第5話 決定的な衝突③
部屋に戻ってきた直後、宿の従業員が「クレストン家から使者が参っております」と申し訳なさそうに声をかけてきた。使者という言葉に一瞬胸が弾んだが、彼の表情はどうにも冴えない。すぐに悪い予感が走る。
「ここでお待ちいただいてますが、よろしいですか? なんだか急いでいる様子で……」
「え、あ、はい。案内を……」
言いかけたところで、もう部屋の扉がノックされる。どうやら待ちきれなかったらしい。慌てて扉を開けると、見覚えのある使者の男性が俺を見てホッとしたように息をついた。
「アレン様、あなたがこちらにいると聞き、急いできました。ご実家からの書状を預かっております」
「わざわざ、すみません。大変だったでしょう」
「いえ、お役目ゆえ。それよりも……読んでいただけますか」
そう言って差し出された封筒には、間違いなくクレストン家の紋章が押してある。俺が受け取るのを確認すると、使者は深々とお辞儀をしてすぐに退出した。あまり話をする余裕もなかったようで、彼も気まずそうな表情が忘れられない。
「……何が書いてあるんだろう」
ベッドに腰掛け、少し震える指先で封を開ける。中には父や叔父、家令たちの連名のような書面が収められていた。最初の数行を読んだだけで、胸が苦しくなる。
「アレン、王太子に逆らったと聞いた。余計なことをするな――か」
ざっと目を通すと、内容はかなり厳しい。
- 王太子に逆らうなど論外。
- クレストン家にまで被害が及んだらどうするのか。
- お前はまだ若い領主なのだから、領地を守ることを最優先にせよ。
- これ以上騒ぎを大きくするな。
一つひとつの言葉が胸に突き刺さる。もちろん家族が心配してくれているのはわかる。しかし、真っ向から「君がしたことは間違いだ」と言われているも同然の文面に、気が滅入る。
「……そうだよな。普通はそう思うよな……」
手紙を机の上に置いて、ため息をつく。昨夜から「間違っていない」と自分を鼓舞してきたけれど、実家からきっぱり「領地を巻き込むな」と叱責されると、不安が倍増する。守るべきものを蔑ろにしているのかもしれない、という懸念が頭をもたげる。
(本当に……俺がやったことは正しいのか? ただ無駄に自分を犠牲にして、領地や家族まで危険にさらしてないか?)
考え始めるとキリがない。俺が庇った相手は、公爵令嬢のカトレア。彼女は高いプライドを持つ一方で、今や王太子殿下に見捨てられた形になっている。しかも取り巻きが暗躍しているという話を聞くかぎり、彼女は強大な後ろ盾も失いつつあるようだ。
「――あんた聞いた? カトレア様、ついに実家からも“おとなしくしていろ”と言われてるんだとか」
「そりゃあ王太子殿下に捨てられたんだから、レーヴェンシュタイン家も動きづらいでしょうよ。あの高慢な令嬢さんも、今じゃ後ろ盾なし。自業自得よね」
外から聞こえてくる女たちの囁き声に、心がざわつく。彼女も同じように孤立しているということを嫌でも感じさせられる。俺以上の権力を持っていたはずのカトレアが、今や周囲の嘲笑を浴びながら追い詰められているのかもしれない。
「プライドが崩され、後ろ盾を失う……か」
彼女に対する噂や悪口は日に日にひどくなっているように思う。それはあの取り巻きたちが陰で流布しているのもあるし、そもそも“高慢な悪役令嬢”という既成事実が根深かったせいもある。俺が庇ったところで、そのイメージが好転するわけでもない。
「でも、何もしないでいたら、もっと酷いことになっていたかもしれない。いや、実際になってるか……?」
頭の中がぐちゃぐちゃになる。もし俺があの場で黙っていたら、カトレアは完全に孤立していたはずだ。かといって俺が声を上げたことで、彼女にさらなるダメージを与えた可能性も否定できない。
「助けたい……でも、どうすれば?」
思わず声に出してしまう。考えれば考えるほど、明確な解決策が浮かばない。実家は俺を止めにかかっているし、王太子殿下や取り巻きたちは陰湿な手段でカトレアを抑え込もうとしている。
「俺が彼女を領地へ連れて行く……? それも可能性としてはあるかもしれないけど、相手は高位貴族だ。そう簡単にいかないだろうし、レーヴェンシュタイン家の意向だってある」
ベッドの上で頭を抱え込みながら、いくつものシナリオを考える。どれも現実味に乏しい。ましてや王太子殿下を敵に回している現状では、安易に彼女を保護するのはリスクが高すぎる。
「だけど、放っておけないんだよな……」
己の心情に嘘はつけない。カトレアのプライドが砕かれていく様を想像すると、どうしようもなく胸が痛む。高慢でわがままだと噂される彼女が、実は誰よりも苦しんでいると知ってしまった今、見て見ぬふりをする気にはなれない。
「……仕方ない。少し情報を集めてみよう。彼女がどんな状況に置かれているのか、そして俺に何ができるのか、見極めないと」
実家からの手紙で意志を挫かれるところだったが、逆に目が覚めた気もする。家族や領地を大事にしなきゃいけないのはもちろんだが、それでも俺の中で「助けたい」という気持ちが消えてくれないのだ。
(よし、ここでくじけるわけにはいかない。何か策があるかもしれない……!)
手紙を丁寧に畳んでカバンにしまい、俺はひとつ深呼吸をした。部屋の窓を開けてみると、乾いた風がさっと吹き込んでくる。まだ暗雲は垂れ込めているけど、ほんの少しだけ冷静になれた気がした。
「間違ってるかもしれない。でも、俺はあのときの選択を後悔したくない。とにかく動いてみよう。彼女のためにも、俺自身のためにも……」
心を奮い立たせ、俺は宿を出る準備を始める。孤立無援の状態は辛いし、実家から叱責されるのも重い責任を感じるけれど、それでも守りたいものがある。次へ進む足掛かりを探すため、今日はさらに一歩踏み出してみるつもりだ。




