ラスボス系義兄様は幼馴染と仲良し
期間が開いてしまってすみません。気まぐれ投稿をお許しください。
マイルズを先頭にして、私とフロレント=レーヴラインは城の中を歩いていた。
日頃暮らしている我が城であっても、彼が隣にいるというだけで目に映る調度品や内装が目新しいもののように感じてしまう。嗚呼、私の世界は今日も今日とてこんなにも素晴らしい。
(フロルくんとデート出来るという現実に感謝せざるを得ない……はあ……フロルくん…好きだ……)
フロレント=レーヴラインという少年が隣にいる状況は、私にとって至福の一時であった。こと最推しとの時間の共有に関しては、強気の姿勢と前のめりの解釈を心掛けているので、勘違いを加速させるメンヘラ女子のような思考回路になってしまうのはご愛嬌である。つまり、フロレント=レーヴラインと一緒に過ごす一時は、それすべて、デートと言っても過言ではないのです。結論。
そんなこんなで、私はフロレント=レーヴラインとのデートを楽しんでいる訳であるが、かと言ってマイルズが邪魔だとかそういうことは思わない。なんなら三人で会話を楽しみながら歩いている。
「兄上達は中庭?」
「ええ、いつものあれです」
「義兄様達、昔からお好きですねぇ……」
言っている傍から、金属同士が搗ち合う音が聞こえてくる。
目的地である中庭の方から不規則に鳴り響く硬質な音を目指して歩を進めれば、刃を潰した剣を手に、軽やかに打ち合う二人の青年の姿が其処にあった。
同じ形状の剣を手にしている二人は、しかしながら、その姿勢は全く別のものを取っている。片や、腰を低く落とした実戦向きな構えを取り、片や、構えと言うには少しばかり軽い自然な佇まい。
前のめりに地を蹴る前者が突き出した剣の鋒が、下段から振り上げられた後者の剣筋に弾かれて高い音を立てた。
「腕を上げたな、ロム!」
「そういうキールこそ」
「いーや、まだまだ。こんなんじゃ姫の騎士は務まらない。もっと強くならないと!」
「頑張って、応援してるよ」
「だから、今まさに頑張ってるところ、だ…ろっ!」
「おっ……と、危ない危ない」
攻め、防ぎ、突き、弾く。
薙げば躱し、振り下ろせば逸らされる。
攻勢を掛ける側と守りに徹する側は、入れ替わることなく常に同じだった。洗練された動作と無駄のない剣筋、その合間に閃く銀の光と剣戟の音も相俟ってか、二人の打ち合いは剣を用いた演舞のワンシーンのようにも見える。
何度見ても惚れ惚れするやり取りを前にした私は、足を止めて感嘆の溜め息を吐き出し、フロレント=レーヴラインの手を握り締める――と、間も置かずに彼の方からぎゅっと手を握り返された。まるで私の心境に同意を示すかのような反応だ。
えっ? おててぎゅっぎゅしてくれるの、フロルくん? 可愛過ぎない? 大丈夫? そんなことしていいの? 私が大丈夫じゃないけどいいの?
愛おしさと尊さを感知した心臓がギュンッと上機嫌で跳ね上がって、急激な心拍数の上昇によって息が乱れそうになるのを何とか堪えていると、隣に並んでいたフロレント=レーヴラインが一歩前に踏み出し、口を開いた。
「キール兄上、ロム義兄上。エルが戻ったよ」
落ち着きのある声が掛かると、青年二人の動きがぴたりと止まり、剣先が下を向く。両者が同時に此方を向き、それぞれ表情を和らげた。
攻め手を務めていたのは、ダークブロンドの髪に薄紅の目をした青年で、守り手を務めていたのは、フロスティシルバーの髪に金色の目をした青年だ。前者はフロレント=レーヴラインの実兄であり、後者が私の義兄様である。
「エル、おかえり」
「ようエル! 朝空の散歩はどうだった?」
身内の前で見せてくれる柔らかな微笑みを浮かべて歩んでくるロム義兄様と、闊達とした声と笑顔で此方に駆け寄ってくるキール様……もとい、キルシュヴァルト=レーヴライン様。
レーヴライン公爵家との家族ぐるみの付き合いによって必然的に幼馴染という間柄になるのが、彼ら二人と長女にして末姫にあたるシュネーベル様(御歳三歳。とてもかわいい)の三名であり、今日はご兄弟であるキール様とフロレント=レーヴラインの二名が、護衛や侍従を連れてこのドラクロワ領にやってきている。末姫様はまだ幼い為、御両親と共にレーヴライン本家でお留守番だ。
長兄であるキール様とロム義兄様は同い歳で、とても仲が良い。幼馴染にして親友、というヤツである。
二人は「学園」では良き好敵手、或いは宿敵同士として知られているらしく、彼らが並び立つ姿は実に麗しく絵になるのだとか。明朗闊達なキール様が、義兄様を前にすると途端に表情を引き締め、言葉少なになるのも有名なのだそうだ。なお、ベルトイア子爵令息発信の情報である。
……実際のところ、義兄様が外面モードを発揮している姿を見てしまうと、キール様は危うく抱腹絶倒し過呼吸を起こしそうになるそうで、一生懸命表情を引き締めて堪えていらっしゃるだけなのだけれど。
『ロムおま、おまえ、似合うけど似合わねえな!?』
とは、キール様が外面モードな義兄様を初めて見た後、絨毯の上で笑い転げて息を切らせながら発したお言葉だ。
こうして勘違いが加速していくんだなあ、などと思いながらキール様に紅茶を勧めたのが、つい昨日の出来事のようである。
「とても楽しかったです。今日は飛竜のつがいが空高く飛んでいました」
「へえ? じゃあここ二、三日の天気は心配しなくて良さそうだな」
「だからといって剣ばかり握らないでちゃんと勉学にも励みなよ? キール」
「心配すんな、出された課題はもう終わらせてきた」
「そういう問題か?」
「そういう問題だろ。答えの分かりきった課題ばっかだしなぁ。ロムだってそう思うだろ?」
「同意を求めないでくれよ、僕はお前程頭がいい訳じゃないんだから」
「はっはっは、学年首席の月影サマが何を仰るのやら!」
「万能天才肌の陽光殿が言うと嫌味にしか聞こえないね」
「学園」の一部の生徒の間では、お二人は「陽光のキルシュヴァルト」と「月影のシュトロム」と呼ばれているらしい。これもまた、ベルトイア子爵令息情報。
ベルトイア子爵令息の言葉を聞いた際の義兄様は、「二つ名の類は間に合ってるんだけどなあ……」というニュアンスの苦笑(に見えなくもない薄ら笑い)を浮かべていが、こうして皮肉や冗談の応酬で使われているのを見ると、案外満更でもないのだろうか。
太陽と月、光と影。成る程、確かにその通り。
彼らは対であるかのように、真逆の見た目と雰囲気をしている。義兄様が冷たい色と雰囲気を持つのに対して、キール様は暖かい色と雰囲気を持っているのだ。
中身は似たり寄ったりなのだけれど、黙っていれば、月属性の自由サイドな冷徹貴公子系と、太陽属性の秩序サイドなワイルド王子様系の青年に見えてしまう。やっぱり見た目の与える印象って大きいんだなあ、としみじみ思った。
「ま、肩慣らしは済んだことだ。目も頭もいい感じに冴えてきたし、そろそろお前のお姫様の話を聞かせてくれよ、兄弟」
「勿論だとも。お前とエルが言っていた推しなるものの概念をようやく僕も理解した。いや、あれは、もう……凄い……凄いよ……存在そのものに感謝と祈りを捧げるより他にない……」
「だろぉ!? やっと分かってくれたか!」
「今ならお前といい酒が飲めると思う」
「よしよし、成人祝いはパーッと飲み明かすぞ。約束だからな?」
「ああ。だがお互いに推しが最優先だよ?」
「トーゼン!」
がっちりと固い握手を交わす二人は、実にいい笑顔でウンウンと頷き合っている。
ご覧の通り、親友のお二人は実に仲がいい。そして、仲がいい分だけ遠慮も容赦もない。
更に言えば、互いの限界や力量をそこそこ理解している為、フラストレーションの解消や己の技量の向上を兼ねて、模擬戦や手合わせをよく行う。
故に、彼らは顔を合わせると、お話もそこそこに剣の手合わせを始めてしまうのである。それが彼ら流の挨拶と互いの近況報告のようなものであるらしい。キール様も義兄様も、方向性の違う脳筋であることは間違いないので、こうなるのは自然な流れと言えば、そうなのかもしれない。
二人で切磋琢磨し合う際は、多少の人目があったとしても、義兄様も外面モードをやめて素に近い状態になり楽しげである。それは、このドラクロワ領であっても変わらない。
「で、フロルはどうだ? もうアレ読み終わったのか?」
「うん。兄上が借りてきてくれた魔術理論の学術書も面白かったけど、地方の民話や伝承を集めた学者の旅行記が特に良かったよ」
一方、フロレント=レーヴラインはといえば、ドラクロワ領に来ると、日当たりの良い一室を陣取って日課であり趣味でもある読書に没頭してしまう。ご本家と違う空気と環境の中で本を開くのが楽しいとのことだ。
これぞまさに、勝手知ったるドラクロワ領、ドラクロワ城である。いいぞ、もっとやれ。フロレント=レーヴラインのより良き日々の為にこの城が活かされるならば本望というものだ。
このように、彼らが此処に来て自由に過ごすのは、幼い頃から変わらない。
故に、私も彼らのように自由に過ごす――のだが、自由という名の選択肢の中に、フロレント=レーヴラインの傍に居座るという項目は存在しなかった。
彼のプライベートスペースの片隅に居座ることを許されている身ではあるのだが、だからと言って四六時中ベッタリと傍に張り付くのは自重しているのである。
あんまり構い過ぎて嫌がられたりウザがられたりしたら色々と怖いし、幾ら好きだからと言っても、婚約者だと言っても、超えてはいけない部分というものは存在すると思っているので。まあつまり、ちょっとした見栄を張っている訳だ。
許されるのならば、おはようからおやすみまで一緒に過ごしたいところだが、そんなことをしたら益々歯止めが効かなくなりそうである。自分の理性の為にも、社会的生命の為にも、フロレント=レーヴラインの健やかな日々の為にも、自重と適度な距離を保つことは大切なのであった。
幸いにも、最大にして魅力的な選択肢が除外されていても尚、私には色々なカードが残されている。
今生では、己の有する人あらざる能力や習性に馴染むべく、自主的な研究と訓練をしていて、これがまた楽しいのだ。
先程のような空中遊泳をする傍ら、上空から領内を見回ったり、懇意にしている使用人の出身地に赴き近況を訊ねたり、街の人々に混じってお手伝いをしたり、領内に生息する固有種の竜種達の元に赴いたり。
義兄様やキール様、フロレント=レーヴラインと比較してみても、我ながら相当自由に過ごしていることは明白なので、他人のことを言える立場ではないのであった。
「ま、こんなとこで立ち話もなんだ、茶でも飲みながらじっくり話すとしようぜ」
「お前はこの城の主じゃないよね? なんでそんなに偉そうなの?」
「はは、こんなの小粋な冗談だろ」
「ねえマイルズ、今日のおすすめの茶請けは?」
「今の時間帯なら、そうっすねえ……胡桃とチーズのクッキーとかどうでしょう? 塩味と甘味が程よく効いていて食べやすいんですよ、坊ちゃん」
「じゃあそれで。兄上達もそれでいい?」
「いいぜ。俺は美味けりゃ何でも来いだ」
「ではマイルズ、菓子の手配を頼むよ。お茶の方はサーリャかメルを捕まえてくれれば早く済む」
「かしこまりました! では皆様、いつも通り談話室でお待ちくださいね!」
マイルズはにっこりと笑って一礼すると、すたすたと厨房の方へと去っていく。
微かに揺れる魔石カンテラの音が遠ざかっていくのを背後に感じながら、私達も談話室へと歩き出した。
「エル、談話室は今何があるんだっけ?」
「遊戯盤が四種、カードが三種、それと、パズルが二種類ですね」
「パズルは延々と続けちまうから止めとこう。かと言って、遊戯盤はキリよく止められないしなあ……無難にカードにしとくか?」
「トランプするなら大富豪がいい」
「お、フロルはあの冒涜的なゲームがいいのか? じゃあやろうぜ」
「……ん? ねえキール、大富豪ってそんなに冒涜的だったかな?」
「だってあのルール、腐敗した社会の縮図みたいじゃん。都落ちとか革命とか、俺らは特に他人事じゃないだろう? 戒めっぽいっつーか、反面教師っつーか、痛いとこ突かれてるっつーか……「お遊びの中に社会の闇を持ち込んできました!」って感じがするし?」
「言いたいことは分からないでもないけど、物は言いようだね?」
「それはそれ、これはこれ、遊戯は遊戯だよ、兄上。名称はさて置き、面白いルールだからぼくは好きだ」
「ふふ、私も大富豪は好きだよ、フロルくん。諸行無常って感じがいいよね」
「諸行、無常……?」
「この世界には絶対なんてなくて、常に移ろうものであるって意味、だったかなぁ」
「……エルの言いたいこと、なんとなくだけど分かった」
「本当? よかった」
「はー、なるほどな? マジで物は言いようだわ……」
「お前が言うな、お前が」
レーヴライン公爵家のご兄弟と義兄様がわちゃわちゃと会話しながらじゃれ合う光景の一角に居座りながら、中庭を過ぎた先にある談話室の前へと辿り着き、義兄様が目的のドアに手を掛けた時だった。バタバタと、穏やかではない足音が後方から此方へと向かってくる。
「シュトロム様! 緊急事態です!」
普段なら、幾らおおらかで緩いと言っても最低限のマナーを弁えている筈のマイルズが、血相を変えて義兄様の元へと駆け寄ってきた。
困惑と焦燥がありありと浮かぶ顔は、血の気が引いていて見ている此方が心配になってくる程だ。先程までの姿とは似ても似つかないマイルズの様子に、私達四人の間に漂っていた空気もピンと張り詰めたものになっていく。
「何があったんだ、マイルズ」
「あっ、あの、あの方が、いらっしゃいました……」
「あの方? って誰……? 義父母様方?」
「いや、それならマイルズはこんな顔しないだろ。別のヤツだよな?」
「は、はい……そうです、そうなんですが……」
マイルズが弱り切った様子で、義兄様と私をちらと見る。すっかり困ってしまって、どうしたらいいのか分からない、と彼の顔に書いてあるのが私にも理解出来た。私も段々と不安になってきて、そっと視線を義兄様へと向ける。
「それで、誰が、どうしてウチに来たの?」
このままでは埒が明かないことを察した義兄様がマイルズに簡潔に訊ねると、彼は不安そうに視線を彷徨わせながら、おずおずと口を開いた。
「――北方辺境伯が、ドラクロワの令息令嬢にお目通り願いたい、と……御本人様が、参られております……」
「……は?」
「えっ?」
北方辺境伯という肩書きがマイルズの口から出てきた瞬間、私達は図らずとも、揃って瞠目してしまった。私と義兄様に至っては、思わず声を上げてしまったくらいである。
何故、北方辺境伯……メシエ辺境伯が、義兄様と私に会いに来たのか、誰も、何も、心当たりがなかった。フロルくんの方をちらりと見れば、(何か変なことしたの……?)と言いたげに凝視されてしまったので、ブンブンと首を横に振って全力で否定しておく。そもそも直接的な交流もなければ、会ったこともない相手である。義兄様も、キール様に視線を向けられて私と同じように首を振っていた。
私達ですら心当たりがないのだから、当然、マイルズだってそんなものはない。そりゃあ私達以上に吃驚したって無理はない。
とはいえ、だ。私達はお互いの顔を見やってから、こっくりと頷き合った。
「キールとフロルは此処で待っててくれ。……行こう、エル」
「はい、義兄様」
辺境伯は、単なる地方伯爵家の私達よりも格上の御方である。いくらアポイントメントのない唐突な訪問であったとしても、きっちりもてなして応対しなければならないのだ。暴挙ともマナー違反とも取れる辺境伯の振る舞いに、私は困惑しながらも疑問を膨らませるばかりだった。
本来ならば、事前に連絡を取り合って会う日も時間も決めてから、というのが普通なのに、どうしてこんなに唐突なのだろう? 北方辺境伯に関する噂は、私の知る限り、そういった問題行動など一切ない、「品行方正」という言葉の似合うものばかりだというのに。
(なんか……まるで、抜き打ち、みたいな……考え過ぎかなあ)
燻る不安を押し潰すように手を握り締めると、手中に収まっていたフロレント=レーヴラインの指先にきゅうっと力が込められる。握り返された手のひらへと浸透していく体温によって、掻き乱されていた胸の内がゆっくりと落ち着きを取り戻していくのを実感した。名残惜しさを感じながらもそっと手を離すと、薄藤色のひとみと目が合う。
「いざとなったら呼んで。無理はしないこと」
フロレント=レーヴラインの静かながら此方を慮った言葉を受けて、私はゆっくりと噛み締めるように頷くのが精一杯だった。