表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage)・村上春樹・文藝春秋 2013年4月15日第一刷発行

はじめに

 形式は前記したとおり、簡単な要約の後に感想や僕がこの本を通じて考えたことなどを書いていく。できればこの愚作を読む前にこの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」という作品を読んでいただきたい。ネタバレを含むし、原作を知った上で読んだ方が共感も反論もできるだろう。ちなみに性的描写が結構リアルなので中学生以下にはあまりお勧めはしない。耐性があれば別だ。三百七十ページほどなのでそんなに気後れする長さではなかった。まあ、これを読む人がいたとすればおそらくすでに原作も読んでいるのだろうが、念のため。

 この感想文を読んでいただく前に自己紹介だけ軽くしておく。僕がどういった半生を経て、この本を読みどう考えたかを知る上での参考程度にしていただきたい。ここまで読んで興味が薄れた方、面倒くさいやつだと思われた方は折り返してもらってかまわない。もしくはこの「はじめに」を飛ばして読んでほしい。

 それでは、自己紹介へと移らせてもらう。

 僕は村出身の現在偏差値低めな公立大学の一女子大学生だ。一人称は僕の方がしっくりくるのでこれで通させてもらう。小学生時代は、活字はあまり好きではなかったが友達と遊ぶのが苦手だったため、暇つぶしのために図書館へ通っていた。中学から五年間吹奏楽部へ入り、初めて友達を持った。高校では自分とはほど遠いレベルの高い世界で吹奏楽や音楽に触れ、プレッシャーに負けて三年の春に正式に退部した。ちなみに、二年の冬(2月から3月にかけて)、二度にわたる二~三週間程度のいわゆる不登校を経験している。

 ざっとだが僕のことについてわかっていただけただろうか。これを踏まえた上で以下の感想文的なものを読んでいただけると、より僕の考えたことを理解してもらいやすいと思っている。

 それではここから要約・感想文に移る。


 多崎つくるは高校生時代に名字に色彩を持つ4人の友人と関係を持っていた。アオこと青海、アカこと赤松、シロこと白根、クロこと黒埜。アオとアカは男子で、他2人は女子だった。5人は男女の関係ではなく友人としてその関係性を大学進学後も続けていた。4人は地元である名古屋に残り、つくるだけ東京の学校へ通うために名古屋を出た。あるとき、つくるはいつものように地元へ帰省し4人とコンタクトを取ろうと試みるが、誰も彼に応えなかった。彼はついにかつての友人の一人から電話を受けたが「もう俺たちには関わってほしくない」という旨を伝えられる。「理由だけでも教えてほしい」「理由は考えればわかるはずだ。とにかくもう4人には連絡も取らず会うこともしないでほしい」そう言った会話のみで電話は終わる。つくるは4人に縁を切られた後、死ぬことだけを考えていた。その間痩せ細って風貌もかつてとは変わってしまった。時間の流れとともにつくるはなんとか持ち直した。大学へ行き、駅をつくる仕事に就いた。そして、三十六歳になったつくるは沙羅という女性と交際していた。そしてある晩沙羅に高校時代の話を聞かれ、彼は4人のことを話した。「あなたは4人に会って理由を聞くべきだ」沙羅にそう言われて、つくるは4人に会って当時のことを知るべく動き出す。

 大方のあらすじはこんなものだ。いちいち読み返しながら書いていないため若干の差異があっても目をつむっていただきたい。登場人物の名前だけは確認したから合っているはずだ。思っていたよりも長くなってしまったが、ここからは僕の感想を交えて進めていこうと思う。

 冒頭を読んでまず思ったのが、作品の読みやすさだ。恥ずかしい話、村上春樹(敬称略)の作品は初めて読んだ。時々知らない言葉が出てきたため辞書を引いたが、言葉遣いが絶妙ですっと自分の過去の経験と重なる場面が多くあった。はじめに、の部分で述べたように、僕には短いながら不登校の経験がある。おそらく人生で初めての挫折を経験し、当時の僕もまたつくると同じように死ぬことだけを考えていた。僕とつくるが違うのは、僕は自分から挫折してその道を選んだことと、死ななかったのは単に死ぬ勇気がなかったからだった。つくるは4人の友人に縁を切られたことで深い絶望を味わい、死ぬことだけを考えることで心臓が止まることを期待していた。実際、僕と彼との違いはもっとたくさんある。僕の家は彼のように裕福じゃないし、僕は勉強が得意じゃないし第一性別も違う。しかし絶望の表現は、僕の過去と自然と重ねて読んでいた。世界から色が消える。それは僕もなんとなくだがわかる感覚だった。僕の場合は色彩というよりは時間の流れが変わって感じたが、そこに大きな差はないように思う。

 4人の友人はつくるにとってとても大きな存在だったようだ。残念ながら僕にはそういった関係の友人はいない。中学時代の部活仲間とは連絡先だけ持っているが連絡はほとんど取っていないし、高校時代の友人とは部活をやめた時点でほとんどの人と縁を切った。自分からだ。彼はかつての友人たちと再会し、最終的に和解していた。沙羅に促されてのことではあるが、すごい行動力だ。終いにはクロに会うためにフィンランドまで行ってしまったのだから。僕には到底できないことだと、読みながら考えた。僕はまだ海外に出たことはないしパスポートも持っていない。

 話がそれたが、沙羅との出会いを通して4人に会うことになった後、つくるは大学時代の灰田という男のことを思い出す。灰田。ミスター・グレイ。僕は登場人物の中では灰田が一番好印象だった。つくるはプールに通って1500kmを30分ほどかけて泳ぐというルーティーンがあった(数値は間違っているかもしれないが)。灰田はそこで知り合った二つ(?)年下の学校も学部も違う男だった。しかし2人は親しくなり、最終的につくるの家で時間を過ごすようになる。好印象だったのは、単に僕が個人的に男同士のそういう関係性に憧れを抱いているからかもしれない。灰田はハンサムで深く思考することが好きだった。そんな彼はつくるにとって次第にかけがえのない存在になっていった。

 さて、つくるには定期的に性夢を見ることがあった。相手は高校生時代のシロとクロだ。2人からの愛撫を受けた後に、つくるが射精するのは決まってシロだった。初めてその描写を読んだとき、僕は別段引くことはなかったが若干の引っかかりはあった。成人男性の思考とは一般的にああなのだろうか。自分も性的興奮を覚えることはあるしわからなくはないが、夢にまで見たことはないためそこは理解に苦しんだ。これが男女の差なのだろうと思うことでとどめておいた。

 さて、話を戻そう。

 灰田はつくるの家で寝泊まりすることがあった。その晩もいつものように灰田はつくるの家へ泊まっていった。そして灰田の父の話を語る。灰田の父が大学生の頃の話だ。その話の内容はここでは割愛する。

 その晩、つくるは性夢を見た。その夢にはいつものように2人が出てきたが、いつもの夢とは違っていた。つくるが達したとき、それを受け止めていたのは灰田の口だった。灰田はその夢の中でつくるの精子を飲み込んだ。

 その描写を読んで、「つくるは同性愛者だったのか?」という考えが頭をよぎった。しかし彼は沙羅という彼女がいて、その前にも2人ほどの他の女性とも関係を持っていたという描写をすでに読んでいた。その答えは読み進めれば書いてあった。彼は他の女性を抱くことで2人の性夢と灰田の唇を忘れることができた。マスターベーションも控えていたとあった。正直、性的なことは僕にはまだわからない。ここでこんなことまで赤裸々に書く必要はないだろうが、僕にはそういった経験がまだないし他人を渇望するほど愛したこともまだない。男女の友情は存在すると思っている派だし、友情と愛情に差があるのかもよくわからない。灰田は最終的につくるの元を離れ、本の最後まで連絡も取れず登場することはなかった。それが僕にはとても残念に感じた。できればつくるの灰田への感情へ名前をつけてほしかったし、それを聞いた灰田のリアクションも見てみたかった。三十六歳のつくるがプールで灰田によく似た泳ぎ方の青年を見つけたとき、結局他人だったが声をかけなかった彼に物足りなさを感じたくらいだ。しかしそこで声をかけないのが彼なのだろうとも同時に思った。実際、赤の他人に、しかもプールで声をかけるという行為はなかなかに非現実的でもある。

 4人の友人と会っているつくるに対しては、特筆するような感想は抱かなかった。もちろんその間の描写もとても魅力的だったし興味深いものだった。これは原作を読んだ人には共感してもらえるだろう。強いていうなら、つくるがクロ改めエリの乳房に生きるエネルギーを感じていたところが印象的だった。僕も確かに女性の乳房に魅力を感じることはあるが、そこにエネルギーを見たことがなかったからだ。そこもやはり男女の差だろうか。もし読者に男性がいればそこのあたりを教えていただきたいものだ。

 4人との再会を果たしたつくるがフィンランドから帰宅して、再び沙羅と出会う水曜日の前日の夜で物語は終わる。紙の本の残念でもありいいところでもあると思うのだが、読みながら残りページが把握できる。後数ページしか残っていないのに水曜日になる気配がない。もしかしたらと期待して読んでいたが、二人は会わずにこの本は終わるのだろうということは想像に難くなかった。灰田の登場の余地がないことも、悲しく思いながら読んでいた。僕の想像では、中年の男性は沙羅の親戚か仕事仲間だったのではないかというところだ。二人は難なく男女の関係を続け、結婚するのではないだろうかと思っている。これに関しては確認のしようがないため残念だが、物語のいいところはそういう余韻の存在でもある。後日談がある作品は、それはそれで面白いし、後書きも何もない作品は、それはそれで良さがある。読者にすべてを委ねてくれる感じは物足りなさもあるが、物語はそのくらいが丁度いいだろう。

 作品自体には関係ないが僕が興味を持ったエピソードとして、多指症という存在を初めて知ったことも書いておく。別にだからといって何ということもないが、世の中には僕の知らないことがまだまだ多くあるなと改めて思った。信長の親指が本当に二本あったのかどうか、まだ調べてみてはないがそうだったらなんとなく面白い。

 最後に、この本は僕にとっては今月に入ってから二冊目の小説だった。一冊目は朝井リョウの「桐島、部活やめるってよ・集英社」だ。ちなみに先月は恒川光太郎の秋の牢獄を読んだ。個人的な話だが、高校時代には部活や勉強が忙しく(実際にはスマホに時間をとられたことも大きいが)、三年間を通して片手に収まるほどしか本を自分から読むことをしなかった。読書を再開して強く感じたのは、やはり小説を読むことは素晴らしく有意義だということだ。僕の知識の四分の一ほどは今まで読んできた小説で形成されていると言っても過言ではない(皮肉なことに、残りの四分の一は中退して苦痛な思い出が多く残った高校時代の部活を通した経験から成り立っている)。読書から離れたことで集中力は低下したし、何かを深く考えることもあまりなかった。部活のことや自分の生き様について考えることは嫌と言っていいほどあったが(笑)。

 若干話がそれたが、なぜこの読書感想文的なものがこの作品からだったのかというと、単純に僕の持ち時間の関係である。本来なら「桐島(以下略)」の感想文的なものも書きたかったのだが、何分これを書くのにすら小一時間ほどかけている。もっとかもしれない。僕はかなり遅筆な方だと心得ているし、勉強が本業の学生だ。こういった感想文はこれからも書いていきたいと考えているが更新速度は亀級のろまだろう。

 感想文にしては長すぎるくらいかもしれないが(相場を知らないのでなんともいえないが)、書きたいことはあらかた書けて満足したし、腹が減ってきたため(夕飯がまだなのだ)この辺で終わらせてもらう。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。どのくらいそんな方がいるかはわかりませんが、つたない文章ながら自分の考えを少しでも多くの人に共有していただけたらうれしい限りです。きっとここまで読んでくれた方は心優しいかよっぽどの変わり者(何気に失礼←)なのだろうと存じます。最後の最後にお願いを申し上げます。数行、否、二言三言でもかまわないので感想を残していっていただけると大変うれしいです。そのための場として活用したいと考えてこのサイトにアップした節もあります。同意、反論、何でもかまいません。この作品を他人が読んだとき、何を感じていたのかを聞いてみたいのです。もし時間があるようでしたら感想だけでも残していってください。改めて、読んでいただき本当にありがとうございました。またの機会がありましたら、そのときはまたよろしくお願い致します!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ