ピーチパイ
家のなかに入ると、ピーチパイの匂いはよりいっそう強まった。
家のなかはどちらかと言えば都会育ちのウェンデルにとっては、珍しい作りだった。部屋と部屋は仕切られておらず、入り口から1番奥の寝室まで3部屋ほどが全て見渡せる。調度品は全て木製で温かみのある色がつけられている。
ウェンデルは自然と玄関からすぐのリビングにある手作りっぽいテーブルと2脚の椅子の片方に座った。
メアリは、寝室とリビングの間にあるキッチンで、出来立てのピーチパイを切り分けながら、ハーブティーを淹れるための湯を沸かしていた。
「苦手なハーブはある?全部自分で育ててるんだけど。」
そう言いながら、2つの皿にのせられた2切れのピーチパイをウェンデルのもとへ運ぶ。
「え、えぇと。僕、正直言うとハーブティーはあまり飲んだことがなくて。」
ウェンデルの心はすっかりピーチパイに惹き付けられて、ほんの少し上の空だ。
「そっか、じゃあ、あまり癖のないものを淹れるわね。」
メアリはピーチパイを食べるためのフォークとナイフをガサゴソ探した。そうして、ナイフとフォークを持ってくると、次は棚からハーブを何種類も取り出して、ティーポットに入れていく。
ウェンデルは早くピーチパイを食べたかったが、メアリが来るまで我慢した。きっと母さんがいたら、待ってなさいと念を押されるところだ。
メアリの後ろ姿を見つめていると、服がウェンデルの工場で作られた市販品と違って、簡素で地味な作りだとわかった。
「その服は自分で作ったの?」
メアリは後ろ向きのまま答える。
「そうだよ、他の服もほとんど自分で作ったわ。母さんが作ってくれたのもあるけれど。」
それから、メアリは湯を注いだティーポットとティーカップを2つ、トレイにのせて運んでくると、それをテーブルの真ん中に置いて、席についた。
「どうぞ、ハーブティーはあと3分ってとこね。」
ウェンデルは、できるだけ急いでナイフとフォークを持ちたかったが、落ち着いた振りをして、ゆっくり手にとって、そっとピーチパイにフォークを刺した。ナイフでサクリと切れ目を入れて、フォークで持ち上げて、そっと口に運ぶ。
「お、美味しい...。」
ピーチパイは甘いのにしつこくなくて、おやつにちょうどいい。なんと言ってもパイ生地はサクサクで、母さんが機嫌の良いときに作るパイとは全然違う。
「ありがとう。」
フフフ、とメアリは笑って、自分もパイを食べだした。
「普段は自分1人でしか食べないから、とっても嬉しいわ。」
ウェンデルの二口目が刺さったフォークを眺めながら、メアリは言った。
「うん、これは、本当に美味しいよ。」
言いながら待ちきれずに、二口目を食べる。
「こんなに美味しいピーチパイの作り方を誰に教わったの?お母さん?」
ウェンデルはお世辞でも何でもなく心の底から感心した。
「大抵のことは母さんに教わったの。母さんは病気で。」
メアリはそこで言葉を区切った。
「そうなんだ。」
言いながら、ウェンデルは次々にピーチパイを口に運んで、ハーブティーが出来上がるより早く、その1切れを食べ終わった。
それからメアリは、ゆっくりとハーブティーをティーカップに注いで、
「もう1切れ食べる?」
と聞いた。
ウェンデルは
「もちろん!」
と頷いて、メアリがパイを切り分ける間に恐る恐るハーブティーを飲んだ。
ハーブティーは、苦くなくて、思っていたより美味しい。鼻に抜ける爽快感がある。
「このハーブティーもすごく美味しい!」
そう言うとメアリは、ウェンデルに背を向けたまま
「でしょう?」
と返事をして、それから、2切れ目をテーブルに置くと、エプロンを外して、席についた。
「ねぇ、私のことで、気になることがあるんじゃない?」
メアリはテーブルに両肘をついて、顔の前で手を組んだ。そして気まずそうに顔をしかめる。
「へ?」
口に入れたパイの欠片を飲み込んで、メアリを見つめて、そういえば、と思い出す。
「たしかに、気になることはあるけど、それよりピーチパイが重要っていうか。いや、それってすごく失礼だな、そうじゃなくて、」
しどろもどろに言い訳し続けると、メアリは笑った。
「いいの、いいのよ。みんな、私の...目のことを1番気にかけるから、ピーチパイの方が重要だなんて初めて言われたわ。それってすごく、嬉しいかも。」
メアリが歯を見せて、大きく笑うので、言い訳の途中で、ウェンデルも笑った。
「違うんだよ、別に僕は特別食い意地が張ってるって訳じゃなくて、このピーチパイは本当に美味しいし、それに匂いも最高だから、僕ピーチパイが好物になったよ。」
「そうなの?なら、次来たときもピーチパイをご馳走するわ。」
そう言うとメアリはハーブティーを飲んで、笑顔を消した。
「そろそろ帰った方がいいわ、これ以上いると森の中で夜が来ちゃうわよ。」
そう言って立ち上がって、説明を始める。
「うちの裏手からまっすぐ行けば街へ出られるよ。私が時々通るから下生えに道ができてるはず、薄いからよく見てね。」
そう言われてウェンデルも慌てて立ち上がった。
「わかったよ、ありがとう。」
メアリはまた笑顔になった。
「天気が良い日にまた来てよ。明日でも。」
「もちろんまた来るよ。」
ウェンデルは新しい友達が出来たことが嬉しくて、笑顔で手を振って、家に帰った。