105 彼を支えるために
あの時、突然千波矢さんが泣き出すと意識を失った。私はとてもびっくりし、混乱した。慌てて彼に近寄り強くゆすっていた。私は完全に取り乱していた。その点、お母さんは冷静だった。私を千波矢さんから引き離すと、すぐにお父さんを呼んだ。そして、お父さんに千波矢さんを彼の部屋のベットに運ぶように頼んでいた。お父さんは頷くと優しく千波矢さんを抱きかかえると千波矢さんの部屋に運んで行く。流石お母さんだ。見習わないよ。
「アン。ちょっと聞きたいことがあるから来なさい。」
お母さんの顔はとても真剣だった。私はお母さんの後をついて行き、お母さんの自室に行った。何を聞きたいのだろう。
「アン。千波矢さんのことを聞きたいんだけど、彼は転移者だって言ってたわよね。」
「うん、そうよ。」
「ねえ、彼はあなたに転生前のことを話したことがある?特に家族や友人のこととか。」
転生前の事?そういえば、ほとんど聞いたことがない。「魔法の使えない世界に居た」とか、「モンスターのいない平和な世界だ」とかは聞いているが、彼や彼の周辺についてはほとんど聞いたことがない気がする。「食堂で働いたことがある」とか「学校というところで勉強していた。」とかは聞いたが、家族や友達の話は出てきたことがない。
「そういえば、千波矢さん、あまり自分のことを話さないですね。」
私はお母さんに千波矢さんのことを伝えると、お母さんは目を閉じて何かを考え込んだ。しばらくすると、お母さんは目を開いた。その目は悲しそうな目をしていた。
「ねえ、アン。これはお母さんの推測なんだけど、彼は自分のことを話さなかったんじゃなくて、話せなかったのかもしれないわ。」
お母さんの言うことを私はすぐには理解できなかった。どういうことなんだろう。
「あのね。ヒトは受け入れられない現実から目を背けようとすることがあるの。彼は転移してこの世界に来たんでしょ。つまり、元の世界にいるご両親や友達とはもう会えないってことじゃないかしら。」
お母さんの言葉を聞いて私はハッとした。お母さんの言う通りだ。なら、千波矢さんが泣き崩れて気を失ったのは・・・。私の顔が青くなる。想像通りなら千波矢さんは、今、深い悲しみと戦っているからだ。
「たぶん、アンの思っているとおりよ。彼は泣き出す前に『家族ともう会えないんだ』って言ったのよ。おそらく彼は今悲しみに押しつぶされようとしているわ。あなたは彼を支えてあげなさい。」
私は頷くと千波矢さんの部屋に向かった。彼を支えるために。




