第52話
『カレブ様、なんとひどい事をなさる!』
ネデルが悲痛な声をあげて抗議すると、痛む肩をおさえながらヨーダがそれをたしなめた。
『よい、ネデル。わしにケガはない、大丈夫じゃ。族長を責めるでない。言ったじゃろ、今の族長は悪霊に惑わされておいでだ』
『俺は正気だ! おまえがインチキだというのも、俺があの女を愛しているというのも、全て本当だ!』
ヨーダは目を伏せ、カレブの言葉が聞こえない振りをした。そして、ネデルにこっそりと耳打ちした。
『ネデル、族長は儀式には出せぬ。どこかに隔離せねば』
『わかっています』
ネデルは彼女の囁きにそっと目配せして同意を示した。
彼女を無事に送り出したネデルがカレブに振り向いた。
『カレブ様には儀式の間、退いていていただきます』
カレブのあまりの眼力にネデルが一瞬ひるんだ。
『俺はここから動かない』
カレブは麻袋に視線をやり、口惜しそうに唇をかみしめて地面を何度も蹴った。
『ここにずっといるとおっしゃるなら、それでも結構です。』
カレブはずっと唇を震わせながら、マーシャの入れられている茶色い袋を哀しい目で見つめていた。彼を見る男たちの表情に同情のような哀れみが浮かんでいた。
『ネデル』
ネデルが顎を上げ、カレブに向いた。
『おまえがどうしてもヨーダに特別な贈り物をしたいと言うなら、マーシャでなく・・・・・・この俺を使え』
『ええ?』
『俺はここの族長だ、特別に値する。その代わり、彼女の命は取るな』
『何をおっしゃるのですか! そんな事をしてどうするのです!』
『・・・・・・マーシャは生きられるだろう』
体の底から搾り出されるようなカレブの声を聞いたネデルにひどく焦った表情が見えた。
『そんな、族長をあんな者の身代わりになどできるはずもありません!』
『頼む!』
カレブが頭を下げたことでネデルはさらに仰天していた。
『お止めください、カレブ様! 私にはできません!』
『それならばいっそ、俺も一緒に殺せ・・・・・・!』
カレブは息をするのも辛そうに何度も肩を大きく上下させて、涙のたまった瞳を隠しもせずにネデルに差し向けた。
ネデルは怖ろしかった。族長の想いに心を動かされた男たちが檻の中の捕虜をどうにかして捕まえ、マーシャの代わりに最初の犠牲者として差し出してやる図まで脳裏に浮かんできた。
彼は、あの水の色を瞳に持った女をヨーダに、儀式に、捧げたいのだ。族長にいらぬ悪影響を与え、ヨーダの立場を危うくさせるような存在は、彼にも一族にも必要なかった。
『そのような事、できるわけがない!』
ネデルは大声で叫ぶと、奮起して、次の指示を与えるためにカレブから離れた。
『早く族長をお連れしろ! おまえたちが儀式に遅れてしまうぞ!』
ネデルと目の合った男が戸惑って、尋ねた。
『どちらへお連れしましょう?』
『ネデル、やめろ』
カレブが穏やかながら押し迫った声で言ったが、ネデルは無視した。
『「生娘の間」がいい。あそこなら今、空いている』
『ネデル、聞け。・・・・・・聞いてくれ!』
憎しみの込められた冷たいカレブの視線を避け、ネデルは牢小屋の守り番を呼びつけて、“生娘の間”の小屋の鍵を差し出させた。
『儀式が終わるまで開けるんじゃない。扉の鍵を閉めたら、おまえたちはすぐに式場へ戻ってくるんだ。いいな?』
『ネデル、俺は行かない! おまえたちの誰にも、彼女には指一本たりとも触れさせない!』
ネデルは主人の声を必死に無視し、彼らの前から急いで去った。カレブの抵抗する気はいがして、男たちともみ合っている音が彼の耳にも届いた。
『待て、ネデル! やめろっ・・・・・・彼女を放せ! 放せと言っているんだ!』
『族長、どうかお静かに!』
『嫌だ、マーシャを残して行けるか! マーシャ! 聞こえるか? 俺だ、マーシャ!』
ネデルの視線の先で、麻袋がさっきより大きく動き出した。近くにいた者が駆け寄って、袋をあわてて押さえる。
『マーシャ! 俺だ、マーシャ!』
『族長、どうかおとなしく!』
『俺に触るな! 彼女を放せ!』
三人の男はカレブに手こずり、結局彼の体を全員で抱えるはめになった。
『やめろ、俺を降ろせ! 頼む、彼女を放してやってくれ! できないのなら、俺をいっそ、おまえたちの手で殺せ! マーシャ? マーシャ! 嫌だ・・・・・・放せ・・・・・・!!』
絶叫とも言えるカレブの大声に祈祷所の庭にいた者たち、捕虜にいたるまでの全員が、門の外に出ていった一行に振り向かされた。祈祷所の建物の陰にいたネデルはガタガタと震えて止まらない手足を触り、これが族長自身だけでなく村全体にとって良いのだとあらためて自分に言い聞かせ、心を落ち着けようと必死に努めるのだった。