『アポリア・マギア・コード』 第六章:Ω起源領域(オメガ・ジェネシス)
石造りの地下聖堂――そこはまるで、時そのものが凍りついたかのような静けさに包まれていた。 ノアとヴェロニカは、崩れかけた回廊を抜けて聖堂の中心部へとたどり着いた。 祭壇には人の姿も神の像もなく、ただ無機質な碑文と、ひび割れた黒曜石の床が広がっている。
「……ここが、“Ω起源領域”?」 ノアが息を飲む。 「ええ。あらゆる宗教構造が統合される以前……この地が“意味”そのものの発生地点だった。」
ノアは、冷たい石の前で立ち止まった。 祭壇に刻まれたのは、見慣れない6つの記号。
⊘ ∵ ⊥ ∞ ∴ ⊗
「“言語以前の言語”……」 ヴェロニカがつぶやく。「これが《神の構文》よ。文字でも、音でもない。祈りの形状だけで構成された文。」
ノアは無意識に右手を上げ、指先で記号に触れようとして、止まった。 「順番があるな。間違えれば……」
「“沈黙”は永遠に閉ざされる。神は“誤った祈り”を拒絶する。」
その瞬間、ふたりの間に、盤上のような空気が走った。 チェスの開幕と同じだ。最初の一手をどちらが動かすか、それだけで命運が変わる。
「まず、これは排除するわ。⊥(ペルプ)――これは逆位。祈りの流れを反転させる記号。始点には置けない。」 ヴェロニカの指が滑らかに記号の編をなぞる。「でも、終点なら……“帰還”の意として成立する。」
「なら、⊘(ヌル)はどうだ?」 ノアが一歩前に出る。「円環の断続。これは“祈りの封印”を示す。始点か、さもなくば中央だ。」
「∞(インフィニタ)と対になってるはず。永遠と断続。流れの復帰を形成している……」
二人の間で、思考が交錯する。
「∵(ビコーズ)。これだけはおかしいな。理由を示す記号だ。祈りに“理局”を挿むか?」
「逆に考えて。“神の沈黙”こそが、すべての“理由”だったら?」 ヴェロニカの目が細くなる。「つまり、この構文全体は“問いに対する答え”ではなく、“問いそのもの”を描いている。」
「……なるほど。」
ノアは深く息を吹いた。 頭の中に、見えない構文が浮かび上がる。 ∴(therefore)で始まり、∞(永遠)で流れ、⊗(十字)で誓い、⊘で封じ、最後に⊥で終わる。
祈りではない。これは沈黙に近づくための設問だった。
「試すか?」 「いいえ、答えるのよ。」
ノアの指が、∴ に触れた瞬間、祭壇が共鳴した。 空間が微かに揺らぎ、“音のない音”が神殿全体に満ちていく。
それは、神がわずかに頂いたような、確かな応答だった。
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