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徐々に暗闇の中で意識が浮上してくる、ざわざわと、ざわざわとかなり鬱陶しい喧騒が聞こえる。
耳の横で、顔の前で、全身が音に包まれている心地がして鬱陶しい気持ちに襲われる。
何処だ此処は。
目を開けようにも、きっと外の光が余りにも眩しすぎるのが所以なのか、瞼にテープを幾重にも重ね貼られた様に固い。
きっと俺は起き抜けなんだろう。
と言う事は、まだ身体は動かせずともこの状態になる前迄、記憶だけであれば遡って思い出せる筈なのだが。
まるで白液で塗りつぶしてしまったかの様に全く思い出せない。
何時何処にいたのか、何の目的を持って、どの様な感情で。その時の全てを一切合切忘れていることが分かった。
手掛かりがないかと、他も忘れてはいまいかと大雑把に思考を遡ってみることにした。
俺の名前はココノエ、出身は巡秋の北の方、経歴は孤児から1人でこれまで生きてきた。こういう人とのこの様な関わりがあり…思い出せている。
…いや、少し何処かに引っ掛かりが有る気もするが。
きっと大丈夫だろう。大抵何時もと異なる事が起きている場合は、凶兆あったりするが、今迄なんとか乗り越えて来た。悲しい思いをしたことはまだ無いしな。
大丈夫だ、そう俺が結論付ける迄にそう時間は掛からなかった。
一介の冒険者としてどの生き物に負けたのかを知ることができれば対抗策を増やせる事。誰かに裏切られたのであれば然るべき対処をしなければならない事。そして所持物の紛失盗難などがあるかどうか確認が出来るからだ。
と言っても、俺はそこまで多くの持ち物は所持しないのが常であるから、物の心配はしないでいい気がしている。
よく持っている物は財布ぐらいだしな。
思考をぐるぐると目まぐるしく車輪の様に回転させていると、やっと身体が慣れてきたのか、周囲の話し声の詳細が聞き取れ始めた。
「お知り合いは居ないのかしらね、可哀想だわ」
「一応ギルマスから冒険者各位に聞いて貰っているんだけど、今の所誰も知らないって言ってるらしいんだよ」
「…何なんだろうな、どうやって生きてきたんだこの男は」
俺には知り合いなんて居ない、それは分かりきったことだから開き直っているが、こうも全面的に言われると少しインクが垂れるように黒が滲んで気持ちが暗くなってくる気がする。
いいや、大丈夫、気が付いた時から今に至る迄1人で生き抜いて来たのだから…
本当にそうだったか?
「ぁ゛ッはっ…?」
記憶にない記憶の侵入が今あった気がする、本当にそうだったかなど些細な事なのだ。そう、きっとそうなんだ。
もし何者かに目を覆い隠されてようと、俺は自認だけが真実であると信じることしか出来ない。
なぜ俺はこんなことを考えている。
じわぁと鈍く痛み出す頭の右部を片手の手のひらで軽く抑えつつ、また考えだそうとしたのだが。
周りで複数人の声が聞こえるということは、勿論人に囲まれていないと事の辻褄が合わない訳で。
「大丈夫か!?」
と耳を劈くような大声量で言われたものだから、そりゃ、驚くだろう。物凄く煩い。
しかも、その衝撃で目を大きく開いてしまったから、光が入って視界が明滅する。痛い。
頭が痛んだと思ったら次は目かよ、畜生。
明滅するのが終わってまともに視界が見えるようになった時、目の前には恐らくさっき叫んだであろう男の顔が至近距離で見えた。余りにも近すぎるだから、流石に言わないといけないと思った。
「大丈夫です、後顔が近すぎます」
腹が立ちながらも少し困ったような顔でそう言うと、その距離が近い男も少し困った顔をした後、合点がいった顔をして、
「おお、確かにそうだな!すまねぇすまねぇ!」
と頭にハチマキを巻いた男はガハハと笑った。
その表情、声、仕草、全てが根っからの太陽が似合う快活な明るい男なんだな、と思わせるには十分過ぎた。俺とは違う、関われば振り回されてしまうタチの人間であると理解した。
俺は自由気ままに俺を振り回してくる性格の人間が昔から苦手である。何故かは知らないが苦手なのである。多分そういった性分に生まれてしまったのだから、仕様がない。
兎も角今は、性分云々等と言っている場合ではない。何にしろ、知りたい事象が多すぎる。
「私は何故此処に今居るのですか」
まずこれだろう。
問いを目の前に投げかけると、明るい男を含む3人は顔を見合わせ、笑顔で答えようとして口を大きく開いた途端、明るい男が露出の多い女に両肩を捕まれガッチリと止められていた。
まともな回答が出来ない人物であると仲間にも思われているのか。
俺の質問に対して、止められた男に代わりその横にいる圧倒的桃色の色をした女が応答した。
服が桃色で、同色のレースやリボンやその他装飾類、布によって傘増しされている。顔は素晴らしく整っている造形をしていると思った。
何故室内で傘を差しているんだ。
「何故って、アンタ初心者向けの草原ダンジョンでスライムに囲まれまくったまんま倒れてたらしいのよ」
桃色の女はどこから取り出したのかこれまたフリフリな桃色というよりは、ピンクの原色といった様な扇子を口に当てている。
傘と服と合わさって何処かの貴族のような出立ちをしている。憧れでもあるのだろうか。
「私が…?」
「そうよ」
簡潔にキッパリと返事を返され、口に手を当てて考える。
俺がそのような失態を晒した事など今まで無かった。末代まで語られてしまう程の大恥では無いだろうか。まぁ結婚する気など毛頭俺の人生設計に含まれて無いが。
しかし、スライムに取り囲まれていたという事は薬草の一本や二本は溶かされているなと予測を立てたが、それぐらいなら大丈夫だろうと結論付けた。
…まて。
「倒れてたらしい…?」
今、明らかに女が直接見たという訳では無い、伝聞の言い方をしていた。であれば、この三人組が俺をこの病院まで運んでくれた訳では無いということになる。
では誰が俺を此処迄連れてきたというのか。
スライムに囲まれて襲われ続けてる、見ず知らずの俺を助けるよっぽどな物好きが居るのだろうなとしか思えないが。
「そうよ、誰か分からないけれど見た目が見えない何かが居たのよ、そいつがカバンからあんたを出して渡して来たの」
びっくりしたわよ、と桃色女は俺の目を伏し目がちにじっと見ながら両手を外に広げて訳のわからないと言ったようなポーズをとった。
先程まで広げていた傘はいつの間にか綺麗に折り畳まれて、片手で持たれていた。扇子は開き続けている。
桃色女にその人物の見た目や声の詳細を聞いてみたところ、認識阻害の様な魔術で個人を特定できる顔や声に掛けられてそうだということが分かった。
声はボイスチェンジャーが掛かったような声で、かん高い女性の声をしていたらしい。
深く焦茶色の鍔付き帽を被り、黒の羽織を軽く着ていて、黒色の太縁眼鏡をかけていたのだそうだ。
一応メモを取ろうと懐を探ったが入院着に着替えさせられているから、勿論所持していた物品達もここの病院側に一旦押収されているに決まっていた。
正体不明の焦りに背を押されて少し考えたら分かることが、分からなかった。
この目の前にいる3人も本当の善人なのかなんて俺には分からないのだ。疑える余地があるものは疑っておいた方が良い。
そう考え、新たに気を引き締めると同時に、やっぱりメモしておいたほうがいいだろうなという気持ちになって来たので、頼もうと思い3人の方を向いた。
3人は独りで考え出した俺の事は一旦放っておいた方が良いと思ったのか、ぎゅうぎゅうと寄り集まり、何かやいやいと言いながらガチャガチャと手元で何かしらを弄っている。
一体何をそんなに熱心に弄っているのかと思い、要求を伝える前に少し観察してみる事にした。
警戒はしておいた方が良いとさっき思ったこともあるが、普通に俺の興味関心から来ていることは間違いなかった。
よく見てみてみると、6つの手の隙間に麻袋の様なものが見えた。
あの色と質感は冒険者達がギルドに登録した時にギルマスから直接貰えるものだと識別能力が判断していたからそうなんだろう。確か俺も貰った記憶がある、売ってお金にした筈だ。
「これ渡せってそいつに言われただろ」
「言われたけど、本当に渡していいのか」
「わかんねぇ」
「ごちゃごちゃ言ってても仕方がないわ」
更にゴソゴソと麻袋を漁りながら、3人がヒソヒソと、耳を傾ければ聞こえるほどの声量で話している。にしても、俺が考え出した後から話し合ってるなら長くないか。
あ。
桃色の女がくるっと手に何かを持ちながらこちらを振り向いた時と、長すぎる会話にそろそろ横から要求を差し込むべきかと考え3人の方を向いた時にバチリと目が合った。
少しばかりの沈黙の後。
「すみませんが、何か書くことができるモノと紙を貰えませんか?」
「これ、アンタ受け取りなさいよ」
見事に発言するタイミングすら駄々被りしたのである。
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