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第44話

 日没がせまり、族長宅の東側に大きな影が伸びていた。

 夕食の用意を整え終わったのか、召使たちの姿はもう庭にはなく、玄関前には族長を守るべき護り番の姿も見えなかった。

『のん気で怠慢な者どもめ!』

 使用人たちに腹を立てつつ、ネデルは家の左側にある、家事部屋の開きっぱなしの扉に寄っていった。そこからは室内の明かりがもれていた。

『――私は族長を責めやしないわ。なんたってあんな奥様をお持ちよ、同情するわ』

 扉の中から漏れてきた召使の周りをはばかる小声に、ネデルは咄嗟に扉横の壁に身をひそめた。女は扉にほど近いところで話しているらしく、小声にもかかわらず、ネデルのいる所でも内容がはっきりと聞き取れるくらいだった。

 彼が息をひそめていると、すぐに別の声が続いた。

『そりゃあ、私もそう思うわよ! 族長のあの笑い顔を見た? 族長があんなにお幸せそうなのは本当に初めてよ。・・・・・・だけど奥様はそのうち戻ってこられるのよ、そんなに先の話じゃないわ。そうしたら、族長はあの女をどうなさるおつもりかしら』

 なんだって? 族長が幸せそう? あの女、とは誰のことだ?

 息をのみそうになり、ネデルは自分の口を両手で急いでふさいだ。彼は、彼女たちの会話を一言も聞きのがさまいとさらに耳を近づけた。

『そうよねえ、どこかの家に住まわせるおつもりかしら? でも、奥様に知れたらただじゃすまないわね。きっと、彼女は殺されるわよ』

『ええ、奥様ならやりそうだわ。でも、族長はあの女に首ったけよ、そんなことさせやしないわ。ああ、族長をそこまでさせるなんて、どんな女なのかしらねえ? 顔を一度見てみたいわ・・・・・・』


 彼女の目の前にいた女が顔をこわばらせて口を押さえた。不意に、うっとりした表情を浮かべる女の首に冷ややかな物があてられた。

『え・・・・・・?』

 不審に思った女が顔を左側へ動かして冷たい何かを確認しようとすると、彼女の耳元に生温かい風が吹きかけられた。『ひゃっ!?』

 女の首に腕をからめて押さえ、ネデルがその首にナイフの刃を当てながら二人を交互ににらみつけていた。

『ネデル様!』ネデルの息が女の耳にかかり、彼女の体は硬直した。

 向かいの女が全身を音が鳴りそうなほどに震わせ、悲鳴をあげようとして彼の怒りの目に出合って失敗している。ネデルが意地悪そうににやりと笑った。

『そうだ、二人とも、そのまま声をたてるな。声をたてれば、この首を掻っ切るぞ?』

 女たちは震えながら彼に頷き、彼はつかんでいる女の肩を満足そうにぽんと軽くたたいた。

『さあ、今の話をよくわかるように俺にも教えてもらおうか。族長が夢中だという、奥方でない女とは何のことだ?』

『それはあの・・・・・・』

『あの、私たちも実はよく知らな・・・・・・ひいっ?』

 喉元にナイフを食い込ませられた女は目をひん剥き、低いうめき声をあげた。それを目撃した女は絶句し、何かを急いでしゃべろうとしたのだがろれつがまわらず、出てきた言葉は理解不能だった。

『俺の気があまり長くないのは知っているな? 知っていることを全部しゃべれ』

 ネデルはむっとして召使女の首からナイフを離し、その代わりに自分のひじの内側に彼女の首を巻き込むようにして体を拘束した。

『さあ、言わないか!』

 低い小声で彼が怒鳴ると、彼の元にいる女が口を開こうとした。


 だがその前に、ネデルは向かいの召使女の背後にある、配膳されるのを待つばかりの二人分の食事に目がくぎづけになった。

『まさか・・・・・・!』

 彼は呆然とし、その直後には歯をくいしばってこめかみに青筋を立てた。食事に見すえられた彼の目は、真っ赤に血走っている。

『うぉ・・・・・・っ』

 ネデルは腕に抱えた女に加え、向かいの女の腕もむんずとつかみ、二人を引きずりだすようにして家事部屋の外に出した。二人は怯えきってネデルに必死に命乞いをしていたが、彼は彼女たちに家に背を向けて立つように命じたただけだった。

『おまえたち、俺がいいと言うまで声を出さずにここにいるんだ。一歩でも動こうと思ってみろ、即刻、殺してやる!』

 彼女たちは涙を流しながら彼の命令に従うことを誓い、ネデルは最後に二人をじろっと睨みつけると再び家事部屋に戻っていった。開いていた扉は内側からそっと閉められた。


 ネデルは外と断絶された家事部屋の中でぐるぐると歩き回っていた。

『なぜ、俺に愛人のことを黙っていたのだ! 部下であるこの俺に!』

 ネデルは声を出さずにそう言い、土間の床を蹴った。

『女たちが知っているのになぜ俺には知らせない・・・・・・!』

 族長の食事の皿を憎らしそうに見つめ、彼は大声を出しかけて口を覆った。そして、皿から視線をそらさないまま、土間に両膝を落とした。彼が興奮して上下させる肩が治まるまで、彼は少しも動かなかった。

 しばらくたって、ネデルは深呼吸をし、何とか立ち上がった。食事の皿からはあえて目をそらし、家事部屋から屋内の廊下に繋がった扉をゆっくりと静かに開ける。

 扉の正面には控え室があるが、そこにも居室にもひと気はなく、音がしない。彼が耳をすますと、扉を左にいった一番奥にある部屋から流れるように低い声が聞こえてきた。ネデルは天井を見上げてもう一度深呼吸をし、通路を奥へと歩いていった。

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