第1話 夜会への招待①
俺の名はアレン・クレストン。つい先日まで、平凡な――とはいえ貴族の身分にしてはそこそこ自由気ままな――生活を送っていた。ただ、父が亡くなってからというもの、慌ただしい日々が続いている。なんといっても、突然男爵家を継いでしまったのだ。経験も浅い、領主としての器量もまだまだ。そんな俺がいきなり“当主”などと呼ばれる立場になるとは、誰が予想しただろうか。
「アレン様、こちらが今回の旅装束と書類の確認になります」
執事のオスカーが恭しく腰を折り、一枚の紙を差し出してくる。俺が領内を視察するときに使う備品や馬車の手配、そして今回の一番の問題――そう、“王都の夜会”への出席に必要な書類だ。
「……ありがとな、オスカー」
思わず曖昧な笑みを浮かべた。なにせ、まだ自分が男爵家の当主になったという実感が薄い。周囲は「当主としてしっかりなさってください」などと口にするが、正直荷が重い。
さらに厄介なのが、王都で開催される夜会への招待状が届いたことだ。差出人は何を隠そう、王太子リシャール殿下――この国の次期国王と目される人物からの直々のお誘い。表向きは祝宴に招かれるなんて名誉なことこの上ない。けれど、男爵家としては下位貴族に分類される俺が、そうそう王太子殿下の前に立つ機会などあるはずもない。突然の招待は非常に光栄……というより、どうして俺が? という疑問のほうが強い。
「アレン様、夜会へ行かれるのですか? 慣れない場ですし、くれぐれもお気をつけくださいね」
今度はメイドのソフィが、心配そうな顔で声をかけてくる。彼女は俺が子どもの頃から屋敷で働いており、ほとんど家族のような存在だ。いつも温かく見守ってくれるが、その表情にはやはり不安が隠せないらしい。
「うん、わかってる。こういう場って、きっときらびやかなんだろうな。俺にちゃんと振る舞えるのか……ちょっと不安だよ」
「アレン様なら大丈夫ですよ。真面目で優しいお方ですから」
ソフィはにこりと笑ってくれたが、胸騒ぎがおさまるわけではない。王太子主催の夜会は噂に聞く限り、上流貴族ばかりが集まる絢爛豪華な社交の場だ。おまけに、そこでの人脈づくりや駆け引きは熾烈を極めるという。まだ領主として右も左もわからない俺が、そんな場所でやっていけるんだろうか。
領内の視察すら、ようやく形になってきたばかりだ。男爵家を継いでからというもの、父の遺志を継ぎ、農地の整備や住民との対話など、地道な取り組みを最優先にしてきた。それでもまだまだ覚えることだらけ。俺自身としてはこの領地をきちんと治めるのに必死で、社交界へのデビューなんて一生先の話だと思っていた。
「しかし……断るわけにもいかないんだよな。相手は王太子殿下だし……」
王室からの正式な招待を蹴るなんて、そんな無礼はあり得ない。とはいえ、行けば行ったで何やら大きな波風が立ちそうな気もする。ああ、気が重い。貴族としての心得は最低限学んでいたとはいえ、舞踏や礼儀作法などは正直胸を張れるほど身についていない。こういう時に父がいてくれたら、もっと的確なアドバイスをくれただろうに。
「アレン様、出発の時間が近づいております。馬車もすでに準備完了と、御者が申しております」
オスカーの落ち着いた声に、思わず背筋を伸ばす。王都までの道のりは馬車で三日ほどかかる。あれこれ考えても、今さら招待を断る理由にはならないのだ。くじけず腹をくくるしかない。
「よし……オスカー、ソフィ、二人ともありがとう。しばらく屋敷を留守にするけど、くれぐれも領民に何かあったら早めに連絡をくれ」
「お任せください。アレン様のご帰館を心よりお待ちしております」
オスカーは深々と頭を下げ、ソフィも明るく手を振って見送ってくれる。俺はその姿を背に、屋敷の玄関を出た。外には、見慣れた馬車が停められている。少々古いが、何度か領内巡回に使った愛着ある乗り物だ。
「それじゃあ……行くか」
心なしか胸の奥がどきどきするのは、怖いのか、それとも期待なのか。正直、自分でもわからない。ただ、こんな気分になるのは久しぶりだ。いや、初めてと言っていいかもしれない。領主として何とかやってきた俺が、あの王都でどれだけ通用するのか――試される時だと思えば、悪くない緊張感かもしれない。
御者に軽く会釈を返し、馬車に乗り込む。車内はささやかながらクッションを敷いており、長旅でも何とか耐えられそうだ。しゅっと鞭の音が響き、荷車がぎこちなく揺れながら動き出す。窓から見える自分の領地の風景が、いつもより少し遠く感じた。
「王太子リシャール殿下か……どんな方なんだろう。近寄りがたい相手じゃなければいいんだけど……」
馬車の揺れに合わせて、独り言がこぼれた。実際に王都の貴族社会は噂ほど華やかだろうか。俺のような下級貴族が、その渦中に飛び込んでいいのだろうか。いや、もう招待されている以上、行くしかないのだけれど。
領地の人々が俺を慕ってくれているのは、幼い頃からこの地で暮らし、同じように汗を流して働く姿を見せてきたからだと自負している。だが、社交界ではそういう“泥くさい”やり方が通じるかは未知数だ。むしろ、たとえ正直者であっても笑われるのがオチかもしれない。そんな弱気が頭をもたげるが、引き返すわけにもいかない。
「よし、腹をくくろう。男爵家当主として、そして一人の人間として――恥ずかしくない立ち振る舞いをしなくちゃな」
握りしめた拳をそっと膝の上に置き、改めて言い聞かせる。広大な王都の門をくぐるまでに、少しでも気持ちを整理しよう。きっと、あの夜会の舞台で俺は初めて“貴族”としての試練に直面する。胸騒ぎもあるが、不思議とわずかな高揚感も混じっているのを感じた。
馬車はゆっくりと、俺を新しい運命へと運んでいく。正直、怖い。だけど、きっとこの一歩が俺の人生を大きく変えるだろう。そんな予感に背を押されながら、俺は王都へ向かう決意を固めた。