第39話
儀式に必要なだけのラズリを採掘してくるため、ネデルが指揮をとって三人の男たちが随行し、その日早々に出発して明夜までに戻る運びとなった。明日に儀式を決行しないのはわかっているが、明日になってその次の日に実施すると告げられる可能性もある。貢ぎ物を持って、儀式に間に合うように戻ってこなくてはならない。
長老たちと一行を見送るカレブから、ネデルはなんだか誇らしげに見つめられている気がしていた。
自分の部下の提案に喜んでいるのか? ネデルは主人の好意を素直に受け取れなかった。
主人カレブはわざと意地悪をするような種類の男ではないが、裏で何も考えていないかといえばそれは疑問だった。今までに何度も真面目な話をかわされて煙に巻かれ、そうかと思えば、率直に自分にわがままや感情をぶつけたりする。彼が族長となってから二年近くも行動を共にするのに、ネデルには未だに彼がつかみきれない。けれども、主人カレブはネデルの性格を正確に把握しているようだ。ネデルにはそれが何だか公平でない気がしている。
ネデル一行の姿が小さくなっていくのを眺めながら、偶然にも一日半の自由時間ができた実感を徐々にかみしめ、カレブの心は躍っていた。
家の者に別の場所で待機させておいて、マーシャを裏庭に出してやろう。あそこならば人の目がなく、玄関に来客があれば家の者に知らせてもらえばいい。外に出られると知れば、彼女はきっと喜ぶ。
彼女の喜び様を想像し、彼の頬がゆるんでいった。
カレブが予想したとおり、ネデルが村を留守にしているので裏庭に出よう、と彼に提案されたマーシャは飛び上がって喜んだ。
『嬉しい!』彼女は叫び、カレブの首に抱きついた。
『おまえが嬉しいと俺も嬉しい』
カレブは自分にすがりつく彼女の体を大事そうに抱きしめた。
カレブが裏庭から護り番を追いやり、召使たちを家の周囲で見張りに立たせ、彼女は何日かぶりの外出を果たして、自然の中に身をおくことを満喫した。空気が若干湿って、涼しくなっている。
久しぶりに空を見上げた彼女は、今までよりも空が低くなってきているのに敏感に気づいた。日差しが和らぎ、季節が変わろうとしている。秋が来るのだろう。
次の日の午前中も二人は裏庭に出向き、秋の気はいが漂う空気を存分に吸い込んで幸福に浸った。カレブは昨日の午後から外出をせずに彼女の側におり、広い空の下でくつろぐマーシャを見ては嬉しそうに微笑んでいる。漂う空気の湿気が昨日より濃くなっていて、東風が吹いていた。空は薄い水色で、村の上には小ぶりの雲がいくつか東に動いていたが、遠くにそびえる山の周囲には縦型の重い雲がまとわりついていた。そこでは雷雨が発生しているかもしれない、とマーシャは思った。風向きが変わらなければ、山の周りに発達しつつある厚い雨雲がこちらにも流れてきて、天気がくずれる可能性がある。
『カレブ』
上機嫌で酒を口に運んでいたカレブがマーシャに振り向いた。
『どうした?』
『明日、雨、来る』
マーシャの言葉にカレブの目が点になった。
『風、同じなら、雨、来る』
『――何だって?』
彼はコップを地面に置き、彼女の隣に急いで体を寄せた。
「あ、私の言うことがわからない? えっと、じゃあね・・・・・・」
『そうじゃない、おまえが言ったことはわかった! そうじゃなくてな』
彼はヨーダの予言を初めて聞いた時のように混乱していた。
“雨が降る”だって??
『いや、その・・・・・・明日、雨が降るというのがなぜわかるんだ?』
『・・・・・・え?』
なんで彼女はこんな反応をする?
マーシャは不審そうな顔をして彼を見返し、彼は自分が愚か者になりさがった思いをした。
だが、彼はその疑問を口にしてみて初めて、それがヨーダのまやかしを暴く糸口になるかもしれない、と不意に感じた。
『マーシャ、言え! なぜ、おまえがそれを知っているんだ!』
興奮した彼は思わず彼女の腕をつかんで、詰め寄った。彼女がひるむのを見て、彼は自分がやり過ぎたことを反省し、手に込めた力をすっとゆるめた。
『カレブ?』
マーシャは困惑してカレブに掴まれた腕を押さえていたのだが、はっとして彼を見返した。
そうか! ここでは、雨は神の仕業と思われているんだ!
『マーシャ、答えてくれ』
『カレブ、雲』マーシャが彼に笑い掛けた。
彼女の指差す方角を見たカレブは、西の奥にある山にかかっている雲を見つけた。
『雲? それが、どうした?』
『雨は雲から来る』
『何だって?』
『黒い、縦、雲、西から来る。風、運ぶ。雨、ここに来る』
――縦に伸びた黒い雲が風に運ばれて西から流れてきて、ここに雨を降らす。
彼女の言葉をそう解釈したカレブは驚いて二の句が次げなくなった。