第40話
彼だって雨が降る際の様子は知っている。
空が暗くなるのは確かで、それを恐れる人々は神が降雨の準備をしていると教えられていた。彼はヨーダの説明を丸ごと信じているわけではないが、かといってそれを真っ向から否定する根拠もなく、マーシャの言い分は突飛すぎて信じがたかった。だが、彼女が嘘をつく理由もない。
彼は動揺をなるべく抑えて、興奮で声がうわずらないように注意して、彼女に確かめた。
『マーシャ、それは本当なのか?』
『本当。空気、濡れている』
そう言って彼女は宙に手を伸ばしてみせ、笑った。
空気が湿っている?
彼らの肌に触れる空気も、一昨日よりはずいぶんと変わっている。いつもの乾燥した空気に慣れたカレブには髪の中や首まわりがうっとうしく、子どもの頃に骨折した痕が鈍く痛む。毎年の儀式以降には時々雨が降り、その度に古傷がうずいたように覚えている。長老たちもこの時期には手足の節々に鈍い痛みを抱えることが多い。
儀式日の前にも古傷がよく痛んでいたのを思い出した彼は、何だかすっきりとせず、心が暗雲に包まれていくのを感じた。
まさか、この湿った空気のせいなのか?
彼女が言う、雨の前兆になる湿った空気?
『マーシャ、俺は混乱している。雨は明日、本当に降るのか? あの雲のせいで?』
『風、同じなら、来る』
『本当に、本当か? そんなばかな・・・・・・』
『風、同じなら、雨、明日、来る。あの雲、雨の雲』
カレブは、山の周りにどんどんと集まってきている灰色の雲を再び見やった。彼女が嘘をついているようには見えない。彼女は無邪気だが賢く、合理的な人間だ。
『もしかして、おまえは・・・・・・おまえの故郷の者は皆、それをわかるのか?』
『故郷? みんな、知っている』
彼女のあっけらかんとした口調がそれを真実だと伝えていた。
彼にはにわかには信じられない内容ではあったが、他でもないマーシャの言葉だ、信じられるように思えた。彼女の理屈が正しいのであれば、それを知る者がそれを基に“雨を予言”することが可能だ。予言という言葉の下で、降雨という自然な現象を神がかりな奇跡に変えられる。
カレブの体中の血がめぐり、全身で脈を打っているかのようにドキドキと波打っていた。
明日、もしも彼女の言うとおりに雨が降れば・・・・・・もし雨が降れば、彼女が正しいことが立証される。
『信じない、カレブ?』
彼の様子がおかしいのを不審に思ったマーシャが彼をのぞきこんだ。彼は驚きを抑えきることができないままに彼女に何とか微笑もうとしたが、不自然な笑いになってしまった。
『信じる?』
彼女が顔をのぞきこむと、彼は小さく頷いた。
『ああ、信じている・・・・・・』
だが、マーシャの目には彼が混乱しまくっているようにしか見えなかった。
その時、家の裏口の奥から召使の押し殺した声がして、カレブはさっと視線をそちらに走らせた。
『何だ?』
『早くお戻りを! 大長老がこちらにやって来るのが見えたそうです』
『わかった』
カレブはマーシャの手を引くと、急いで寝室へと走っていく。ネデルの到着を心配したマーシャだったが彼とは違う来客らしく、カレブはただ彼女にじっとしているようにと告げた。
いまだ治まらない興奮をもてあましつつカレブが面会部屋で待機していると、昨日の話し合いの場を提供した大長老がカレブの前に姿を現した。長いあご髭を落ち着きなくいじりながら、彼は簡単にカレブに挨拶をし、向かいの椅子にそそくさと腰を降ろした。
ネデルが帰宅するまでの時間、暇をもてあまして愚痴をこぼしにきたか。
愚痴を聞いてやる気分ではなかったが、驚愕の事実をじっくりとかみしめる時間にするには、ちょうどよい機会だった。
『これはまた急にどうなされた? 何か問題でも?』
『いや、そうではない』
大長老はあちこちに視線を散らしていて、カレブは嫌でも注意を引き付けられた。
『どうされたのだ?』
『族長、先ほど祈祷所からの連絡が来た』
『祈祷所から?』
カレブの心臓の音がいきなり高くなり、脈が早まった。
『ええ。急ぎの用向きで』
大長老はカレブをすがるように見つめ、言った。
『ヨーダ様が出てきて弟子たちにお告げを出された。今年の儀式は、明日の午前中に行われるそうだ』
ああ!
カレブは口を覆って彼から目をそらした。心臓が下から押し上げられるような感じがした。
ああ、マーシャ! おまえはやはり、正しかったのだ・・・・・・!