内政チート系辺境伯は想定外の事態に弱い
応接間で私達義兄妹を待っていたのは、精悍という言葉に相応しい、背の高い男性だった。
茶色味の混じるくすんだ灰色の髪は気位の高い獣の毛並みを彷彿させ、男らしい顔立ちの中でも、鋭い光を宿した緑色の双眸と爪痕のような裂傷の痕があらゆる意味で目を引く。筋肉質ながっしりとした体格も相俟って、貴族と言うよりも凄腕の傭兵と言った方がしっくりくる――メシエ北方辺境伯様は、私と義兄様をちらと見やってから、客間に設えてあるソファから立ち上がった。
「貴殿らがドラクロワの兄妹か?」
片眉を上げたまま此方を見つめてくる辺境伯様に、私達はそっと目配せを交わしてから身構えた。義兄様が一歩前に出て、私はその場で、ゆっくりと目上の相手に対する礼を取る。
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
「頭を上げてくれ。此方こそ、先触れもなく訪れたことを詫びねばならん。すまなかったな」
「どうかお気になさらず。我々こそ、閣下の御来訪というのに大した饗しも出来ないことをお許しください」
「いや、いい。饗しは結構だ。用件を済ませたらすぐ立ち去る」
そう言って腕を組む辺境伯様の声は淡々としているものの、冷た過ぎず固過ぎないものだった。ほんのりと眦を下げているのもあって、適度なフランクさを感じさせるのが、如何にもデキる上司っぽい。
楽にしてくれ、と辺境伯に促されるまま、私達は向かい側に設置されたソファに腰掛け、改めて彼と向き合った。
(はーーなるほど、これが一代で北方辺境メシエ領を栄えさせた辺境伯様かぁ……)
トリフィリス王国の四方辺境伯領は、王都から離れているのもあって、お世辞にもすべての領が栄えているとは言い難かった。
王都を囲む四大都市からも距離があるし、扱い辛い地形や癖のある気候などに悩まされることも多いという。
中でも、北方辺境領であるメシエ領は、雪深く晴れる日も少なく、土も固く痩せていることで知られていて、近隣に出没する魔獣も桁違いに強いと専らの噂だった。両親の学生時代まで、幾つかの改革や大規模な開墾の話が立ち上がっては頓挫するを繰り返し、三歩進んで二歩どころか四歩下がるような具合の、緩やかな衰退を辿っていたとも聞いている。
あの土地を好き好んで訪れるのは、修行目的の求道者の類や珍しい魔物を求める一流以上の物好きなハンターぐらいだと言われていた。『試される大地・メシエ領』とは誰の言葉だっただろうか。
兎にも角にも、メシエ領は侘しく不毛な場所として長年知られ、控え目に言っても寂れていた。何なら国からの梃入れが入るところだった。
そんな極寒かつ危険でいて不毛とも言える土地の流通を改善し、領内を整備して内政を立て直し、これまでになく栄えさせたのが、私達の目の前の男性なのである。
メシエ辺境伯――ヴァシエール=メシエ様。
領地内の凶悪な魔獣を自ら狩りに出て最前線で開拓を指揮していただとか、税収の方法や領内規定の改正を率先して行い民衆の負担を相当軽くしただとか、あまりにも効率が良い運営方針を国王自ら讃えて勲章を贈っただとか、その手腕を買われて王都条例や王国憲法の改正法の草案を提供しただとか。
キリのない「デキる領主」っぷりや異例具合が知られている、今、トリフィリス王国の中で最も注目を浴びていると言っても過言ではない御方だ。
超の付く有名人であり、本来ならば、北の内陸であるとはいえ、こんな地方伯爵領にいる筈のない御仁である。というか今更ながら思うのだが、護衛や従者はどうしたんだろうか。お偉い領主様に護衛の一人もついていないのは不味いのではなかろうか。まあ私達もマイルズ達を外で待機させている時点でお相子ではあるけれど。
そもそもの話、両親ならばまだしも、私や義兄様とは接点も面識もない、言葉通りの縁遠い存在である。
つまるところ、この展開は実に不自然であった。
「して、閣下。我々に如何なるご用件で?」
義兄様が、如何にも外面モードといった低く不遜な声音で訊ねる。きっと、傲岸な薄ら笑いのオプション付きだ。私は澄ました顔を繕いながらも、脳内では忙しなく考え事を巡らせているので隣を見る余裕などない。
本来ならばもっと下から、顔色を伺うべきであるとは私だって理解しているけれど、敢えて止めることはしなかった。
「ああ、あまり他所には聞かれたくない話なんだが……この部屋、防音魔術は?」
「設置されています。起動させれば直ぐにでも発動しますが、如何なさいますか?」
「頼んだ。俺はその手の魔術の扱いが得意ではなくてな……」
「かしこまりました。……エル」
「はい、義兄様」
義兄様の声に応じて、私は魔力を手のひらの上に集めた後、ポンと天井に向けて放つ。天井に触れた魔力塊と壁面に施された術式が反応を起こして、防音魔術が発動したのを確認してから、「起動が完了しました」と告げて無言で会話の続行を促した。このファンタジーな世界・アヴォンドモリアに生まれ落ちて以来、生活魔術の類には日頃から親しんでいる。このくらいは御茶の子さいさいだ。
しかしながら、他に聞かれたくない話とは、いよいよ穏やかではない展開だ。
まるで抜き打ち――此方の不意を突くかのような訪問を受けた私と義兄様は、辺境伯に対して警戒心を抱いている。いや、抱かざるを得なかったのだ。
一体どうしてこんなことをされるのだろう、という疑問は勿論のこと、釈然としない部分が多いのである。
(本当に、何なんだろう。私達何かした…か……? あ、してたわ。義兄様がしてるわ、婚約……)
今思い当たるのは、義兄様とスフォリア=ブランシュ侯爵令嬢の婚約ぐらいだった。
辺境伯は、もしかするとスフォリア義姉様に何かしら関わりがある御方なのだろうか? それに関して物申しに来たのかもしれないと思うと、話は何となく繋がりそうである。
何せ、相手は邪竜の花嫁として社交界で忌避される存在で、そんな彼女に婚約を持ちかけたのが地方伯爵家の養子なのだ。格下の爵位の人間――しかも養子――が、邪竜の花嫁に婚約を申し入れ、受け入れられるだなんて、あらゆる意味で型破りにも程がある。
私は義兄様の素の部分や精神的な部分に対して、それなりに理解があるから納得する部分が多いし許容できるけれど、多くの貴族の目には恐ろしく破天荒な行いとして映ることだろう。
ただでさえ、同世代の貴族子息達の中には熱狂的な信奉者がいたり距離を取られたりしていた義兄様が、より一層浮いてしまうのは当然の流れとも言えた。
更に言えば、見た目が良過ぎるのと冷徹貴公子面の徹底っ振りの所為で、同世代の貴族令嬢からは「完璧過ぎる観賞用令息」「婚約者は荷が重過ぎて無理」「畏れ多くて隣に立てない」など敬遠されていて、本人自身も異性に殆ど興味を示していなかった、あのシュトロム=ドラクロワが自ら選んだ婚約者ともなれば、そりゃもう目立つに決まっている。悪目立ちもいいところだ。
とは言え、義兄様周辺の人間関係や交友関係に関して、メシエ辺境伯様が知り得ているのかどうかは預かり知らない部分である。しがない……と言うには少々無理があるかもしれない地方の伯爵令息こと義兄様が、果たして辺境伯様の何に触れてしまったのか? それは御本人に聞いてみなければ分からないのだ。
「間怠っこしいのは嫌いだ、単刀直入に訊こう」
辺境伯は、その鋭い碧眼で私達を見据え、口を開いた。勿体ぶる様子もなく、続けざまに言葉を告げられる。
「――あんたら、どっちが糸引いてんだ?」
その、余りにも的を射ない、抽象的で漠然とした問い掛けに、私は目を瞬かせるより他になく。
義兄様も、(ちょっとよくわかんないな?)という困惑を声に滲ませて、「はて、糸とは一体何のことでしょう?」と返すことしか出来なかった。
辺境伯は私達の反応が予想外だったのか、暫し黙り込んで此方を凝視し、数秒の後に眉根を下げて困惑を表情に浮かべる。
「いや、いやいやいや、だってあまりにも早過ぎるだろ。あんたが婚約するのは四年後の筈。十五で婚約は幾らなんでも早いって!
……それとも何だ? まさか、もう乗っ取られてんのか…?」
トリフィリス王国の婚姻事情を鑑みると、地方伯爵家の令息の場合、だいたい二十歳前後で婚約をしてその数ヶ月後に婚姻、というパターンが多い。成人前の十五で婚約者がいるというのは、そこまで多くはないのだ。早いと言われれば確かに早いかもしれない。
が、辺境伯様の言葉に含まれる意味合いはなんだかちょっと違うように思えた。
まるでスケジュールの食い違いを指摘しているかのような、予定外の行事が入って困惑する企画進行役のような、そういった印象を受けるのだ。
それと、「乗っ取り」という言葉。
それは一体、何のことなのだろう。
私はそっと、義兄様に目配せをした。義兄様も此方に視線を向けていたので難なくアイコンタクトが取れて、互いに「辺境伯様、そこんとこ詳しく」という追及の意思を読み取った私達は、そのまま辺境伯様へと視線を滑らせ、固定する。ついでに部屋内にもう一重分の防音魔術と外部からの妨害や干渉を防ぐ封鎖魔術を施した。これで準備は万端である。
「閣下、我々にも理解出来るようご説明いただけますでしょうか?」
「乗っ取る、とはどのような事態なのですか?」
ぐっと身を乗り出した私達を、辺境伯様もまた困惑の表情のまま交互に見比べてから、深々と溜め息を吐き出した。
「……そっか。あんたら、転生者じゃないんだな…」
「――え、」
やっちまったなあ、と肩を落とす辺境伯様に、私の思考は動揺と期待と興奮で一気に掻き乱される。
この御方は今なんと?
転生者と言ったのか?
もしや私達のお仲間?
私達義兄妹は、図らずとも同時に、更に身を乗り出して辺境伯様へと距離を詰めた。
「辺境伯様! kwsk! そこんとこkwskお願いします!」
「閣下、いや先輩! 僕達転生者です! どうか御教授を!! どうすれば推しを喜ばせられますか!?」
「は、えっやっぱりそうなのかよ!? なんだよ、驚かすなよなー!」
口から突いて出た言葉はてんで違うものの、辺境伯様の望んだものであったらしい。凄まじい食いつき具合を見せる私達を、どうどう、と軽く宥めながら、辺境伯様は精悍な顔を綻ばせて快活に笑った。想像よりもずつと、取っ付きやすい気さくな方のようだ。
「で、ここまで見てて思うんだが……あんたら、原作知らんな?」
「原作…とは……?」
「え、此処って原作あるんですか? ってことは、異世界転生は異世界転生でも異世界転生トリップ系……?」
「妹さんのが話が分かるっぽいな。あ、兄さんはそっち系とは無縁な感じか?」
「あ、私は元日本人でオタクだったので、一応それなりに。でも、義兄様は転生者は転生者でも現地転生型でして。ね、義兄様?」
「改めまして、邪竜レヴィアスの転生者です。よろしくお願いします、先輩」
「よろしくお願いしまーす!」
義兄妹、揃ってにこやかに挨拶をするのだが。
「は……?」
辺境伯様は、何故かにこやかな笑みのまま硬直してしまった。
あれ、何か自己紹介の仕方間違えたかな? と内心首を傾げていると、ガタン! と辺境伯様が勢い良く立ち上がり、脱兎の如く走り出す。彼は勢いを殺すことなく壁際まで駆けていくと、そのままべったりと背中を壁に貼り付けて、首を横に振り乱し始めた。
「もう駄目だおしまいだ!! 今の俺がラスボスに勝てる訳ないだろいい加減にしろ!!」
先程までの快活さなど欠けらも無い、見事なまでの怯えっぷりを見せる辺境伯様。恐慌状態とはまさにこのことだろう。
いきなりの豹変具合に、私は呆気に取られながらも義兄様の袖の縁をちょいと引っ張った。
「義兄様、マジのラスボスなんですか……?」
「えっ……どうなんだろう……? 僕にも分かんない……」
「こういう時、どうしたら良いんでしょうか」
「笑えばいいんじゃないかな」
「それは流石にちょっと」
私達が困惑のまま会話する中、「ステ足りねえ無理死ぬ!」「助けて! 助けてくれ! 俺には嫁と娘が!!」と命乞いのような言葉を口走りながら、部屋の壁を力強く叩いたり、扉の取っ手をガチャガチャと引っ張っていた辺境伯が、
「話せば分かる! 頼む、俺の話を聞いてくれ!! だからどうか命だけは見逃してくださいお願いします!!」
と義兄様の前でうつくしい土下座を披露するのは、これより三十秒後のことである。