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第57話

 風が完全な雨風になり、柵に据付けられているかがり火の炎が強風で激しく揺れた。空を見上げたマーシャの目にも、真っ暗な雨雲が西の空から滑り込むように侵入してくるのが見えた。

 ――私、こんなところで死んでしまうの?

 縄につながれたマーシャが地面にかがみ、彼女の前で地面にひれ伏す男たちが祈っている手に手をそっと伸ばして触れた。マーシャの手の感触に男がおずおずと顔をあげると、彼女はにっこりと微笑んだ。

『ありがとう。神はいつもおまえと一緒だ』

『おお? なんというお優しき言葉を! 我らが女神様!』

 人々の間に妙などよめきが起き、彼女の行為に腹を立てたネデルが彼女の縄をぐいっと引いたのでマーシャは後ろにひっくり返りそうになった。

『女神様!?』

 男がバランスをくずした彼女に駆け寄ろうとすると、急にとんでもない突風が巻き起こり、西側の両角にあったかがり火が一気に消えて会場がさっと暗くなった。

『女神を返せと神がお怒りだわ!!』

 どこかの女が叫び、周囲はあっという間に人々の悲鳴とわめき声で錯乱状態に陥った。


『何だ、どうしたのだ?』

 最前列の長老たちは、式場の遠方で起きた小さな騒ぎが群集の全体を巻き込んで大混乱と化していくのを、その理由がわからずに面食らっていた。

 群集より高い場所にいるヨーダは状況こそわからなかったが、儀式を余儀なく中断させる人々の混乱ぶりと、迫りくる西の暗い空を見上げ、焦燥感で心がかき乱された。

『落ち着け! 皆、落ち着けというに!』

 何度も群集に呼びかけたが、大勢の声にかき消され、神経が異常に高ぶった人々の耳にはヨーダの声は届かなかった。


 ネデルは縄の先にマーシャがまだ繋がっているのを確認した。マーシャは地面に体を起こし、人々の足に踏まれないようにと周囲をきょろきょろとしていた。どさくさに紛れて人々に彼女を取り上げられないかと気が気ではなかったが、混乱した人々は自分たちの事しか考えていないようで、泣き出して叫ぶか嘆くか、外へと続く式場の門へ押し寄せて行くかだった。入口では、護り番たちが流出しようとする人々を門扉で押し戻すのに必死になっていた。

『待て、行くな! 皆のもの、落ち着くのじゃ!』

 ネデルはヨーダがピラミッドの頂上に登って群衆に叫ぶのを見たが、効果はなさそうだった。彼女は何回も空を見上げ、髪をかきむしって何かを口走っている。

『何があったのじゃ! 儀式はこれからだというに! 皆、戻らんか!』

 上へ下へと大騒ぎする群集の中で、ネデルは立ち上がってヨーダの方に視線を送った。彼の視線を感じて自分に気づいてくれると信じて。

 彼女はピラミッドを降り、そこでも人々にむなしく訴えていたがあきらめ、再度ピラミッドの上に戻った。彼女はイライラして幾度も西の空を見上げ、とても焦って困っている様子だった。彼女は髪をかきむしり続け、そして、ネデルの送り続けていた視線にようやく気づいた。

『ご指示を!』

 彼はあえて声に出さず、唇の動きを大きくして彼女に言葉を読ませた。最初こそヨーダは彼の意図に気づかずに怪訝に彼を見ていたが、すぐにハッとなり、ちょっと何かを考える仕草をして、ピラミッドの天辺で燃えるかがり火の炎を手で指し示した。

『かがり火を戻すのじゃ!』

 ネデルは彼女の希望を理解し、マーシャを人の波から守っていた族長宅の護り番に言った。

『ここはいい。消えた火を点けてこい!』

 ネデルの指令を聞き、男は静かにその場を去った。


 それまで暗かった式場が急にぱっと明るくなると、蜂の巣をつついたように大騒ぎをしていた人々がその動きをぴたっと止めた。ネデルの機転により、風に消えたかがり火の炎が点け直されたのだ。

 人々の沈黙を取り返した式場に、すかさず、ヨーダのきびしい声が飛んだ。『儀式を再開する! 生け贄をこれへ!』


 けれども、マーシャの神秘性を感じ、生け贄としての妥当性に一度疑いをかけた人々は、ネデルたちの前からすぐにはどかなかった。人の輪は彼に攻撃的ではなかったが、幾重にもなって彼の行く手を阻んでいた。

『おまえたちは神聖な儀式の邪魔をする気か!? 早く通せ!』

 不機嫌で不審そうな面々がネデルを見つめる。

 村の重要な儀式にこれだけ貢献しているというのに、一族からそんな扱いをされるのが、彼はまったく我慢ならない。

『邪魔をするな! どけと言っているだろう!』

 彼は前に立つ者たちを次々に振り払い、マーシャの体の綱を引き、不本意にのろのろとしたペースで前に進んだ。

『道をあけろ!』

 馬鹿な者どもめ! この異人が生け贄としてどれほど特別なのか、おまえたちにはちっともわからないのだ!

『何をしておる! 生け贄を早く連れてまいれ!』

 彼が必死の苦労をいとわないで彼女の為に働いているのに、ヨーダが高台でネデルに激を飛ばした。彼女を見ると、今までにないほどに形相が醜く変わり、高台の上を何度も行ったり来たりして、おそろしいほどに焦っている。

『何をやっておるのじゃ! 早くせんか!』

 尊敬するヨーダに怒りさえ感じ、彼は人垣を何とか縫って進もうとした。マーシャはあきらめたのか抵抗もせずについてくるものの、彼女が人々の横をすり抜ける度に一族の無礼な振舞いに対する赦しを乞う声がたち、祈りの言葉がマーシャと共に移動する。ネデルは煙たがられているのに、だ。

 なんということ、この異人は族長だけに飽き足らず、村人どもの心をもからめとっている。

『ネデル! 遅いぞ、いつまでも何をしておる!』

 いつになく冷静さを失ったヨーダが名指しで彼を一族の前で非難した。度を越した焦燥感ただよう彼女の様子に、長老たちでさえも彼女を気味悪がる態度を見せ、当人のネデルにいたっては、大勢の前で恥をかかされたことで恥ずかしさと憤怒で頭がいっぱいになっていた。

 彼は精一杯やっているつもりだった。

 主人の族長を追いやってまで神聖な儀式に貢献することを選び、ヨーダに忠誠を誓って働いている。

 ――そこまで言うなら、自分でこの女を取りに来ればいいのだ・・・・・・!

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