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月下の反逆者 ~王太子に逆らった青年と断罪された令嬢の逃避行~  作者: ぱる子


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第7話 領地での再会②

 屋敷へ戻ってきたカトレアを、使用人たちが丁寧に出迎える。もっとも、彼らも突然やってきた公爵令嬢という存在に少なからず戸惑っているようで、どこかぎこちない空気が流れていた。王太子殿下から婚約破棄された、という噂も既に伝わっているらしく、その視線には好奇も混じっている。


「アレン様、このたびお連れになったお客さまのお部屋は、あちらにご用意しております」


 一人の使用人が、屋敷の廊下を進みながら案内してくれる。その先には、王都の宮殿ほど広くはないが、地方の領主としてはそこそこ立派な客間が待っている。大きな窓が二つあり、朝日も夕陽も差し込む明るい部屋だ。床には素朴な織物の絨毯が敷かれ、掃除も行き届いていて埃ひとつない。


「ふむ……」


 カトレアはじろりと部屋を見回す。いかにも“公爵令嬢”らしい鋭い視線で、あちこちをチェックしているのがわかる。俺としては、ここが領内で一番“まし”な客間だから、さほど恥ずかしくはないが、それでも王都の豪華さと比べれば物足りなく映るだろう。


「そこまで広くはないけど、窓からは庭が見えるし、風通しもいいんだ。王都のように煌びやかじゃないけど、寝起きするには不自由しないと思うよ」


「ええ、確かに……」


 一拍おいてから、カトレアは肩をすくめる。まるでどういう感想を言うか迷っているかのようだ。表情にはまだ警戒心が伺えるが、どこか安堵が混じっているのも見逃せない。


「まあ、思ったより悪くないかもしれないわ。もっと薄暗くて、古臭い部屋しかないのかと思ってたから」


「そりゃあ田舎領主とはいえ、最低限の快適さは整えてあるつもりだよ。あと、こっちには簡単な書斎もある。読書や手紙を書くときに使ってくれれば」


 俺が壁際の小さな扉を指すと、カトレアは興味を持ったのか、そちらに足を向ける。ドアを開けて中を覗くと、質素ながらも木の机と椅子、棚が備え付けられた簡易書斎が見える。王都の貴族が好む大理石や金銀の装飾は皆無だが、逆に落ち着いた雰囲気が売りだ。


「まあ、ここなら人目を気にせず手紙を書けるかしら。良かったわ」


「そう言ってもらえると助かる。ここで少しずつ慣れてくれればいい。最初から無理して回る必要はないからね」


「ふん、慣れるかどうかはわからないわ。もともと私は、あの王宮の広い部屋に慣れてたんだもの。……でも、清潔感があるだけ、思ってたほど最低な環境じゃないみたい」


 言葉は辛辣だが、どうやら本当に思っていたより印象が悪くないのだろう。カトレアの視線には軽い安堵が混じり、緊張もいくらかほぐれたように見える。これまで王都の邸宅で高級な調度品に囲まれた暮らしだったに違いない。そんな彼女が、この地方の屋敷にそこまで嫌悪感を抱いていないのは意外であり、俺としては少しホッとする。


「そうだ、ほら、使いづらい点があったら遠慮なく言ってね。俺もずっと留守にしてたから、不備があるかもしれないし。使用人がなんとか対応してくれると思う」


「わかったわ。でも、勘違いしないで。私はあなたの客という立場じゃなくて、ほんの一時的な滞在をするだけ。あまりチヤホヤされたいわけじゃないの」


「もちろん、わかってるよ。だけど、公爵令嬢に不快な思いをさせたらそれこそ大問題だからな。少なくとも俺の領内ではあなたが快適に過ごせるように努力するから」


「ふん……まあ、そこまで言うなら自由にすればいいわ。私も少し休みたいし」


 そう言いながら、カトレアは部屋の真ん中にある小さなソファへ腰を下ろす。ふわりとドレスの裾が広がると、その美しい姿に自然と視線が吸い寄せられる。だが、彼女は俺のそんな様子をチラリと見て、少しばつが悪そうに逸らした。


「ええと……とりあえず、今日は移動で疲れてるだろうから、ゆっくり休んでいいよ。何か食べたいものがあったら言って。領地には新鮮な野菜や果物があるし、たぶん王都で口にする料理とは違うけど、意外と美味しいと思う」


「ふーん、まあ悪くないかもね。私、野菜は嫌いじゃないし。……王都では、あまりにも凝った料理ばかり食べさせられてたから、素朴な味も嫌いじゃないわ」


 言葉の端々に刺々しさは残るものの、断固拒否という様子でもない。こちらへの関心をゼロにはできないようだ。もしかすると、王太子殿下の取り巻きの目がない場所で、少し気が楽になっているのかもしれない。


「この屋敷の作りは、王宮とは比べものにならないほど簡素だけど、そのぶん掃除が行き届いてるし、部屋数が少ないから移動も楽だよ。使用人たちともすぐ顔なじみになれるはず」


「……顔なじみになるつもりなんてないわ。私はいつ王都に戻るかわからない身だし」


「うん、そうだね。わかってる。でも、嫌われて生活がしづらくなるよりはマシだろ? 皆優しい人ばかりだから、そんなに構えなくても大丈夫」


 カトレアは言葉を失いかけたように唇をかすかに開くが、結局何も言わない。代わりに部屋の天井を見上げて、「まあ、今はいいわ」と小さく呟いた。彼女なりに、この場所でどう行動するかを模索しているのだろう。 


 ちょうどその時、使用人が軽くノックして部屋に顔を出す。


「カトレア様、湯浴みの支度が整いました。長旅でお疲れでしょうから、ご自由にお使いくださいませ。あ、アレン様、よろしければ……」


「あ、ありがとう。カトレア様が先に使ってくれればいい。俺は後で構わないから」


「ふん、当然でしょ。まさかあなたと一緒に――なんて、想像するだけで恐ろしいわ」


「そんなこと言ってないって」


 まったくもって誤解を生みそうな一言に、慌てる俺。使用人がくすっと笑いを噛み殺しているのが見えて、ちょっと恥ずかしくなる。しかしカトレアはツンとしたまま、「じゃあ、少し休ませてもらうわね」と立ち上がった。


「……とりあえず、お礼を言うのはまだ早いわ。あなたが私を招き入れたからって、私がすぐに感謝すると思わないで。私は公爵家の娘なのよ?」


「もちろん。それはわかってる。ただ、なんだかんだで来てくれたのは嬉しいよ。少しずつでいいから、ここで落ち着けるといいなと思ってる」


「勝手に思えば? 私がどう感じるかは私の自由よ」


 彼女はそんな言葉を残して、使用人の先導で廊下へ出ていった。足取りはまだぎこちないが、無理に強がっている様子が逆に微笑ましく映る。王都の喧噪に追われず、少しでも身体と心を休められれば――それだけでも、王都を離れた甲斐があるというものだ。


「さて、俺はどうするかな……」


 一人残された部屋をぐるりと見回して、部屋の隅に控えていた使用人に声をかける。


「ここに当面、カトレア様が滞在する。家の者にも伝えておいてくれ。あまり干渉する必要はないから、彼女が求めたときだけで十分だ」


「承知しました。皆もそれで助かると思います。何せ公爵令嬢がお越しになるなんて、あまりに突然で戸惑っておりましたから……」


「俺もだ。だけど、とりあえず王都を逃げ出すにはここしかなかったから。彼女が落ち着いてくれるよう、よろしく頼むよ」


「はい、かしこまりました。アレン様もお疲れでしょうから、少しお休みになられては?」


「そうする。ありがとう」


 そう言いつつ、俺もドッと疲れが押し寄せてくるのを感じていた。ここまでの道のりと王都での心労、さらにはカトレアとのやり取り――いろいろ重なって頭が冴えなかった。ただ、彼女がこの屋敷を「思ったより悪くないかも」と呟いたシーンを思い出して、少しだけ笑みがこぼれる。


「意外と快適かもしれないって、そんな言葉が出るとは……あのカトレア様がね」


 ツンツンの皮肉屋である彼女が、この田舎の館を“悪くない”と評価するなんて。もちろん本心はどうか知らないが、少なくとも最初の印象は最低ではなかったらしい。そこを喜ぶべきかどうかは微妙だが、俺としては御の字だ。


(このまま少しずつでも、彼女が落ち着いてくれたらいい。領民も温かい人たちばかりだし、嫌な噂もほとんどないはず)


 まぁ、公爵令嬢としての誇りは持ち続けるだろうけど。それを傷つけることなく、俺の領地で少しの間、彼女に静かな時間を与えられれば――きっと、あの王都での傷を癒す一歩になる。そんな淡い期待を胸に抱きながら、俺は廊下へと足を踏み出す。


 彼女の来訪を受け入れたこの屋敷は、しばらく穏やかでちょっとした波乱が続くかもしれない。気位の高い令嬢と、どこまでうまく折り合っていけるか。予想もつかないが、それこそが王都を出た意味なのかもしれない。


「よし、俺も少し休もう。彼女が落ち着いたら、改めてここでの暮らしを案内してあげないとな」


 そんな独り言を呟きながら、まだ若干重苦しい足取りで自分の部屋へ向かう。遠くからは領民がせっせと屋敷の周囲を整える音が聞こえる。カトレアが快適に過ごせるよう、皆が手伝ってくれているのだろう。田舎だけど、やっぱりこの温かさが俺の領地の魅力だと痛感する。


 夕陽が射し込む廊下を進む俺の心には、ほのかな達成感と大きな責任感が同時に芽生えていた。カトレアを受け入れたこの日が、一体どんな未来を切り開くのか。わずかに不安を抱えながらも、それよりも強い思いがある――彼女がすこしでも安らげる場所になるように、俺ががんばらなくちゃ。


(王都のギスギスから解放されて、彼女にとっても新しいスタートになるといいけど……)


 そんな願いとともに、俺は廊下の曲がり角へ消えていった。屋敷の静かで落ち着いた空気が、たった今始まった新しい同居生活を祝福してくれているかのような、穏やかな午後の時間だった。

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