすれば? 別に嫌じゃないわよ。田舎の空気というのも、思ったより息苦しくないし」


 ツンと尖った口ぶりだが、その足取りは俺の後を自然に追ってくる。まるで背中を押されるように歩いている彼女を見て、思わず口元がゆるんだ。田舎の素朴さが、彼女の固い心を少しずつ解きほぐしてくれているのだとしたら、それは俺にとって何よりの喜びだ。


「実は、この道をまっすぐ行くと、小さな展望台があって領地を一望できるんだ。すごくきれいだよ。夕陽の時間になると、畑がオレンジ色に染まって素晴らしい景色になる」


「へえ……そんなに自慢げに言うなら、見てみるのも悪くないわね」


「決まりだ。よし、じゃあ少し足を伸ばそう。きっとあなたも気に入ってくれるはず」


「勘違いしないで。気に入るかどうかは私が決めることよ。でも……まあ、退屈しのぎにはなるかもしれないしね」


 そんなやりとりを交わしながら、俺たちは穏やかな陽射しが降り注ぐ道を歩いていく。すれ違う領民が「お帰りなさいませ、アレン様!」と声をかけてくれたり、「お連れの方はどなた?」と興味津々に聞いてくるので、適度に笑顔で返しつつ先を急ぐ。


「……ここでは、誰も私を糾弾したりしないのね」


 ふいにカトレアが呟く。その言葉には驚きや戸惑い、そして薄い喜びが滲んでいるように感じられた。俺はうなずきながら、彼女にそっと視線を向ける。


「誰もしないよ。少なくとも、俺の領地でそういう動きは許さないから。ここじゃ皆が助け合って生きてる。それは王都とは違うかもしれないけど、悪いことじゃないだろう?」


「……そう、ね。思った以上に、気持ちが楽かもしれない」


 カトレアは視線を遠くの畑へ向けながら、小さく微笑んだ――ように見えた。高位貴族の仮面を少しだけ外し、安堵している気配が伝わる。彼女にとって、ここは“王都の喧騒と陰謀”から離れられる、少なくとも一時的な安息の地なのだ。


(よかった……少しはリラックスできているんだな)


 心の中でほっと息をつきながら、俺は歩みを進める。こうして田舎パートが始まる――そんな予感が、空気を柔らかく包み込んでいた。王都のギスギスとは真逆の、のどかで温かい時間が、俺たちを迎えてくれている。


「さて、もう少し先に歩くと、景色がいいところに出るから。急がない程度に行こうか」


「そうね……そんなに急いでも仕方ないし。あなたが案内してくれるなら、聞いてあげるわ」


 あくまで素直じゃない態度を崩さないカトレア。しかし、その瞳には王都にはなかった微かな輝きが宿っている。ここから先、この田舎で彼女がどんな心の変化を見せるのか――俺は少し胸を弾ませながら、彼女の足音に合わせて歩幅を揃えた。

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