第6話
人の視線に気づいた彼が後ろを振り向いた。家の中から出てこようとするネデルを見つけ、唇を上げる。
『帰ったのか』
『はい、カレブ様』
岩についていた手で体を押し上げ、カレブは地面に両足をついた。機嫌はよさそうだった。
『長老の方々とご一緒だと聞いたのですが・・・?』
『もう帰った。穀物の出来が悪いとこぼしにきただけだ。ふん、まるで俺のせいだと言わんばかりに』
言うほどには彼は怒っていないようだった。外に出て来ようとするネデルを手で押しとどめ、彼は屋内に入ろうと歩いてくる。彼を待って、ネデルは一緒に中へと戻った。
『奥様にお会いしてきました』
『ふーん』
興味もなさそうにカレブは返事をする。
『お元気そうでした。出産まではまだ日があるようですね』
カレブはネデルをちらっと見たが、何の返事もしない。
彼の目の位置はネデルの頭のてっぺんだ。2人は並んで狭い通路を無言で歩き、カレブの普段過ごす居室へと歩みをすすめる。
カレブは寡黙ではないが、目的や用事がないと話をしない。時々、彼との沈黙が苦しくなることもないわけでもないが、家族の騒々しさに辟易しているネデルにはそれもちょうどよかった。
居室には火がともされ、他のどの部屋よりも明るかった。1年を通して寒い気候になる地域ではないが、日が暮れると気温がそれなりに下がり、室内はとりわけ涼しくなる。これらの火は照明だけでなく、暖房の役目も果たす。
一番大きい椅子に、カレブは体を投げ出すようにして身を沈めた。その向かいの床にネデルはあぐらをかいて座る。子どものようにカレブは手足を伸ばし、大きなあくびを声に出した。
『お疲れのようですね、薬師を呼びましょうか?』
薬師とは体のコリや痛みを和らげるマッサージ師だ。カレブは天井を見たまま、ぶっきらぼうに答えた。
『いらん。疲れてはいない』
その後、カレブが目を閉じてしまったのでネデルは口をきくのを控えた。眠ってしまったのだと思った。
しばらく主人の動きを待っていた彼だったが、カレブがなかなか目を開けなかったので、あきらめてその場からそっと立ち上がった。睡眠の邪魔をしないよう、音をたてないように慎重に足を踏み出したネデルだったが、後ろで物音を聞いて振り返った。
『ネデル?』
体を椅子に投げ出した格好のまま、カレブが顔だけを彼に向けていた。
『起こしてしまいましたか?今、カレブ様の邪魔をしないようにと帰ろうとして・・・』
『儀式の準備は順調か?』
ネデルの言葉など耳に入っていないかのように、カレブが真顔で尋ねた。瞳の奥が燃えているような鋭い彼の目はいつものことだが、その目で見られると、何だか落ち着かない。ネデルは首を縦にふった。
『ええ、全て順調ですよ。貢ぎ物もあと数日で揃います』
『必要な人数は“狩れた”のか?』
『はい。問題ありません』
牢にいるマーシャの存在を思い出した自分の動揺が声ににじみ出ないよう、ネデルは必死にこらえた。
あの存在が知られてはならない。異形のあの人間が“女”などと、わかってはならない。
興味をひかれた族長が、神への貢ぎ物である“女”に手を出しかねない。
それだけは絶対に避けねば。
カレブが眠そうに、天井にむかって大きく長いため息をついた。ネデルは他の話題に移るべく、身を乗り出す。
『カレブ様、グルージの民の事ですが・・』
『ネデル、白い民がいたとは本当か?』
『はっ??』
ネデルの目の前で、カレブがはずみをつけて椅子の上に体を起こした。
カレブの目の奥が冷めている。
ネデルは身構えた。
『捕虜の中に我々と異なる者がいたと聞いた。おまえが狩ったそうだな?何がどう違うんだ?なぜ、俺に言わない?』
ネデルは口さがない誰かの軽率な告げ口にかっとなった。
こうなることを怖れて皆に黙るように言ったのに!
彼は焦った。
どうやって主人の気をそらそうか、あれこれと考えを巡らせる。