第5話
女たちが夕食の準備をし始め、ネデルはここ1ヶ月の日課となった、族長の身重の妻が住む居宅への訪問に出かけた。族長が父親だと囁かれる子どもは村に2人ほどいたが、彼にとっては、初めての正式な子どもとなる。
一族の女たちが妊娠してお腹が大きくせり出す時期は、夫から離れて「妊婦の家」で出産までの日々を待つのが慣例となっている。「妊婦の家」に妻たちが滞在するこの時期は夫と妻の直接的な接触は禁止されていて、族長の代わりにネデルが族長の妻の様子を確認することとなっていた。
助産婦、乳母、何人かの女たちが詰める家で、他の2人の妊婦とともに、族長の妻は何から何まで世話を焼かれていた。出産は近づいているが、急を要するわけではないそうだ。
族長の妻は、腹部分だけが丸くふくらんだだけの痩せた体を重そうに長いすに横たえていた。丸々とした顔に赤い厚い唇をした彼女は美人に分類される器量ではなく、前族長にそっくりだ。カレブは、亡くなった前族長の残したひとり娘の選ばれし婿だ。
ネデルが来るやいなや、彼女が大音量で切れ間ない話をし始めた。彼女は自由のきかない体ではあるが健康で、室内に閉じこもりきりな毎日に退屈しきっているのだ。こちらの都合など全然お構いなしだ。
女のおしゃべりは母と妻でなれている彼は、関心をもって聞いているふりをして上手に聞き流す。
ひととおりに話終わって満足したらしい彼女は自分の話が一息つくと、夫の近況を一言も尋ねることなく、もう用はないというように彼をさっさと解放した。義務的に訪問を重ねているネデルにも、それで助かっていた。
「妊婦の家」をあとにしたネデルは、その足で族長の自宅に向かった。朝と夕方の二度、彼は主人に顔を見せる。
あちこちの家から夕食の支度をする白い煙がたちのぼり、様々な食べ物のにおいが漂ってきた。族長が住む家は人々の家を全部通り過ぎ、集落敷地内の北寄りにある。
「妊婦の家」から集落の敷地をほぼ真横に横切っていった彼は、見慣れた三角屋根が視界にあらわれた時、ついつい身構えてしまった。族長カレブは頭がきれてカンもよく、力も強い。だからこそ、死ぬ前の前族長が一族の男の中から自分の娘の夫に、つまりは未来の後継者にと彼を選んだのだ。
ネデルは彼の族長としての素質を認めてはいたが、勇敢で行動力があるものの、同時に、非常識ともいえる自由で大胆な気質を苦手としていた。
・・・あの異形の者の存在は伏せておかねば。
他の人家と同様に料理の煙が空に向かってあがっていく三角屋根を見つめ、彼は改めて自分に言い聞かせた。
変わった者がいると聞けば族長は興味をひかれて見に行き、行けば、あの者が“女”と判る。それは、絶対に阻止せねば。
マーシャの存在を自分自身さえも忘れてしまえるよう、彼は族長に報告すべき他の話題をぶつぶつと口の中で呟いた。
ネデルが家に現れると、族長の家の前で食事の用意をしていた女たちが口々に挨拶をした。
ネデルが選んだ家事女たち。料理の腕がよく働きもので、決して美しいとはいえない女たちだ。夫の気に入るような女を含めなかったネデルの選択に、族長の妻は夫がいない所でひそかに彼を讃えた。
『カレブ様は?』
『さっき、裏で長老たちと話しているのを見かけましたよ』
女の1人が答え、ネデルはうす暗い家の中へ入っていった。
通路の先の居室には誰もいなかった。それを左手にみながら、彼は裏の出口に通じる道を歩く。
長老たちの姿はもう消えていた。
カレブは家の裏に置かれた一枚岩の台に、他の者ならば着きはしない地面に片足をつき、別の足を台の上に投げ出して左右にごろごろと動かしながら座っていた。
彼は他の者たちにくらべて、体の割には手足が長く、背も少し高い。数ヶ月前の転落事故で、大したケガは負わなかったが長髪の半分を切り取るはめになり、やっと肩まで伸びた彼の黒髪が、風に吹かれてなびいていた。
涼しい風の通り抜ける場で夕食までのひと時をやり過ごす気なのだろう。
陽光をうけた頭髪は、光に透けて茶色に見えた。
やっと、族長カレブが登場
この人、本編でも意外にキー・キャラです