『アポリア・マギア・コード』プロローグ:エクソシストの遺骸(ローマ、深冬)
呼吸が白い。
それが、あの日の唯一の記憶だった。
ローマ郊外、カステル・ガンドルフォ。
バチカンの別荘地帯にある古い修道院の地下で、彼は死体と向き合っていた。
黒ずんだ法衣、捩じれた十字架、えぐり取られた目。
死んでいたのはエクソシストだった。
正確には、バチカン認定・第四級悪魔祓い士――コードネーム「デルタ」。
彼は人間ではない何かと対峙し、敗北した。
「──自殺ではありません。魂が……焼かれています」
隣でささやいたのはヴェロニカ。イスラエル情報庁モサドの精鋭、そして彼の元パートナーだった。
彼――CIA特務分析官ノア・ウィンザーは、うなずかなかった。
いや、うなずけなかった。
彼の魂もまた、すでに焼かれていたからだ。
二年前の作戦。仲間は全員、死んだ。
ノアだけが生き残った。何も語らず、何も報告せず、沈黙したまま。
──裏切り者、と呼ばれて。
それでも命令は下った。
「バチカンより要請あり。エクソシスト殺害の調査、お前が行け」
なぜ自分が。
だが問う余地などなかった。彼はすでに“過去を持たぬ者”として登録されていた。
死体の横に、一本のUSBが落ちていた。
《Ω》と刻まれた黒いタグ。
開くと、中には謎の構造図。
【α → Ω遷移構造:適応条件、未確認】
そのとき、修道院全体が震えた。
風がないのに、祈りの声だけが、彼の耳元に集まってきた。
「……おまえは……目撃者となる……Ωの扉が開かれるのを……」
ノアは吐き気をこらえながら、十字を切った。
「イエスもアラーも、仏も、全てが黙っていた――あの夜のように」
彼のどん底はまだ終わっていなかった。
それは始まりだった。
世界が再構築される、最後の連鎖の。
※本作およびその世界観、登場用語(例:メモリウム™、魂経済、共感通貨など)は、シニフィアンアポリア委員会により創出・管理されたオリジナル作品です。無断転用や類似作品の公開はご遠慮ください。