第5話 決定的な衝突①
翌日の朝、俺は宿を出て王都の大通りを歩いていた。夜会の余韻がまだ頭に残ってはいるものの、いつまでも落ち込んでいられない。実際、王都へ来た理由は社交目的だけじゃない。いくつか買い物や交渉ごともあるし、領地に戻る前に必要な手続きを済ませておきたかった。
けれど、いざ街に出てみると、その空気は前日までとはまるで違うと感じる。大通りには露店が並び、商人たちが活気ある声を上げているのは変わらないが、なんとなく人々の視線が冷たいのだ。
「いらっしゃい……って、あんた、あれか? 王太子殿下に逆らったとかいう……」
バスケットに果物を詰めようとした瞬間、露店の親父さんが嫌そうに眉をひそめた。周囲の客たちも、俺の顔をまじまじと見たあと、小声で囁き合っている。
「こいつ、聞いたことあるぞ。夜会で派手にやらかしたらしい」
「下級貴族のくせに、王太子殿下に盾突くなんて、命知らずもいいところよ」
耳に届く会話がどれも痛々しい。心なしか、商人の親父さんは俺のバスケットに手を伸ばそうともしない。
「すみません、リンゴと小麦粉を少し分けていただけませんか?」
「……へっ、別に買ってもらわなくてもいいんだがね。まあ、商売だから売ってやるけどさ。あんたと取引したなんて噂されたらどうなるか……」
ため息交じりの対応に、俺は胸を突き刺されるような思いがした。昨日の夜会以来、王太子殿下の圧力をひしひしと感じるとは予想していたが、これほど露骨に避けられるとは考えていなかった。買ったリンゴを袋に詰める手つきもぎこちなく、まるでよそよそしさを体現しているかのようだ。
「申し訳ありません。でも、こうするしかありませんでした」
「へいへい、わかったわかった。ほら、もう行ってくれ。ほかの客も落ち着かないからさ」
雑な手つきで突き返され、俺は苦笑いを浮かべる。周囲の客も露骨に距離を置いていて、まるで伝染病患者を避けるかのようだ。この街に来てまだ日が浅いとはいえ、昨日まではもう少し人の反応が穏やかだったのに。これが王太子殿下の絶対的な影響力というものか。
「はあ……」
深いため息が自然とこぼれる。小道に差し掛かると、貴族らしき二人組が俺を見た途端、ヒソヒソと会話を始めた。
「あれがアレン・クレストンとかいう男か。話に聞いた通り、見るからに田舎臭いな」
「ふん、下級貴族がいきがって王太子殿下に逆らうなんて……愚かすぎる。いったい何を考えているやら」
声は低いが、わざと聞こえるように言っているのが伝わってくる。周囲の眼差しがどんどん冷たくなり、俺の背中をザワザワと引っ掻く。まるで「あいつには関わるな」と暗黙に伝え合っているようだ。
「……これじゃあ、まともに買い物もできやしない」
呟きながら、小道を少し奥へ進んでみる。ここには雑貨屋や仕立屋が何軒か並んでいる。領地に持ち帰るお土産や、新しい服の生地を探そうと思っていたのだが、店先で人だかりを見つけると、同じようにヒソヒソ声が広がるのがわかる。
「おい、あれは例の男だ」
「ここに来られたら困るな。王太子殿下の耳に入ったらどうなることか……」
背後で交わされる会話を聞く限り、どうやらどの店も俺の来店を歓迎していないらしい。中には「あいつには売り物を見せるな」と指示しているような動きもある。胸が苦しくなるが、無理に押し通って大騒ぎを起こすわけにもいかない。
「すみません、ちょっと生地を見せていただいてもいいですか?」
仕立屋の扉を開きかけて声をかけると、中の店員が妙に敬遠するような表情を浮かべた。
「い、いや……うちは今手が離せなくてね。また今度にしてくれないか。予約でいっぱいなんだ」
扉を閉められそうになる前に、中をちらっと覗けば、店内はそれほど混んでいない。予約客なんていないだろうに、あからさまな嘘が見て取れる。けれど、ここで強引に押し入ったところで店員と揉めるのがオチだ。
「わかりました。では、また機会があれば……」
扉をそっと閉じて苦笑する。これが王都における王太子の威光、そして俺が背負う罰なのだろう。あからさまに孤立を実感する。背筋が寒いような感覚があり、どこを歩いていても周囲の視線が痛い。
(でも、あれは間違ってなかった。俺は自分の信念を貫いた。それで困難が降りかかるのは予想していたことだ……)
自分を鼓舞するように心の中で繰り返す。正義感や信念を守った代償に、王都での居場所を失うとしたら、それも受け入れなくちゃならないだろう。下級貴族の分際で生意気だと言われても、あのとき、あれ以外の選択肢はなかった。
「……しかし、こんなに露骨に冷たくされると、さすがに堪えるな」
誰とも目を合わせないよう、うつむき加減で路地を曲がる。先ほどの仕立屋も、以前なら多少話を聞いてくれたかもしれないが、今はもう門前払いだ。関わっただけで店が王家に睨まれる恐れがあるのだから、無理もない。
心の中の不安が膨らむ。王太子殿下の怒りが具体的にどんな形で降りかかるのか、わからないまま日々を過ごすのはつらい。領地の者たちに影響が出るかもしれないと思うと、胃がキリキリと痛む。
それでも、後悔するかと言われれば答えはノーだ。あの夜会でカトレアがあんなふうに婚約破棄され、周囲の嘲笑を受けるのを見過ごせるほど、俺の心は強くなかった。そもそも見過ごしたら、自分を責めて眠れなくなりそうだったし。
「何が正義で、何が正しくないのか……結局はわからないけど、俺はあれで良かったんだ」
胸に抱き続けるその想いを再確認するように、小声で呟く。すると、道行く貴族らしき人がちらっとこちらを見たあと、すぐ顔をそらした。そう、皆こういう反応なのだ。俺が通るたびに「面倒な男だ」「王太子に歯向かうなんて愚か者」といった目を向ける。
「はあ……。とりあえず、今日の目的は達成できそうにないし、宿に戻るか」
重い足取りで宿への道を引き返す。頭の片隅で「もう少し粘れば何かできるかも」と思うが、今日の街の雰囲気ではこれ以上動いても冷たい仕打ちを受けるだけかもしれない。
「王都での立場、か……。確かに危うい。だけど、俺は間違ってなかった。そう信じて前へ進むしかない」
虚空に呟き、拳をぐっと握りしめる。全てが黒い霧の中にあるようで、逃げ帰りたい気持ちも正直ある。だが、それでも歩みを止めるわけにはいかない。男爵領に帰るまで、いや、帰ってからも、この戦いは続くのだろう。
遠くで鐘が鳴った。正午を告げるような澄んだ音が、王都の上空を震わせる。そんな清らかな響きに少しだけ背中を押されながら、俺は無言で路地を進んだ。――まだ決定的な衝突の序章に過ぎないことを、胸の奥でぼんやりと感じながら。




