回りだす運命の歯車
一通りの能力確認が終わって暇になった。
時計はないけど今は丁度正午くらいであろうか。
「しまった。お腹が少し減ったなぁ・・・」
腹八分目にした所為で現代と同じく、お腹が昼飯よこせと催促しているみたいだ。
これなら、満腹度100%に留めて置けばよかった。無駄に精神力も消費して馬鹿みたいではないか。
お金があれば城下町に繰り出して何かを買って食べることもできるんだろうけど、生憎と持ち合わせは皆無である。
実乃さんにお小遣いでも貰えないかなぁとは思うものの、自分の立場は現在微妙である。
彼らは私を景虎だと信じているけど、実際は違うし、青岩院様からの返答があれば、此処を離れないといけないだろう。
最初は命の危険を感じていたが、弥太郎さんとの手合わせもあって、逃げれるんじゃないかと密かな自信を持つに至った。
後は何処か別の町に行き、日銭でも稼いでいければ最悪生きてはいける気がする。
無駄に強いので商家の用心棒何ていいかもしれない。
「景虎様、少しよろしいですか?」
「実乃さんですか? どうぞお入りください」
私が入室を促すと実乃さんが一通の書状を持って部屋に入ってきた。
すわ、青岩院様からの返事かと身を強張らせれば、これをご覧くださいとその書状を手渡された。
蚯蚓がのたくった文字が目についたが不思議と読むことができた。これも不可思議極まりない能力の効果なのだろうか? いや、そうに違いない。
「え~と・・・村どうしによる水利権の諍い事ですか?」
そこには2つの村が田んぼの用水を巡って川の利用権の主張が書かれていた。
一方は昔から利用していたので隣村が文句を言ってくるのはおかしいと述べ、もう一方は殿様から川の利用が許されていると書状持参で揉めているようだ。
「で、これが何か?」
私は首をかしげる。
こんな物は代官あたりの仕事ではないのだろうか。
「景虎様もこの城の城主なのですから、御裁断を願えないかと思いまして」
「え、この栃尾の城主は実乃さんでしょう?」
「ああ、まだ記憶が戻らないのでしたか。この城は確かに某の城でございますが、殿・・・晴景様より景虎様がご滞在中は城主を代わるように命じられておりますれば」
記憶喪失の私に厄介ごとを持ってきた事に気後れしたのか尻すぼみに声が小さくなっていく実乃さんが少し可哀そうになって私は口を出すことにした。
「そういう事情であれば、元服して間もない小娘が何が出来るかは分かりませんが、相談ぐらいには乗りましょう」
「本当でございますか!」
喜色満面でにじり寄ってくる実乃さん。
私は少々、仰け反って彼に問う。
「まず、この国の法ではどうなのですか?」
「法でございますか・・・? はて、聞いたこともありませんな」
ありゃ、そうなのか。
分国法は大内家や今川家、伊達家等にあることは知っていたけど、それよりも簡素ではあるが人を治めるくらいだから法の一つや二つはあるものだと思っていたわ。
ま、ゲームマニア程度じゃそんな程度の知識しかないのよ。
「では、これを放置するとどうなるんです?」
「小競り合いを起こして人死にが出るでしょうな」
これまた厳しい。
規模は小さいが領地拡大を目指す戦国大名と同じで戦ではないですか。
「前例はないのですか?」
「あるにはあるのですが、今回は片方が持つ書状に問題がありまして、その書状が某の祖父が出したものなのです」
心底困った顔で訴えてくる実乃さん。
私も困った。
普通に考えれば、書状がある村の申し出が正しいのだろうけど、何か引っかかる。
「私の憶測ですが、その書状が本物である可能性は低いと思われます。まず、昔から川の水を使っていたという村はそういうからには本当に昔からある村なのでしょう。一方書状持ちの村はそれより新しく出来た村の可能性が高い。であれば、もっと以前にその書状の力を使って水の利権を争ったはずです。それがなければ、何故、今になって問題を起こしたのでしょうか?」
「むむむ・・・言われてみれば確かにそうでございまするな」
私の話に理を見たのか思案気になる実乃さん。
「では、その書状を改めること、具体的には文字を実乃さんのお爺様の書と比べて同じであるのか、花押はあるのか紙は古いのか新しいのか等を調べつつ、お城の方にそれを発布したという書付があるのか調べましょう」
大名クラスであれば祐筆が書いて文字が違うこともあるかもしれないけど、本庄家は一国人であるからして祐筆など置いてないだろうな。
それを確認してもいいのだけれど、祐筆がいたと言われると根拠が弱まってしまうから実乃さんが言い出すまで黙っておこう。
言っては悪いけど、この諍い、血を見るのが明確ならどちらかを悪者にして犠牲を減らした方がいい。例え真実が違ったとしても証拠がなければ、どっちにしろ裁量権はこちらにある。
もし私の推測が間違いでも書状が本物なら、相手の村に手を引かせればいいのだから正道に戻るだけだ。
こんな事を考えられるのも、この世界がゲームの可能性があるからなのかもしれない。
もし現実世界なら、私は同じことが言えただろうか?
多分、専門家に丸投げしただろう。
専門家が居ないから、私のところまで来たのであろうが、それでも私は突っぱねたと思う。記憶喪失を理由にして。
それから半日くらいして、結果が明らかになった。
書状は稚拙な偽物だった。
発布に際して使われる紙のサイズが小さい。花押はない。文字は全くの別物で文章が武家の物らしくなく、決定的だったのは城に書付がなかった事にある。
これは実乃さんのお爺さんに感謝する他ない。彼は自分が発布した案件についてはしっかりと記録を残しておく人であった。
役人に厳しく問い詰められるとその村の代表は「殿様の威光を借りて脅せば簡単に水利を得られると思った」と白状したらしい。
この辺りが土豪と国人の差なのかもしれないな。
支配領域の大きさの差とでも言うか。
まあ、何はともあれ無事解決して良かった。
そして、一安堵した頃に栃尾城に早馬が駆け込むのであった。
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話は変わるけど、私は新当流継承者として剣は勿論の事、長刀も槍も使えるし、門外だけど弓も扱え柔道と合気道と空手も嗜んでいる。
使えないのはこの時代的に鉄砲くらいだろうか。
合気道は剣術にも応用が利くので得意な部類だが、他の徒手空拳技は初段までだけど。
さて、何故こんな事を再確認しているのかというと、遂に青岩院様からの文の返答が届けられたからである。
逃げ出す準備はばっちりだ。
書状を持つ実乃さんを評定の間の上座に置き、安田さんと弥太郎さんを左右に座らせ、私は下座で出口付近に畏まっている。
そうするように私が願い出た。
最初は渋っていた皆だけど、私のたっての懇願に折れてくれた形になる。
「では、拝読させていただきます」
書状に一礼した実乃さんがパラパラと紙を開く音に私の喉がなる。
「先ずは皆様方に要らぬ心労をおかけしたことをお詫び申し上げます。我が子、長尾平三景虎は、皆さんが知られてしまった通り、紛れもない女子です」
その文章にやはりと言った顔の男衆とはい? と疑問符が浮かぶ女、つまり私とで綺麗に反応が分かれた。
え?
上杉謙信女性説が正しかったのか?
いや、待って。ここがゲームの世界なら、最初に選んだ選択肢の謙信女性説を信じるを選んだからという可能性もあるのではなかろうか?
「殿の命があったとは言えども、女子の虎千代を男子として育てるのには憂慮していました。それは真っ当な道ではないからでございます。何時かは露見するものと存じておりましたが、とうとうその日が来てしまったのだと思いました」
皆が神妙に実乃さんの言葉を聞いている。当然、私も。
「聴くところによると、平三は落馬の際に記憶を失ったとのこと。あの子の事を思うと不憫で堪りませんが、男子として育てられた思い出が失われたのは、僥倖かと存じます。これが御仏のお導きなのやもしれません」
・・・そうなのか?
此処がゲームの世界と思っていたけど、何故この場所に取り込まれたのかは謎のまま。
超常的な何かの力が働いたのは事実なのだろう。
それこそ神仏のような力が。
「私が仏門に入ったのは、殿の菩提を弔う意もありましたが、平三を不憫な目に合わせているという罪の償いの意図があった事を申し上げておきます」
「青岩院様・・・おいたわしや・・・」
静かに傾聴していた安田さんが涙を零した。
弥太郎さんも何かを我慢しているかのように拳を床につけて強く握りしめている。
実乃さんが微かに震える手で書状の続きを読み上げていく。
「皆様を謀った殿と私ですが、伏してお願い申し上げます。これからも平三を支えて上げてくださいますよう。これまでの歪んだ生ではなく、願わくばあの子の望むがままに、男子としてでも女子としてでも心のままに生きて貰うのが母の願いにございます」
書状を読み終わった実乃さんが丁寧にそれを畳み再度一礼をする。
そして、安田さんと弥太郎さんと示し合わせたかの如く、私に向き直り深く平服した。
「景虎様! 我らは今後も変わりなき忠誠を貴女様に捧げることを神仏に誓いまする!」
「オレもだ!」
「儂もです!」
実乃さんの発言を皮切りにして弥太郎さんと安田さんが我もと追従した。
余りに真剣過ぎる雰囲気に私は・・・
「ああ、私こそよろしく頼みます」
と言う他なかった。
こうして女性長尾景虎が爆誕し、令和の女子高生長尾景虎が亡くなった。