冬抜け
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
いやあ、早いねえ。今年に入ってもう半年以上が過ぎちゃっているんだ。
一年を早く感じるのは、年寄りのはじまり……とはいえ、時間はみんなに平等に配られているんだ。拘束の有無は個人差あれど、使い方もまたそれぞれにゆだねられている。
できる限り素敵な時間を重ねられるといいな。うまいこと、折り合いをつけてさ。
そのためには、注意にも時間を割かないといけない。
交通ルールや仕事の現場でもよく言われるよな。一秒の注意を怠れば、一生のケガにつながる恐れがある、と。
昔に比べ、今はずっと身の守りがかたい時代だ。多くのセキュリティが、人が見るものより優れた成果を残し、そもそもケガにいたるまえに片づけてしまうこともあるだろう。それに頼ることがまた、かえって別のケガを呼び込む恐れはあるが。
昔の人は、防御力そのものに不安ありだからな。自分そのものや身近にあるものから多くを判断しなくてはならず、注意を張り巡らせる頻度も、その精度もかなりのレベルだったんじゃないかと、個人的には思っている。
それに関する新しいケースをまたひとつ、仕入れることができてね。よかったら聞いてみないか?
むかしむかし。
僕の地元は、村々に「丘砦」を持っていたという。
全国で見れば、このような拠点を持つ村は珍しくないだろうね。近隣で水利権などの問題が起こったとき、血が流される争いが起こるには、ままあること。
それらに備え、村々独自の軍備を整えておくことが推奨されたけれど、僕の地元に関してはその限りじゃない。
「冬抜け」があったときの、用心なのだとか。
冬抜けとは、冬の訪れを報せる現象としてしられている。
地元には数百年前まで、夏のさなかにあっても、突如として真冬以上の極低温が襲い掛かることがあってね。冬抜けが事前にそいつを教えてくれるんだ。
冬抜けは、このだしぬけに訪れる冬の先兵のようなものとみなされており、こいつを見つけたならば、村民一同は必要なものをまとめたうえで、丘砦に避難する運びとなっていた。
冬抜けは多く、疾駆する生き物によって伝えられる。彼らは身体を不自然に白く染めていたり、走り去った後に季節外れの雪を残したりと、先駆者たる証を残していくのだという。
これらに早く気づくことが肝要とされるも、うまいこと潜り抜けてしまった例も存在したようだ。
その時、冬抜けの生き物を真っ先に見つけたのは、子供たちだったという。
彼らは村の中心より大きく外れた森の中でかくれんぼをしていたところ、真っ白い犬が倒れているのを発見した。
家々で飼っている犬の中で、これほどまでに白い毛並みをそろえているものはいない。
犬のそばに立つ木の一本は、その幹にひとつ、真新しく大きなくぼみをこさえている。犬のほうもまた白い毛の中にあって、頭の一部だけを血で汚していたようだ。
どうも勢いよく走っていて木へぶつかり、昏倒してしまったものと思われた。
見つけた子供たちとしては、哀れさが先だったらしい。
大樹の根の間を少し掘り、簡単な寝床として、かの白犬をそこへ運んだ。
持ち上げた身体は軽く、そしてひどく冷たかった。ひょっとしたら死んでいるのではと、子供たちは感じたのだそうだ。
しかし、息をしているのは確かで、ならば見捨てていい道理はない。
子供たちは、せいぜい他の動物たちに見つかりづらくするよう、落ち葉や枝を集めて、落とし穴を隠すときのような「フタ」を作り、上にかぶせておいたのだそうだ。
親が持たせてくれた、昼ご飯のおかずなどをその口元へ当てる子供もいたが、村にいた犬たちなら大喜びで頬張りそうなそれを、白犬はまったく口にする様子がなかったという。
子供たちが白犬をかくまってから、数日後。
いつもならば、陽が西へ傾きかけるころに戻ってくる猟師たちが、昼前に村へ帰ってきた。
息せき切った彼らはひとこと、「冬が走ってきた」と皆へ伝える。
大人たちはすぐさま、その符丁の意を察する。「冬抜けの見逃し」があったということだ。
責任追及は後と、人々はおのおのの仕事を放りだし、すぐさま丘砦への避難を始めた。
子供たちもまたそれに従うが、冬が走ってきたという言葉の意はほどなく察することができた。
猟師たちが村へ戻ってきた方角。そのかなたにある木々が、遠目にも分かるほど、白く染まっていくからだ。
雪に降られたようなその姿は、ほんのわずかな間だけ。彼らもまた、雪そのものへ仲間入りしていくように、身体の端から白い粉となって、散っていく。
やがて「冬」は村の家屋へと及ぶも、建物そのものには影響を及ぼさない。
ただ各々の飼い犬、耕作に使う牛たちなどは、同じく雪へと変じていったそうだ。
動植物、生きて活動しているものたちこそが、この極端な冬の中でたちまち最期を迎えることになるのだと、子供たちも思い知った。
息もからがらに、たどり着いた丘砦。
たどり着けた者をかくまうや、唯一の入り口には大人たちが手に槍を持って、腰をかがめた。
すでに丘のふもとまで迫ってきている、真っ白な冬。散っていく草たちの欠片を見下ろしながら、こちらへなお向かってこようとするものへ、大人たちは槍の穂先を一斉につきつけた。
槍ぶすまだ。
足軽の密集陣形でも使われるこの戦術は、相手騎馬への威嚇もかねている。いかに訓練された馬とて、とがった無数の穂先を向けられて、怖じずにいるのは難しい。
その穂先とともに、大人たちが気勢を発すると。
冬たちの動きは、ぴたりと止まった。なおも声を発し続ける大人たちの前で、冬たちは元来た方向へと戻っていったんだ。
色を変えていた自然たちもまた、元へ戻っていく。されど、砕け散ったものはもう、戻ってこない。
のちに子供たちがかくまっていた、あの白い犬も、確かめにいったときには影も形も残っていなかった。
事情を聞いた大人たちは、それこそが「冬抜け」であったことを告げ、よりいっそうの注意と連絡を密にするよう、子供たちに教えたのだという。