1話 後編 『男心と秋の空』
すみません。だいぶ遅くなってしまいました。後編です。良い読書を!
「………何してんの?君」
女子高校生は男子高校生の姿を見るなりそう言った。彼女はさっきと同じような姿をしていた。身体中にあいた穴からは黒い触手のようなものがうねうねと動いている。それらはLEDのライトですら見通せないホーム側への暗黒に突っ込まれていた。彼女の足元には血溜まりができており、それらも少しずつ吸い込まれていく。
男子高校生はいつか彼女自身も暗黒に吸い込まれてしまうのではないのかと恐れた。そう考えた次の瞬間には彼は立ち上がって彼女の手首を掴んで自分の方へと引き寄せていた。
彼女の腕は柔らかく、折れてしまいそうなほど細かった。
LEDが煌々と光る。暗黒は扉1枚分に抑えられ、他は普通の駅舎が戻ってきていた。彼女の傷も全て消えている。ここにいるはずでないことを除けば至って普通の女子高校生が口を小さく開けた状態のまま驚いたのか固まっていた。
「………君さ、なんで戻ってきちゃったん?」
「貴女とまだ話がしたかったんです」
彼女はニコッと笑った。そして、男子高校生の腕を握り返すと引っ張ってベンチに誘う。
「そっかそっか。全然いいよー?じゃあ、座って話そっか。アタシの毒で君が満ちるまで」
2人は駅舎のベンチへと座った。男子高校生の恐怖心は不思議と消え去っていた。ホームの暗黒も駅舎の平然さに抑えられている。
「どうして突然消えたんですか」
「最初からとばすじゃん」
男子高校生の質問に女子高校生は困ったように笑って視線を左上に向けた。
「なんか…急に暗くなって…耐えられなかったんだよね。いたたまれない的な?」
「あのホームの暗闇が関係しているんだと思います。それと…貴女の心理状態とかも」
「君さ、カウンセラーとか向いてそ。アタシが何考えてんのか、当ててみてよー」
男子高校生の冷静な分析に女子高校生はおどけたように男子高校生を茶化す。彼女自身のことではあるのに他人事のような調子だった。
「分かりませんよ。貴女の心は」
「分かってよ。理解してよ。ダメ?」
女子高校生は面白そうに問い続ける。そして、男子高校生の顔に唇を近づけた。彼は彼女の頬に手をあてがって止める。
「貴女は生きているんですよね」
「君さぁ…こんな色々起きててアタシが生きてると思う?」
彼女は、彼の身体に引き寄せた彼女自身の身体を彼からゆっくりと遠ざけた。
「アタシはアタシ自身の手でアタシを殺したの。死んじゃったんだ。アタシは。もう何をしても無駄なの。何をしてもいいの」
「まだそうと断定はできないじゃないですか」
「じゃあさ、なんでアタシが生きてるかどーかなんて聞いたん?君にもアタシが生きてるかはわかんないからっしょ?」
「………」
男子高校生は答えることができなかった。彼女がどういう存在なのかは分からなかった。それでも、彼は生きていると信じたかった。
「話変わるけどさ、どうやってここに戻ってきたん?」
「友達にアドバイスを貰ったんだ」
「友達?書記の?」
「知っているんですか」
「うん。有名じゃん。あの子」
男子高校生の唯一の友達とも言っていい ハクシ は校内では優等生として知られている生徒ではある。しかし、男子高校生はハクシ と自身の繋がりをどこで知ったのかと疑問には思った。彼は ハクシに迷惑をかけたくない気持ちで学校ではあまり話しかけないのだ。
「友達…なんだ?」
女子高校生はゆっくりと何かを噛み締めるようにそう聞いた。男子高校生はその言葉に心をチクリと刺されたかのような気がしたが、彼女が続けて言い放った言葉にその刺し傷ごと抉られた。
「ねぇ、アタシの事好き?」
男子高校生は驚きはしなかった。返答することもできなかったが。ギシギシと駅舎がなる。暗黒や女子高校生に変化はなかったが不安を掻き立てるような音だ。
「どういう意味ですか。それ」
「そんまんまの意味。アタシを異性として愛してる?そうでしょ?じゃなきゃ、来てくれないっしょ?」
ギシッギシッギシッと音が細かく刻まれる。返答を早くしろというかのように。男子高校生は女子高校生の手に手を重ねる。そして、指を絡ませていく。彼は人生でこんな手の繋ぎ方をする日が来るとは思っていなかったが自然と恋人繋ぎができた。
「貴女が好きです」
「アタシも君が好き」
男子高校生はパッと手を離す。女子高校生は困ったように、上目遣いで彼の目を見つめるしかなかった。なんの音も聞こえない。彼の言葉を1字1句聞き逃さないようにする為に。
「僕たちに恋人は似合わない」
男子高校生と女子高校生はしばらく見つめあった。甘い恋物語のプロローグのワンシーンみたいに。駅舎の中で若い男女が見つめ合う。美しい話のようだった。
「ジナイーダみたい。でも、アタシは君がどんなにアタシを虐めても、苦しめても…君が好き」
「貴女はきっと愛を欲しているんだと思う」
「やっぱ、君はカウンセラー向いてるじゃん」
女子高校生は自身の心臓があるであろう位置の前で拳をぎゅっと握りしめながら会話のレスポンスを続ける。会話が途切れたら悲しみに心を奪われてしまうと思ったから。
「どうしてあんなことをしたんですか?」
「あんなことって?自殺?」
「そうです」
「さっき君が言った通りだよ。愛が足りなかったから。どうしようもなかったから」
暗黒がバンと少し大きくなった。女子高校生は苦しそうに顔を歪ませながら右下の方を見る。
「ねぇ、知ってる?この国ってさ…若い人たちの死因の割合って自殺が多いらしいよ?みんな、どうにもならないって思ってるんだよ…」
「誰かと話そう。生きてれば誰かは解決策を見つけてくれる。相談する電話だってある。世界は広いんだから」
またしてもバンッと暗黒が大きくなる。だが、男子高校生は動じることなくずっと女子高校生のことを見続けている。
「世界は狭いよ。アタシにとっては学校とその周囲が世界なんだから。見たところのない所なんて存在しないも同然でしょ!?」
「でも、その世界でだって僕を見つけられた」
「え?」
「図書館で、そして、ここで僕を見つけてくれた。僕は貴女を絶対に死なせない」
女子高校生は俯いてしまった。耳が少し血ではない赤色に染まっている。そして、ボソボソっと男子高校生に反論する。
「アタシはもう死んでるもん」
「死んでないし、死なせない」
被せるように男子高校生は確固たる語調で宣言する。女子高校生はそれを聞いて赤い涙をボロボロと流す。彼女は彼の胸に頭をうずめて縋り付くように抱きついた。
「アタシも救われていいような人間じゃないのに?」
「………勝手に救うから」
暗黒はLEDすらも覆い尽くすかのように広がってしまった。彼女と彼の身体は血で真っ赤に染まり、彼女の身体から出た黒い触手によって彼はがんじがらめにされていく。
「アタシはさ、知ってたんだ。先輩に彼女がいることも。でも、先輩はアタ…私の入学当初からの憧れだった。恋焦がれて先輩に相応しい人間になるために色々努力もした。でも、私は…愛に飢えてたから…先輩よりも先に他の人と付き合ったの。先輩を愛していながら、他の人も愛してたの。………気持ち悪いよね。穢らわしいよね」
彼女の触手は彼の身体を貫通して彼の臓器を叩き始める。彼に筆舌に尽くし難い痛みが襲ってくるが彼は決して気を失うつもりはなかったし、失わなかった。
「僕は………恋ってものがよく分からない。だから、君にとって僕の答えがどのような意図を持って伝わるかは分からないけど…言葉にはしてみるよ。僕は今まで生きてきてそういった話題を避けてきたんだ。怖かったから。どのように見られるのかが怖かったから。だから、正直に気持ちを伝えることは悪いことではないと思うんだ」
触手が数本消え失せる。触手は彼の身体の周りを締め付けるだけで体内への攻撃はなくなった。暗黒も少し小さくなる。
「……私は恋を弄びながら生きてしまった。たまたま、前の彼氏と別れた時に…先輩からの誘いを受けてしまった。違うか…喜んで受けたの。私は。先輩には彼女がいてそれが悪いことだってわかってたのに」
冷気が駅舎を包み込む。ギシギシという音は静かに、だが、確かに心に響いてくる。男子高校生と女子高校生は互いの体温を感じていた。
「ダメな事だ。不義理なことだと…僕は思う。悪いことだと分かってるのに自制できなかったのは問題だった」
「…ごめんなさい。責めないで…反省してるから…ごめんなさい…」
女子高校生は泣きながら謝罪を繰り返す。後悔と反省と少しの自己保身で構成されたその言葉を受けながら男子高校生は彼女の背中をさする。既に触手はなく、代わりに背中にちょっとごつっとしたでっぱりの感触がある。駅舎の家鳴りも冷気もさっと元に戻っている。ホーム側の暗黒も消え去っている。
「…一時の快楽の後に残ったのは絶望だった。私は突如として…周りから孤立した。何人かの元カレやその周りにいた女子たちから罵倒と…暴力を…浴びせられた。気づいた時には遅かったの。私は敵を作りすぎてしまった。自らの行いと半分くらいの偶然で。君も私の噂は…知ってるんでしょ」
「………ごめん。なんの根拠もなく僕はそれを信じてた」
「…そう…なんだ…」
「ごめんなさい」
「いーよ。許したげる。図書館では普通に話してくれたし」
「………」
「ごめん…続けるね。私にとって何よりショックだったのは…先輩がそれに対して無関心だったこと…先輩はさ、私に対する虐めに対して傍観者であり続けたんだ」
「傍観者…?」
「…そう。私を虐めていた奴らは先輩も仲間に引き入れようとしたらしいんだけど…先輩はそれを断ったらしいの…私はそれが1番悔しかった!私を救ってくれるのでもなく!私を苦しめるのでもなく!まるで、最初から存在しないかのように扱われたのが私は何より!許せなかった!」
女子高校生は男子高校生を下から見つめる。彼女の顔は涙で既にぐちゃぐちゃしていた。だが、流しているのは血の涙ではなくヒトから出るべきである体液に戻っていた。そして、さっきの彼女の背中のでっぱりは白い、そして大きな翼に変化しておりまるで天使の羽のように背中を覆い尽くしていた。
彼はその光景に圧倒されていた。そして、彼女の罪の告白に彼は自分自身の人生を振り返る。彼自身も、多くの人も清廉潔白で生きることは難しい。しかし、罪を犯した後にどのように行動するのかが大事なのだ。
「おそらく…その先輩は怖くて逃げてしまったんだと思う。自身の犯した罪に向き合うことが怖くて。僕も…先輩の気持ちは分かるんだ。実は…僕も昔…虐められてる人を見捨てたんだ。僕には昔仲良かった親友がいた…横暴なやつではあったけど…頼れるやつだった」
「………過去形じゃん」
ーーーー
男子高校生は過去のことを思い出していた。オレンジの教室の中で彼の親友はただただ彼に怒りをぶちまけていた。
「ふざけやがって!俺だけに言う必要はねーだろ!」
「……気持ちは分かるよ」
きっかけは些細な事だった。親友がクラスの合唱練習に参加しなかった。それをあるクラスメイトが皆がいる場所で告発したのだ。親友以外にも練習に積極的に参加しなかった人もいた。男子高校生自身……当時は中学生…もそのうちの1人でもあった。ただ彼は槍玉に挙げられた。スケープゴートにされた。皆が団結する為の共通の敵として。
親友は決して折れなかった。それは、彼らにとっては望み通りの敵になるという事だった。そして、合唱コンクールが終わると親友は蔑みの対象へとなった。その頃には男子高校生も親友とは距離を置いていた。彼にとって親友の近くにいることは平穏な生活からはかけ離れていたからである。
しばらく後、親友は合唱の時に彼を槍玉にあげた女子生徒の顎に正確に拳を命中させていた。この頃には彼の虐めを主導していたのは別の生徒になっていたが、親友は迷うことなくそうした。当然、問題になって親友は学校から消えた。どこにいて何をしているのかも知らない。
少しの罪悪感が残った。ただし、同時に虐められる側にも問題があるというのも彼自身の思考の中にはあった。そして、この事は彼の価値観に大きな影響を与えたのだ。ある程度の協調性は社会を生きていく上で必要だ。
ーーーー
僕は語り終えて深いため息をついた。目の前の彼女は大きな天使のような羽が広がり、エンジェルリングが頭の上に浮かんでいる。まんま天使のような姿になっている。
「言い訳だよね」
彼女はそう言った。満面の笑みでそう言った。暖かい笑顔で僕を包み込むかのように。ただそのセリフは驚くほどに冷たかった。
「許してあげる。あなただから。許してあげるよ?」
「………」
冷たさが彼女の言葉1字ごとに和らぐ。でも、その言葉が彼女の本心かは分からない。そもそも、目の前の彼女が彼女である確証がなかった。
ホーム側の外は花と鳥のさえずりで満ちた楽園が広がっている。彼女のエンジェルリングや柔らかな光にLEDの光は押さえつけられている。彼女は立ち上がるとゆらゆらと楽園の方に向かって歩いていく。そして、ホームに繋がっていたはずのドアの前で立ち止まるとこちらを振り返る。
「今、思ったんだけどすごいかわいいでしょ」
「…え?」
「はー?かわいいっしょ?天使だよ!エンジェル!」
「………うん」
彼女は嬉しそうに笑った。先程の暖かな笑みよりこっちの方が断然いいと思う。彼女はホームの向こうの楽園を指さす。
「あんな世界もあるんだね。さっきさ、世界は広いって言ったじゃん。あそこなら広い世界を見渡せそうじゃない?」
「………」
僕はそれに返事はできなかった。向こう側がこの世とは思えない。このままでは彼女とは会えない。そう思った。
僕は再度、彼女の手を引っ張る。顔と顔が触れ合うくらい近くに来る。彼女の目は右に左に泳いだが、すぐにまっすぐこちらを見た。慈愛の笑みを浮かべた彼女は僕のおでこにそっと口付けをした。
「天使のキスだね!」
僕の手を振りほどいて、向こう側に飛び立とうとする彼女を更に引っ張って抱き合う形になる。そして、僕は唇を彼女の唇にそっと触れさせる。彼女の目が驚いている。しかし、依然として羽はぱたぱたと忌々しく羽ばたいていたし、エンジェルリングはLEDよりも妖しげに光を放っていた。僕は舌を彼女の咥内に舌を押し込む。彼女の舌と絡むと楽園の景色に不釣合いな唾液の音が交差した。
「天使にこのキスは似合わない」
彼女の顔は真っ赤に染まって、羽が次々と抜け落ちていく。羽が消失すると、エンジェルリングも粉々に砕け散った。残ったのは一人の女子高校生だった。楽園は…もうない。
駅舎の前にあるちょっと高くなっているロータリーにバスが入ってくる。どうやら時間のようだ。彼女は諦めたのか、僕の隣に立つとロータリーがある扉に向かって歩いていく。途中で僕はカバンを拾った。奇怪なデザインのキーホルダーも。
「会えるかな?」
「明日、絶対に君を見つけ出すよ」
2人は揃って足を踏み出した。
True End
一話の蛇足は今日の午後三時くらいに投稿します。