92 リリアさんからの手紙
「初めまして。葵 千波矢といいます。よろしくお願いします。」
俺は本日二度目の自己紹介をしている。どうしてこうなった?喉は緊張してカラカラである。
アンの実家の宿屋に着くと、母親は笑顔で出迎えてくれた。アンと同じ赤毛で小柄な女性だ。非情によく似ているが、母親の方が少し胸が大きく全体的に丸みを帯びている。そして、肝っ玉お母さん、といった雰囲気を醸し出している。
そして奥の一室に通されると、アンのご両親と向かい合うように座らされた。アンは隣に座った。そして、現在に至る。
父親は相変わらずしかめっ面をしている。母親はニコニコしながら微笑ましそうに俺達二人を見つめている。
「私はマーサよ。よろしくね。で、こっちでムスッとしているのが、マスクデスよ。」
マスクデスさんは「俺はよろしくじゃねえ。」と呟いて、マーサさんに横腹を突かれている。あそこはさっきアンに貫かれたところだ。マスクデスさんは悶絶している。「大げさなんだから。」とマーサさんは言っているが、事情を知っているアンは横で苦笑いをしている。
「で、聞きたいんだけど、神官になるって家を出たはずよね。どうして帰ってきてるの?」
マーサさんはアンに尋ねる。その表情はちょっと厳しいものに変わっていた。
「それは・・・。」
アンは返答に窮して俺の方を向く。「どうしましょうか」といった顔でこちらを見ている。俺が転移者であることを知らせていいか思案しているようだ。別に秘密にしているわけではない。俺が頷くと、アンはマーサに説明を始めた。流石に魔王とか勇者の話はしなかった。
「事情はよく分かったわ。転移者のお世話ね・・・。」
マーサさんは俺とアンを交互に見て何か満足そうに頷く。そういえば、マスクデスさんは静かだな、と思って彼の方を向くと俺をじっと睨んでいる。ただ、何かしゃべるとマーサさんに叱られるので黙っているようだ。
「そうだ。先輩のリリアさんから手紙を預かってたんだった。」
そういうとアンはマーサに手紙を渡す。リリアさんからの手紙・・・。何か嫌な予感がする。
「アン。いい人と知り合えたみたいね。事情はよーく分かったわ。」
手紙を読み終えたマーサはアンを呼び寄せて抱きしめた。アンも恥ずかしそうにしながらも、マーサを抱き返した。
「さあ、アン。千波矢さんを3階の部屋にご案内して。その後は調理場にすぐ来ること。千波矢さんはお部屋でゆっくりしていていくださいね。」
マーサさんはどうやら仕事モードに入ったようだ。テキパキと周りに指示を出していく。それにしても手紙には何が書かれていたのだろう。手紙を読んで、俺を見る目が何か変わった気がする。マーサさんはマスクデスさんを引っ張り仕事に戻っていく。「俺はまだ納得していない」などと愚痴っていたが、マーサさんは完全に無視している。アンは「こちらへ」と俺を部屋に案内してくれた。




